《ゼロからわかる山口組分裂抗争激化》“武闘派”高山若頭の原動力になった「5代目の怨念」

髙山清司若頭の出所を契機に、山口組分裂抗争が激化している。この抗争の背景にあるものとは――。この11月、『 総会屋とバブル 』(文春新書)を刊行したノンフィクションライター、尾島正洋氏に寄稿してもらった。

国内最大の指定暴力団6代目山口組ナンバー2、若頭の地位にある髙山清司(72)が恐喝事件の刑期が満了し10月18日に府中刑務所を出所して以降、暴力団抗争事件が全国で頻発している。
主な抗争は6代目山口組と、山口組から2015年8月に分裂して結成された神戸山口組との間で発生している。なかには、米軍のライフル型の軍用自動小銃が使われた事件も発生している。
元は同じ釜の飯を食っていた同士だけに近親憎悪の根は深く、殺害方法も残忍さが際立っている。報復の連鎖は続くのか。双方の組織は全国各地に存在しているため、いつどこで抗争が発生するか分からず、一般市民を巻き添えにする危険性も高まっている。
M16自動小銃乱射の意味するところ
多くの買い物客が行きかう兵庫県尼崎市の商店街で11月27日の夕刻、大型銃の発射音が連続して鳴り響き、同市を拠点とする指定暴力団神戸山口組幹部の古川恵一(59)が射殺された。逮捕されたのは、対立する6代目山口組系の元幹部だった。
殺害に使われたのは「M16」と呼ばれる米軍がかつて公式採用していた自動小銃。十数発を全身に発射する残忍さだった。一般的な住宅であれば壁を貫くほどの威力を誇る銃器だけに、巻き添えを恐れる市民をはじめ、社会に与えた影響は大きかった。
尼崎の連射殺害事件より前の11月18日には熊本市内で別の神戸山口組幹部が刃物で刺され、19日には札幌市内のさらに別の同組幹部宅に車両が突入する事件も起きている。
警察関係者によると、いずれの事件も、髙山が熊本、札幌の6代目山口組系の組織を「激励」した直後に発生していたという。
「殺人などを実際に指示するということでは決してない。しかし、しっかり仕事に励め、などという趣旨の話をして、地元組織が髙山の意図を解釈した。つまり忖度したということではないか」(警察関係者)
事件は髙山出所の前にも起きている。10月10日午後、神戸市の神戸山口組の中核組織、山健組本部前で同組系組員2人が射殺された事件も発生、これも髙山出所が大きな要因とみられる。
東京を拠点に活動している指定暴力団幹部Aは、多くの事件で使われている拳銃について解説する。
「ヤクザは拳銃の取り扱いに慣れているとか、常に身辺に拳銃を隠し持っているなどと思われているが、全くそういうことはない。拳銃を持ってケンカに行くとなれば、事前にしっかりと練習しなければうまく撃てない。自分もかつて抗争事件で拳銃を実際に撃ったことがあるが、東南アジアの合法的に撃てるところでかなり練習した。初めて撃った時には反動が大きくて驚いた。しっかりと銃身を握り、腰を据えて構えないと弾は前に飛ばない」
そのうえでAは、6代目山口組と神戸山口組の間の事件について、次のように付け加えた。
「かなり前から抗争に備えて、それなりに銃器の練習をしたうえで使っているはずだ。特に尼崎の事件で使われた米軍がかつて使っていた自動小銃などは、手渡されてすぐに使用できるものでは全くない。素人が扱うのは、まず無理だ。インストラクターのような人物に指導してもらうようなことが必要ではないか」
5代目時代の怨念とは?
刑務所を出所しただけで、これだけ事件を続発させる影響力を持つ髙山とは、どのような人物なのか。
髙山は1947年9月に愛知県に生まれた。20歳前後で山口組弘道会の前身組織、弘田組傘下組織に加入、現在の6代目山口組組長の司忍と出会い、群雄割拠の中京地区の暴力団社会を平定するにあたり大きな功績を上げたという。
その後、司をトップとする弘道会は「武闘派ヤクザ」として知れ渡るだけでなく、名古屋経済に食い込みを図り、中部国際空港の利権などで豊富な資金力を備えた経済ヤクザとしても認知されるようになって行く。
当時を知る指定暴力団幹部Bが、弘道会の巨大化の背景について解説する。
「力のある組織にはカネが集り、カネが集まれば若い衆も集まる。そうやって組織が大きくなればシノギ(資金源)の話も舞い込む。水は高い所から低い所に流れるが、カネは低い所ではなく強い所に吸い込まれる」
そして弘道会は、5代目山口組時代には直系の直参組織の中でも大派閥を形成し、5代目山口組組長であった渡辺芳則の出身母体の山健組と、「2大派閥」と並び称されるようになって行く。
6代目山口組が発足して以降の髙山について、長年、暴力団対策に従事してきた警察幹部は「5代目体制時代の怨念が髙山の原動力になっているのではないか」と分析する。
「5代目体制時代の怨念」について、警察幹部は「5代目裁定だ」と指摘する。5代目山口組組長を務めた渡辺は若いころに、後に山口組とたもとを分かつことになる神戸山口組の中核をなす山健組に加入し、1982年に同組2代目組長に就任した。山口組はカリスマと呼ばれた3代目組長、田岡一雄が死去した後の1984年、4代目組長の座をめぐり分裂。離脱グループが一和会を結成し、4代目山口組組長に就任した竹中正久を射殺するなど、両組織の間で史上最大の対立抗争事件「山一抗争」が起こり、双方で25人が死亡。一般市民を含む約70人が重軽傷を負った。
組内でシノギがバッティング
こうした史上最悪の対立抗争を経て、渡辺は1989年4月、5代目山口組組長に就任した。この年の年末には東京証券取引所で平均株価は3万8915円の史上最高値を記録するなど、当時はバブル景気の絶頂期だ。全国の暴力団業界も、それまでの賭博や違法薬物の密売、売春などの伝統的なシノギから、地上げなどの不動産関係、金融業など表経済にも進出していった。「それまでは考えられなかった桁違いのカネが動くようになって行った」と、バブル期から活動している指定暴力団幹部Cが述懐する。
しかし、間もなくバブルは崩壊。表経済の苦境は暴力団業界にも押し寄せてきた。それでもカネの動きに嗅覚が働く経済ヤクザは、様々な「表経済」にシノギを求め続けたが、「同じ山口組内でシノギがバッティングすることが多くなって行った」(指定暴力団幹部C)という。そこに「怨念」が生まれたのだ。
「例えば、大規模な不動産開発があった場合、地域住民への迷惑料として地元対策費などが予算化される。当然ながら、総工費が大きければ対策費も大きな額になる。ある案件で偶然にも、山健と弘道が同じシノギをしようとしていたとする。このように山口組内部で双方が手を挙げバッティングしたら、5代目裁定となり、(組長の渡辺は)出身母体の山健に有利になる裁定を下していたようだ」(同前)
当時、山口組内部では「山健組にあらずんば、山口組にあらず」といった声が聞かれたように、こうした状況は5代目山口組体制の間は続いていたという。
「おじさん。用意しましたので」
5代目体制となってから16年後の2005年8月、司6代目体制が発足した。それまでの山口組では組長とナンバー2の若頭は、別の組織から就任するのが慣例となっていた。5代目体制では、組長は山健組出身の渡辺、若頭は宅見組出身の宅見勝だった。しかし、司は組長に就任すると、同じ弘道会出身の髙山を山口組本体の若頭に指名。ここに「司・髙山体制」が出来上がり、山口組の「名古屋支配体制」が確立した。
実質的に山口組内部の統制を任された髙山の支配は、次第に恐怖政治と非難されるようになって行く。
その厳しい統制に批判の声が次第に大きくなる中、山口組内部の与党形成のため髙山が支配を浸透させるのに使ったのは豊富な資金力だったとされる。山口組に詳しい指定暴力団幹部Dが事情を解説する。
「山口組直参と言っても、いまは地方の比較的小さな組織は資金繰りに困っている。そうなると長老格の幹部も、年齢やヤクザのカンメ(キャリア)が下の髙山を頼って、カネを都合してもらうことになる。そんなときに髙山は、依頼された金額の10倍ほどを用意して、『おじさん。用意しましたので』と囁くのです。金を渡された幹部は、あまりに高額な資金を都合してもらったことに驚くとともに、恩義に感じない訳にはいかない」
懐柔策だけではなく、若頭の強権が発動され暴力団社会に大きな衝撃をもって受け止められた騒動もあった。
2008年10月、武闘派ヤクザであるとともに経済ヤクザとしても知られ山口組内では大きな存在として一目置かれていた後藤組組長の後藤忠政がゴルフコンペのため定例の会議を欠席したことを、髙山が叱責。事実上の追放となる除籍処分を下した。その後、最高幹部クラスに対しても、髙山執行部批判があったとして絶縁などの処分を次々と出して対立勢力の力を削ぎ、恐怖政治を断行していった。
このほか、髙山は新たな集金システムを山口組内部で確立していく。数十人いた全国の直参と呼ばれる直系組長らに、米やミネラルウオーターなど生活必需品を送り付けて買い取らせることを始めた。生活必需品は組織の大きさによって分量が割り振られたため、巨大派閥の山健組などは買い取り金額も大きかった。不平不満が出ようがそれを押し通した。
山口組内部を強引に引き締め、組を巡るトラブルに揺るがずに付いてきた者は思い切って組織の中で取り立て、少しでも揺らいだ者は徹底的に切る「信賞必罰」の基本姿勢を貫いて、体勢を固めていった。
増幅する怒りに反応する傘下組織
盤石の体制を築いたかに見えた髙山だが、警察当局による捜査が進んでいた。髙山は2010年11月、京都府警によって恐喝容疑で逮捕された。刑事裁判では14年6月に実刑が確定、収監された。
しかし服役中にさらに思わぬ事態が起こる。15年8月、弘道会と2大派閥と称された山健組が6代目山口組から離脱。5代目体制時に若頭を出した宅見組など有力組織が山健組とともに大量に離脱し、神戸山口組を結成した。神戸山口組の離脱は生活必需品の買い取りなどカネの不満が原因だったとされる。
神戸山口組はさらに分裂し、17年4月には一部によって任侠山口組が発足し、現在山口組は3つに分裂している。
山口組が分裂した当時、警察庁幹部は次のように背景を語っていた。
「5代目の時の恨みつらみが再び自分に跳ね返ってきたということ。任侠山口組も同様にカネの問題で、神戸山口組から出て行った。どこもカネが問題だ。神戸山口組が離脱したことで、髙山は自分の親分である司の顔に泥を塗られたという気持ちだろう。憤懣は抑えられるようなものではないはずだ」
それを裏付けるように、髙山は獄中から、神戸山口組の幹部に対して「命の保証はするから引退しろ」と迫ったという。それに対して、「神戸山口組側が全く反応せず、無視同然だったこともさらに怒りを増幅させたのだろう」(前出・警察庁幹部)という。
いまは6代目山口組に残っていても、神戸山口組との間でどっち付かずの態度を取ったことのある者には「信賞必罰」の厳しい姿勢で臨んでいる。
髙山が刑務所を出所したことで、戦国武将が戦陣で“一番槍”を競うように、全国の山口組内の傘下組織が凶悪な抗争事件へと駆り立てられている。当然、警察当局は静観することなく鎮圧に乗り出す。警察当局は暴力団対策法に基づき、双方の「特定抗争指定暴力団」への指定作業をすでに開始している。
警察と山口組との最終決戦に向けた暗闘は、「髙山出所」という大きな出来事をきっかけに、次なるステージへと動き出している。

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(尾島 正洋/週刊文春デジタル)