音楽家の坂本龍一さん(67)と女優、吉永小百合さん(74)が5日、沖縄県宜野湾市で開催された「吉永小百合・坂本龍一チャリティーコンサートin沖縄 平和のために~海とぅ詩とぅ音楽とぅ」(主催・同実行委員会)に出演した。
坂本さんは、沖縄での共演を強く望んだ吉永さんの打診を快諾。コンサートに先立ち、同県名護市の辺野古の海を初めて視察した。
吉永さんはコンサートで、6月23日の慰霊の日に執り行われる沖縄戦全戦没者追悼式で読み上げられてきた児童・生徒の詩4編を含む11編の詩を朗読。コンサートを控えた2019年12月、琉球新報と沖縄タイムスのインタビューを受け、思いを語った。本紙の友好紙・琉球新報の記事のエッセンスを転載する。詳細は、https://ryukyushimpo.jp/
坂本さん「この美しい自然を壊してまで造る意義はない」
坂本さんは3日午後、辺野古沖の新基地建設海域を視察し、「この美しい自然を壊してまで(新基地を)造る意義はない。多くの人もそう思うのではないか。埋め立て土砂投入は1%にとどまっており、まだ引き返せる」と語り、埋め立て工事を中止すべきだとの認識を示した。
坂本さんは、名護市議会議員の東恩納琢磨さんがかじを取るグラスボートで埋め立て現場などを巡った。
沖縄の民意を無視する形で工事が進む状況に対し、坂本さんは「この島にこれだけの基地があることが異常。本土と沖縄の間に差別があるように思えてならない」と述べ、新基地建設を推し進める国を批判した。
また軟弱地盤問題などを念頭に置き、「自然は一度壊したら元に戻せない。工事自体もいくらかかり、いつ終わるかも見えない異常な状況になっている。何十年後かに完成しても本当に有事に使える基地になるかも分からない。自然を壊してまで造る意義はもちろんない」と言い切った。
坂本さんは、新基地反対の沖縄の民意が無視される状況に対し、「民意に従う民主主義を逸脱している。基地建設事業の醜さは人間の心の醜さとも言える。それが自然の美しさと強く対比して見えた」と語った。
吉永さん「知らんぷりしていい問題ではない」
「知らんぷりしていい問題ではない。どうしても基地が必要と言うなら、沖縄の痛みを他の県(本土)も引き受けないといけない。それが嫌だったら、沖縄にもつらい思いをさせてはいけない」――。吉永さんはインタビューで、沖縄への思いを熱く語った。
1968年、映画「あゝひめゆりの塔」に出演して以来、沖縄戦の継承、米軍基地の過重な負担にあえぐ基地の島への思いを深め、自らの言葉で発信してきた。
「ひめゆりの塔」の「泣いてばかりいた」演技への反省と、本土の盾となった沖縄戦で多数の県民が犠牲になったことを学び、「沖縄には遊びには行けない」と思い込んでいた、という。
プライベートの沖縄の旅がようやく実現したのは18年6月。沖縄中が鎮魂に包まれる初夏、南部戦跡や米軍基地、新基地建設海域などを巡り、あらためて沖縄の現実に息をのんだ。
「驚くほどきれいな辺野古の海が無残な形に。本当に悲しい」
「驚くほどきれいな辺野古の海が無残な形にされていくこと」に胸を痛め、「(埋め立ては)本当に悲しい」と、沖縄の民意を無視して進む新基地工事に強い疑念を示す。
「忘れない、風化させない、なかったことにしないために」原爆詩や福島原発事故被害者の詩の朗読をライフワークとし、反戦平和、反核、反原発を明確に打ち出す発言をためらわない。「自分にできることは表現者として声に出して伝えること」「どう思われようと、自分の思ったことを伝えることが大事だ」
インタビューの中で吉永さんは、「ひめゆりの塔」での演技について「当時、資料を読んだり、勉強したりしたつもりだが、いざ演じると、あまりにも気持ちが入りすぎてしまい、映画の中で泣いてばかりいた。映画を見て、あれではいけなかったのではと、すごく反省した。ひめゆり学徒の方が『当時は涙も出ないぐらい厳しい状況だった』とおっしゃっているのをテレビで見て、私の芝居は違っていたと思い、申し訳ないという感じがした。本当につらい思いをされ、私たち本土の人たちのために多くの方々が犠牲になった事実を知ると、(沖縄には)遊びには行けないという感情がずっとあった」と語った。