年末の大掃除から年始の仕事始めに至る「年の変わり目」は、多かれ少なかれ“人生のリセット”を意識せざるを得ない機会です。
今年1年を振り返って、「『目標とする生き方』『なりたい自分』にどれだけ近づけたか」などについて真剣に考え、不要な品々を思い切って全部ごみに出し、ムダな人間関係を片っ端から清算する――そんな積極的な姿勢で毎年のこの時期を過ごしている猛者もいることでしょう。
「断捨離で人生に変化」=自己啓発の一種
近年驚くほどの勢いで拡大している断捨離ブームは、このような自己啓発的な文脈を取り入れたメソッドとして、知らず知らずにわたしたちの日常に溶け込んできています。「お片付け」という何気ない行動から、「人生の大転換」へとつながるといった「レバレッジ効果」(テコの原理)のような分かりやすさが、あたかも現世利益的な信仰のごとく人口に膾炙(かいしゃ)した要因であることは間違いないでしょう。
片付けコンサルタントの「こんまり」こと近藤麻理恵氏は、「片付けをすることで、人生を変える」という「こんまりメソッド」を提唱したことで有名です。世界的な断捨離ブームの火付け役として不動の地位を得ており、アメリカの雑誌『TIME』の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたほどです。
「こんまりメソッド」の特徴は、「残すものを『ときめくかどうか』の基準で選ぶこと」だと言います。
「片づけを通して自分の内面をみつめ、自分が大切にしている価値観を知ることで、二度と散らからない家をキープできるだけではなく、キャリアや人間関係など、人生における全ての選択において大きな変革をもたらします」(同氏の公式Webサイトより引用)
一般的に、自分自身の能力を向上させることや、精神的な成長を目指すことを「自己啓発」と表現しますが、この「こんまりメソッド」は、「お片付け」という日常的な活動に少しばかり「テコ入れ」することで、「人生にダイナミックな変化」を与えて「ときめく毎日を過ごす」ようになるといった「自己啓発」の一種と捉えられるでしょう。
しかも、「お片付け」=整理整頓という中立的な身体性から介入するため、世間に流布している「自己啓発のイメージ」に支配されるということがありません。しかし、例えば近藤氏の代表作『人生がときめく片づけの魔法(改訂版〕』(河出書房新社)には「家の中を劇的に片づけると、その人の考えや生き方、そして人生までが劇的に変わってしまう」と書いてあります。
これが事実であればすごいことです。つまり「情報商材」のようなハードルを感じさせない、「お部屋からの革命」という洗練されたアプローチを確立しているのです。「自己啓発」としてまったく意識させない「自己啓発」といえるでしょう。
実は「人格改造」「性格改善」に相当!?
近藤氏は、「片付けをしたあと、仕事も家庭も、なぜか人生全般がうまくいきはじめる」と結論付けています。
要するに、「お片付け」が結果として「人間関係」の改善にまで波及するということなのです。ただし、その前提として、「片づけにおける正しいマインドを身につけ、あなたが『片付けられる人に変わるための方法』」(前掲書)とある通り、「正しいマインド」を習得することが不可欠です。「自己啓発」の文脈で言えば「人格改造」や「性格改善」に当たる部分です。
確かに「マインド(精神)」が変われば、仕事や趣味、交友関係も当然その影響を受けるでしょう。「断捨離マインド」は「モノからヒトへ」と容易に移行するのです。もともと「変わりたいと思っている人々」が、駆け込み寺的に「お片付け」という手法の助けを借り、「人生をリセットする」といったケースはその最たるものでしょう。
断捨離ブームの生みの親、作家のやましたひでこ氏は、「断捨離とは、モノへの執着を捨てることが最大のコンセプト」と言っています。「モノへの執着を捨てて、身の周りをキレイにするだけでなく、心もストレスから解放されてスッキリする」というわけです(同氏の公式Webサイトより引用)。
そして、断捨離を実践した多くの人々の声として「仕事や他人との関係性も見直すことができた」「自分軸をもっと大切にする生き方ができるようになった」などが紹介されています。
要するにこれは、近藤氏と同じく「モノとの向き合い方」を通じた「自己啓発」です。それは、「モノを捨てることの本当の意味」を知らなければ、あまり効果はないと述べていることからも明白でしょう。つまり、モノと関係性を入り口にすることで“生き方”を問うているのです。断捨離ブームの傍流として、ビジネスシーンを含む「人間関係の断捨離」が登場するのは、ある意味で必然といえるでしょう。
断捨離とは「神無き時代の倫理」
わたしたちは、日常の慣習から宗教が消え失せた「神無き時代」、かつ伝統的な規範意識が無意味になった「規範なき時代」を生きています。
そこに現れたのが断捨離という「モノとのコミュニケーションを通じて『人生の指針』を明確にするとともに、精神のバランスを最適な状態に保つメソッド」なのです。これは生のあり方すら決める“倫理”と言っても過言ではありません。
いわば「神無き」「規範無き」時代の「モノを介した自己対話(カウンセリング)」なのです。「モノが何かを語りかける」というと、アニミズム(生物・無機物問わず霊魂が宿るという考え方)を想起しがちですが、この場合のモノは「その人のアイデンティティー形成を支える無数の断片」といった位置付けです。
だから「ときめく」かどうかがとても重要になるのです。ヒトもモノも過剰に流動的な世界で、わたしたちは日夜「何を残し、何を捨てるべきか」「何を追求し、何を諦めるべきか」等々決断を迫られています。その上、それらの根拠となる「判断基準」は本当に妥当といえるものなのかどうか、永久に終わりのない“不断の闘争”を強いられています。
これは一言で言えば「アイデンティティーの消耗戦」です。そのような戦場において断捨離という行為は、スピリチュアルな儀式=厄祓(ばら)いとしての性格をも帯び、骨の髄まで物質主義に染まって拠り所のなさを抱えているわたしたちを、魅了しないわけにはいかないでしょう。
さらに断捨離ブームを心理面で後押ししているのは、個人化という現代の宿命に基づく「快適さへの関心」であり、「(本来アイデンティティー形成の材料の宝庫である)世の中」よりも、「自分の身体や食生活、住空間」に焦点を合わせる傾向なのです。
社会学者のジグムント・バウマンはこれを「自己への回帰」と呼びました(『退行の時代を生きる』伊藤茂訳、青土社)。カオスでコントロール不能な「外部」に無謀な体制転換を要求したり権利闘争を仕掛けるよりも、等身大の“箱庭”のような存在である自分のプライベートルームを仕様変更する方が、ささやかながら主観的な幸福感は満たされるということなのです。
いずれは「人生そのものの断捨離」も
「モノのアイデンティティー」と「自己への回帰」のアンサンブルが奏でる断捨離ビジネスは、衰えるどころかすでにわたしたちの日常にすっかり定着しつつあります。自己の内面に潜在している「指針」と、ナルシシズム的な欲望を隠した「快適さ」の需要に応えるバイブルとして流通しています。この傾向は強まりこそすれ弱まることはありません。
以上のような断捨離ビジネスの展望については、今後「お片付け」の分野にとどまるということはなく、より全面的な断捨離化が進む可能性が高いといえます。
まさに「人生の断捨離」です。
血縁関係の断捨離としての絶縁、消費生活の断捨離としてのミニマムライフ、終末医療の断捨離としての安楽死など、ありとあらゆる人生のステージを総合する断捨離メソッドが開発されれば大変な訴求力を持つと思われます。
それが21世紀の養生訓となるか、あるいは葉隠となるか、肝心のダンシャリアンですら驚愕の未来が待っているかもしれません。
真鍋厚(まなべ あつし/評論家)