「あの日 大地がうねった のたうった 命を壊した」――。阪神大震災(1995年)の記憶と明日への希望を詩に託し語り継ぐ催しが今年1月17日、神戸市内で開かれ、須磨区で被災した宝田政子さん(93)=同市北区=が自作の詩を朗読した。10代で阪神大水害(38年)と神戸空襲(45年)を体験。震災では親友を亡くした。あの日から間もなく25年。詩に込めた思いを改めて尋ねた。【木田智佳子】
宝田さんは26(大正15)年、神戸市生まれ。小学6年の時、現在の長田区南部の小学校で阪神大水害に遭遇した。校舎の上階から見た光景が忘れられない。新湊川に濁流があふれ、壊れた建物や木、家畜の豚が押し流されてゆく。家族は無事だったが、住んでいた社宅は床下浸水。近所の家にバケツで井戸水をもらいに行く生活がしばらく続いた。
翌年に父が40代の若さで急死。長女の宝田さんは「母や妹たちの生活を守らなければ」と思い、気を張る暮らしが始まった。太平洋戦争末期の45年3月17日の神戸空襲では兵庫区の家を焼かれ、命からがら逃げた。灘区の借家に落ち着いた矢先、今度は市東部を襲った6月5日の空襲にも遭った。「焼夷(しょうい)弾が行く先を狙うようにバラバラバラと落ちてくる。怖くて怖くて。手首をなくした男の人に、持っていた消毒液をとっさに渡して逃げた」
阪神大震災の発生時は68歳。夫や娘たちと住んでいた一軒家は崩れはしなかったが、老朽化で「住むのは危険」とされ、解体を余儀なくされた。兵庫区に住む8歳下の親友「潤子ちゃん」と連絡が取れず、しばらくして、家の下敷きになり亡くなったと知った。「今年もお花見に行こうね」。新年のあいさつで交わした約束はかなわなかった。
今は娘の藤原惠さん(69)、治さん(69)夫婦の元に身を寄せ、足は少し不自由だが、デイケアに通い穏やかに暮らす。昨年、「復興支援コンサート実行委員会」が詩を募集していることを知り、「水害も空襲も震災にも遭った。若い人に伝えることが、何か書けへんかなあ」と、思いをつづったという。「自然災害は怖い。でもね、私、生きてる中で一番怖かったのは、人が人を狙う空襲です」と語る。
「忘れてなんかいないよ」。詩の冒頭で、宝田さんは潤子ちゃんに呼びかけた。「あなたの残した幸せ 潤子ちゃん 私、貰(もら)ったよ 九十二歳 生きている 淋(さび)しいね」