2020年の中国自動車マーケット(前編)

年明けの記事として、昨年のクルマを振り返る企画を2本続けて掲載した。となると次は2020年の自動車産業の展望から書き始めるべきだろう。

テーマは中国マーケットだ。この10年間、自動車のグローバルマーケットをリードしてきたのは中国だった。今世紀が始まったとき、わずか200万台程度だった中国の新車販売台数は、17年には2912万台と約15倍に躍進し、驚くべきことに、グローバル販売台数の3分の1に達した。当然この20年間、世界の自動車メーカーは中国マーケットを最重要課題として、売り込みに目の色を変えて取り組んできた。

ところが、その中国の自動車マーケットが、18年、約30年ぶりに前年比でマイナス2.8%となった。天安門事件の年以来のダウンと考えると少々不穏である。この先どうなるのかは気になって当然だろう。

中国マーケットの現状
19年はまだ累計データが出ているのが11月末までで、通年の最終確定数値が出てこない。加えて統計によって商用車を含むか含まないかなど、車種のジャンルの絞り方の違いもあって、報道によって19年の下落幅には振れがある。しかし、それでも、おおむねマイナス8%から13%程度という衝撃的な下落が予測されている。当然ながら傾向としては、商用車より、景気に左右されやすいパーソナルカーが厳しい。2桁ダウンの数値が出ているのはパーソナルカーだ。

しかもどうやら翌20年の予測も芳しくない。つまり3年連続でのマイナスということになりそうで、世界一自動車が売れるマーケットのこれだけ大きな変調は、自動車メーカー、ひいては自動車産業全体への大きな影響が予想される。

例えば、利益の40%を中国から上げるといわれているフォルクスワーゲンにとって、中国マーケットの2桁ダウンは脅威になるだろう。しかし同社にとって幸いなことに、今のところダウン幅はメーカーの国によって結構差がある。グラフは昨年対比だが、総数の積み上げで見ると、最も下落幅が大きいのが中国ブランド各社、次に米国ブランドという順で、ドイツブランドは影響が少なく、韓国はかろうじてプラスにいる。しかしそのドイツと韓国を上回って、最も堅調なのが日本のブランドだ。しかしこの傾向がどこまで続くかは保証の限りではない。

このあたりも切り口は多様にあって、そう一筋縄ではいかない。例えばEVのみに限っていえば中国のグローバルシェアは58%と圧倒的。つまり、中国マーケットの異変はEVプレイヤーに最も向かい風が強くなる。そこへ持ってきて、中国政府の予算不足によって補助金の段階的減額が始まっているため、自動車全体が落ち込む中でも特にEVの落ち込みは大きい。それはつまり、現状EVを主力にしていたり、今後の事業展望として中国でのEV販売を頼りにしていたりした会社は、より状況が深刻になるだろうということだ。

ちなみに今回は世界経済のさまざまな数字を取り扱う都合上、出典をいちいち明らかにするとあまりに煩雑だ。筆者は国際情勢や経済の専門家ではないので、クルマの話ならともかく、国際情勢や経済の話となると一次情報に当たることが難しい。可能な限り政府や政府系機関の数字を用いるが、時事的な数字は各国の新聞社などの記事を比較しつつ妥当性を判断して引用する。誠に申し訳ないが、今回に関しては統計的な正確性については大目に見てもらいたい。

この記事の目的は、あくまでも中国マーケットで起きていることをちゃんと押さえることが第一。次いでその原因だ。そしてそれらが20年代の自動車産業にどんな影響を与えそうなのかを考察してみることだ。

懸念される落ち込みの長期化
18年の時点では、中国での自動車ビジネスは、一時的に販売が落ち込もうと、中期的には回復すると信じられていた。つまり、落ち込みは一時的なもので、数年後には再び世界で一番クルマが売れるマーケットに返り咲くと見られていた。おそらく超長期でみればその見立ては正しいだろうが、どうも今回ばかりは、不調は予想外に長引きそうな流れだ。

象徴的なのは米中貿易戦争だ。これが米中の経済におけるよくあるつばぜり合いであれば、あまり極端なことにはならないのだろうが、つぶさに調べていくとそういうレベルの争いではなさそうだということが分かってきた。これは中国型の社会主義市場経済と、米国型のオーセンティックな市場経済のどちらかが倒れるまで続くデスマッチなのではないかと筆者は見ている。昨年末までの推移でみると、どうも米国の勝利が見えてきているように思える。

この経済戦争は、かつての米ソの冷戦と同じか、もっと深刻なものになる可能性がある。米ソの対立は相互に交わらない東西両経済圏に分断された中で争われていたが、ベルリンの壁崩壊以降、経済はボーダレスになった。そのワンワールドで、2つの相容れない主義がぶつかり合っているからだ。つまり君臨するのはただ一人。

07年には中国海軍幹部が、当時の米太平洋司令官に対して「ハワイから東を米軍、西を中国海軍が管理しよう」と持ちかけたことがある。それが企図するのは米ソ時代と同じように再びボーターを作って、世界を2つに分割しようとする中国の思惑である。日本を含むアジア諸国の頭越えでそんな交渉をすることは失礼千万な話である。

当時の米大統領はジョージ・W・ブッシュだが、09年から政権を握ったのはバラク・オバマであり、宥和(ゆうわ)的外交が推進された。中国が経済発展するとともに、こうした粗野な発言は改まり、選挙制度に基づいた正しい民主主義に発展するはずだと、当時の米国は認識していた。これは米国のみならず世界の共通した認識であり、その結果として、中国への締め付けではなく、むしろ援助を進め、かえって中国に誤ったメッセージを伝えてしまった。中国の理解は、経済力と軍事力を高めれば自国の主張は受け入れられるという力の信奉だった。

決定的だったのは、18年に、中国全国人民代表大会で憲法が改正され、それまで10年2期を上限とされた国家主席の任期が廃止され、理論的に永世主席が可能になったことだ。世界の多くの人々が習近平は中国皇帝にでもなるつもりかと危惧したのである。

それまで慣例として、歴代用意されていた中国の次世代閣僚(シャドー・キャビネット)のメンバーは、現政権を脅かすものとして、真偽定かならざる汚職などを理由に追放された。

つまり、世界が期待した経済発展が民主化を推進するという思いは、ここに打ち砕かれた。むしろ曲がりなりにも集団指導であった共産党一党独裁から、主席による個人独裁へとさらに悪化し、経済的発展の道筋は、選挙制度と民主主義にではなく、軍事的拡張へとつながっていくことが確定的になった。

中国式資本主義
背景としては中国の著しい経済発展がある。バブル崩壊以降、日本は船頭のいない舟のような状態が長く続いた。変わらなければならないが、何をどう変革するか誰も決められない。それが日本だけかというと、実は米国も欧州も似たようなもので、何を決めるにも、賛成と反対のそれぞれにイデオロギーが結びつき、誰もが身動きが取れなくなっていた。何も決められない。そういう世界の中でひとり中国だけが、次々と政治主導でリスクテイクをして、強力なトップダウンで改革を進めてきた。

決められない国と、決められる国。少なくともリーマンショック以降は決められる中国が圧勝してきた。独裁体制があるからこそ、異論を封じ込めて方向性を指し示すことができる。そういうやり方は成長速度を速める。

例えば、エレクトロニクスや自動車といった産業を重点的に育てるという目標を定めて、ヒト・モノ・カネをそこに重点的に投下する。

そうした中で、中国は二重構造をうまく利用した。例えば世界銀行は05年以来、一人当たりGDP1.25ドル/1日を国際貧困ラインに定めてきた(15年に1.90ドルに変更)。中国は国家としてはGDP世界第2位でありながら、人口が多く、世界銀行の定めるこの貧困国規定を利用することができ、極めて低利で融資を受けることができる。

そうやって「貧困国」としての立場で低利融資を受ける一方で、経済大国としての立場で、中国は第2の世界銀行ともいえるアジアインフラ投資銀行(AIIB)を主導的に立ち上げ、世界の貧困国に融資を行い、融資の返済が滞ると、租借という名目で土地を差し押さえて、他国領土に軍事基地建設を押し進めた。

AIIBの盟主である中国に、世界銀行が貸し付ける原資の提供元一位は米国で二位は日本である。しかもそれは国民の税金だ。米国のドナルド・トランプ大統領はこれに激しい抗議を突きつけている。

あるいは、中国は途上国としての立場もうまく行使している。自国産業の保護政策は、多くの途上国で行われている。戦後の日本もそうだった。しかし、今の中国が途上国であるという認識はどうなのか? 少なくとも米国に「太平洋を分割しよう」と持ちかけるような国が途上国というのは強い違和感を覚えざるを得ない。

途上国の権利とは何か? 例えば資本規制である。自動車の世界でいえば、中国でクルマを売ろうとすれば、原則として禁輸状態なので、現地で生産するしかない。しかし中国でクルマを生産するには、現地法人を設立しなくてはならず、しかも現地資本と提携し、株式の51%を現地側に持たせなくてはならない(22年に撤廃を予定)。

51%を現地資本が持つということは、企業経営権を現地資本に握られるということであり、当然技術情報は全て丸裸にされる。さらに、現地の法人には例外なく共産党組織が作られ、党の指導が行われる。つまり日本企業が中国でクルマを売りたいということは、提携先のみならず中国政府に技術移転を認めることと同義になる。当然これは自動車だけではなく、通信やエレクトロニクスにも当てはまる。

さらに中国政府が、そうした重点産業への巨額の補助金を交付していることも大きな問題になっている。ファーウェイが世界各国で5G通信機器のシステムから閉め出されたのも同じ根っこの話だ。ウォール・ストリート・ジャーナルの報道によれば、ファーウェイには実に8兆円という巨額の政府支援が行われているという。ちなみに日本の国家予算が100兆円、年間の税収が60兆円というあたりから考えてもどれだけ巨額かは分かると思う。

根源的な話として、これだけの巨額な補助金が交付されれば、そこから生み出される製品の価格はフェアな競争価格とはいえないし、政府がそれだけ巨額な補助金をなぜ一企業に交付するのかという話にもなる。そこでクローズアップされるのはファーウェイの創業者「任正非」氏の人民解放軍出身という経歴である。

世界は、5Gのインターネット網から、人民解放軍が情報を自由に盗むのではないかという疑いを強めており、それはすなわち各国の安全保障の問題に直結する。この疑いがどの程度濃厚なのかを確認する術を筆者は持たないが、米国を筆頭にEU各国や日本でも、ファーウェイ製の機器をインターネット網のインフラに使うことが禁じられている。逆にいえば禁じなければそれらを独占してしまうほどに低価格でシステムを提供しており、その低価格はつまるところ補助金につながっているというわけだ。

結局、中国の資本主義には、フェアであろうとする意思や矜持(きょうじ)がない。あるのはただゲームとしての資本主義で勝者になることだけだ。それが、トウ(登におおざと)小平が唱えた現実主義的な改革開放政策のなれの果てだともいえる。トウ小平がそれを唱えた頃は、とにもかくにも経済を立て直すという意味では正しかったかもしれないが、以来、江沢民、胡錦濤と続く中でその目的は変容していった。

一例を挙げれば、江沢民政権下の01年、WTO加盟時に、中国政府は技術移転の禁止を承認していたはずである。そうでなければWTOに加盟できないからだ。にもかかわらず以後約20年に渡ってうやむやにしてきており、先に記した通り、その20年間で世界の技術をキャッチアップしてきた。いやもっと厳しい言い方をすれば盗み続けてきたのである。

こうした現実を前に、米国は中国に対して、貿易慣行の是正と、アンフェアな補助金、知財のフェアな取り扱いを突きつけている。それこそが米中貿易戦争の真の姿だといえる。さて、それはどうなっていくのだろうか?

(明日の後編に続く)

(池田直渡)