若手の男性と間近に接したことがなかった美香さんは外見が良く、優しい言葉をかけてくれる刑事の登場にドキドキしたという。業務上過失致死の疑いのはずがいつの間にか殺人罪になっていた。
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東住吉事件……1995年(平成7年)、大阪市東住吉区の青木惠子さん(当時31歳)宅から火が出て全焼。娘のめぐみさん(当時11歳)が亡くなった。警察は惠子さんと内縁の夫Bさんによる保険金目当ての放火殺人として2人を逮捕。2人は無実を訴えたが無期懲役の判決で服役。だが弁護団の粘り強い調査で再審(やり直しの裁判)が決まり20年ぶりに釈放、後に無罪となった冤罪事件である。
冤罪同士“獄友”の友情
2006年、惠子さん(55)は無期懲役の刑が確定し、和歌山刑務所に収監された。ここは女性だけを収容する刑務所で刑務官も9割方が女性だ。
通常、受刑者は模範囚として少しでも早く仮釈放してもらうため刑務官に気に入られようと心がける。だが惠子さんは「私は何も悪いことをしていないから仮釈放なんかいらない。再審で無罪になって堂々と出ていく」と宣言。刑務官にも言いたいことを言った。
事態はなかなか進まなかったが、やがて朗報が届く。弁護団が行った再現実験の結果、放火は不可能だと証明されたのだ。再審への道が開けた。
この時、ある受刑者が惠子さんに近づいて話しかけた。「実験の結果よかったですね」。それが西山美香さん(39)だ。惠子さんと同様、服役後も無実を訴えていた。2人は冤罪被害者として獄中で知り合い親しくなった「獄友」である。
受刑者は刑務所内の工場で刑務作業をせねばならない。それが「懲役」だ。美香さんと惠子さんはたまたま同じ工場で隣同士で作業することになった。
美香さんは発達障害と軽い知的障害があると診断され、作業に集中するのが苦手だ。例えばスポンジを販売用の袋に詰める作業では、スポンジに付いているちりを取り除き忘れることがしばしばあった。そんな時、惠子さんは何も言わず美香さんの分も取ってあげた。
美香さんは自分は無実だという思いがあるから刑務官に反抗的な態度を取ることがよくあった。そういう受刑者に対しては独居房に入れるなど様々な懲罰が科される。一方、惠子さんは言いたいことは言っていたが刑務所内のルールは守っていたから処遇は悪くなかった。
惠子さんはある時、美香さんに教え諭した。「敵は刑務所の職員じゃないよ。あなたを有罪にした裁判所、検事、警察でしょ。無罪を勝ち取るために闘うのは私も同じだけど、刑務所内で無用のトラブルを起こすのはやめた方がいいよ」
これ以降、美香さんは刑務官の言うことに従うようになった。
「青木さん(惠子さん)が本当に親身になって私にいろんな事を教えてくれました。そうなんだ、そうしようと素直に思えました。そしたら処遇がよくなって、お菓子を買うことも許されるようになって、とてもうれしかった。刑務所で青木さんと出会えてよかった」
「私、マリー(森永製菓のビスケット)が好きなんですよ。接見に来た井戸(謙一)先生(弁護士)に『マリーを買えるようになりました!』って言ったら『あれはおいしいよね』と先生が答えたんで『え~弁護士さんでもああいう普通のお菓子食べるんですか?』って尋ねたら『食べるよ』って言われて、そうなのか、弁護士さんだから高級なお菓子食べるのかと思ったけど違うんだと思いました」
イケメン刑事(デカ)への恋心が人生を狂わせた
美香さんはなぜ無実の罪に問われることになったのだろうか? 美香さんは高校卒業後、病院で看護助手として働いていた。看護師の指示の元で入院患者のお世話をする仕事だ。
滋賀県の湖東記念病院に勤務していた2003年のある晩、入院中の72歳の男性患者が死亡しているのが見つかった。第1発見者のX看護師は「人工呼吸器のチューブが外れていた」と証言。人工呼吸器は外れたらアラームが鳴るようになっている。警察は、当直中の看護師らがアラームに気づかなかったため窒息死したとみて業務上過失致死の疑いで捜査を始めた。
美香さんはその夜、X看護師とともに勤務していたから繰り返し事情聴取を受けた。焦点はアラームだ。刑事は繰り返し「鳴っていたんだろ」と迫る。「鳴っていません」と正直に答える美香さん。でも刑事は納得しない。美香さんは心労で体調を崩した。
そして1年がたったある日、取り調べを担当する刑事が代わった。滋賀県警捜査1課から派遣されてきたY刑事だ。当時30代前半くらいで美香さんには爽やかな好青年に映った。取り調べは密室で行われる。美香さんは当時24歳。若手の男性と間近に接したことがなかったのでイケメン刑事(デカ)の登場にドキドキしたという。
成績優秀な兄へのコンプレックスも受け止めてくれた刑事
Y刑事は優しかった。美香さんはそれまで成績優秀な2人の兄と比べられてコンプレックスがあったが、彼は美香さんの話をきちんと受けとめ「辛かったね。でも美香さんもかしこい方だと思うで」などと喜ばせるようなことを言った。それは取り調べなのだが美香さんはY刑事のことが好きになっていく気持ちを止められなかった。
「私の話を聞いてくれてほめてくれてとてもうれしかった。取調室だったけど一緒の時間を過ごすのが楽しくて。Y刑事のことを“白馬の王子様”と思っていました。輝いて見えたんです」
こうしてY刑事が求めるままに、自分が人工呼吸器のチューブを外して患者を死なせたという「自白」をすることになった。動機は「待遇が不満で病院を困らせようと思った」。業務上過失致死のはずが美香さんはいつの間にか殺人犯になっていた。
悲恋が終わるとき
起訴されると通常、捜査は終わる。それはY刑事と会えなくなることを意味する。美香さんは取調室でY刑事の手をさすりながら「会えなくなるのが寂しい」と漏らした。いよいよ最後という日、美香さんは意を決してY刑事に抱きついた。「離れたくない」と訴えた美香さんに、Y刑事は一言「頑張れよ」と言い残しただけだった。
公判が近づいてくると美香さんは自分が犯した過ちの重大さに気づき始めた。ところがY刑事は起訴後も拘置所の美香さんに会い「罪を認めないと大変なことになる」と脅して犯行を認めさせ続けようとした。初公判の3日前にも拘置所に行っている。いかに無理して自供させたかをよく自覚していたからだろう。
それでも美香さんは裁判で必死に無罪を主張した。自白以外に直接的な証拠はない。なのに判決は懲役12年。刑が確定し美香さんは和歌山刑務所に収監された。そこで惠子さんと出会う。
「あきらめちゃダメ」獄友の励ましで闘い抜く
惠子さんは再審が認められて自由の身になった。しかし美香さんはなかなか再審が認められない。出所後もたびたび手紙で連絡を取っていた惠子さんは、美香さんが日に日に憔悴していくのがわかった。
結局、美香さんは再審が認められないまま12年の刑期を終えて出所した。惠子さんは和歌山刑務所まで迎えに行き花束を手渡して励ました。
1審大津地裁、2審大阪高裁、そして最高裁。どこも言い分を受け入れてくれなかった。再審も認められない。再審なんてやってもムダじゃないの? 美香さんはすっかり弱気になっていた。
「再審はあきらめてやめますって何回も言いました。しんどいからやめたいと。もう出所したんだし」
そんな美香さんに惠子さんは活を入れた。
「冤罪で苦しむ人は他にも大勢いるのよ。だからあきらめちゃダメ。今度はあなたが無罪を勝ち取って、獄中で闘っている仲間に希望を与えてあげるのよ」
井戸弁護士も励ました。
「ご両親が孤立無援の中で美香さんのために闘ってきたのに。お父さんが弁護士を探し続けてくれたんだよ。わたしもあきらめないから一緒に頑張ろう」
思いもかけぬ人物が支援に
何とか闘いを続ける気になった美香さん。信頼する井戸弁護士の助けを受けて2度目の再審請求で遂に大阪高裁で裁判のやり直しが認められた。しかし検察は最高裁に特別抗告した。どこまで無罪を邪魔するのか。美香さんは18年1月「再審を認めてほしい」と直接訴えるために最高裁を訪れた。
この時、私はNHKの記者として取材に来ていた。美香さんたちが最高裁の中で訴えている間、外で待っていると、思いもかけぬ人物に出会うことになる。
その男性は私の姿を見て声をかけてきた。「相澤さんですよね? NHKの」「はい、そうですが」「私はBです。はじめまして」
東住吉事件で惠子さんとともに無期懲役の刑が確定し、その後同様に再審で無罪となった元内縁の夫Bさんである。私は前の月に惠子さんを主人公にしたNHKスペシャル「時間が止まった私」を制作し、Bさんのことも話には聞いていたが実際に会うのは初めてだった。
Bさんは人当たりがよく饒舌だった。同じ冤罪被害者として美香さんを支援するためここに来たのだという。人の良さそうなその姿を見ながら私は「この人が小学生のめぐちゃんに性的虐待を繰り返したのか……」という思いを禁じ得なかった。いずれきちんと話を聞きたい、と心に誓った。
イケメンデカを恨まない
最高裁も再審を認め、検察は有罪の立証をしないことを表明、事実上無罪が確定した。身の潔白が確実になった今、Y刑事について美香さんはどう思っているのか?
「Y刑事のことは恨んでいません。自分がうその自供をしてしまったから。ただ刑事さんがやさしくて、それで自白をしてしまったという負い目があるんで」
Y刑事は美香さんの恋心につけこみ都合よく供述させたのだろう。それでも美香さんは「恨みはない」と語る。Y刑事は今、滋賀県のとある警察署で刑事課長を務めている。警察、検事、裁判官。冤罪に関わった当事者は責任を問われず、謝罪もない。それが冤罪被害者を苦しめる。
惠子さんは語る。「同じ女性、同じ刑務所、同じ工場の隣同士で作業もした仲だけに(美香さんには)絶対に勝ってほしかったし他の事件の勝利とは違う喜びがあります。これからは一緒に女性の冤罪者として、無実を訴える仲間に希望を与えられるよう、私が味わった無罪の喜びを味わって貰えるよう、そしてもちろん司法を変える活動も命ある限り続けていきます」
冤罪をなくすには司法を変えなければ。裁判所、検察、警察、すべての当事者が変わるべきだ。そのために惠子さんは闘い続ける。
相澤冬樹(大阪日日新聞記者)
あいざわふゆき/1962年宮崎県生まれ。東大法学部卒、87年NHK入局。2017年、東住吉冤罪事件を扱ったNHKスペシャルで取材を担当。18年、森友事件の取材の最中に記者職を解かれNHKを退職。著書に『安倍官邸vs.NHK』。
(相澤 冬樹/週刊文春WOMAN 2020年 創刊1周年記念号)