2020年の中国自動車マーケット(後編)

さて、前編では1978年のトウ(登におおざと)小平以来、中国が社会主義市場経済をどのように運営してきたかについて、特に途上国の立場と経済大国の立場を恣意的に切り替えながら、横紙破りを続けてきたことを記した。それはなぜなのかから話を進めたい。

市場経済とモラル
第一に、中国の人々が市場経済を正しく理解していないことが挙げられるだろう。筆者の友人に電機製品の設計生産を請け負う会社を経営している男がいる。生産の多くは中国であり、当然ながら中国との付き合いは深い。

彼は最近の中国人についてこう評していた。「列に並ぶとか、大声で騒がないというような個人のマナーについては、最近大きく進歩していて、場合によっては日本人よりマナーが良いと思う時すらあります。けれどことビジネスとなると、儲(もう)けた者が勝ちだと今でも信じているし、そこにマナーや志みたいなものが必要だという意識はまだ全くないですよね」

例えば、15年に中国からインドネシアなどに輸出された米の一部が、ジャガイモのデンプンとプラスチックで作られた偽装米だったことが発覚して大騒ぎになったことがある。もちろん中国人の全てがこんなことを良しとするわけではなく、ごく一部だとは思う。ただしごく一部とはいえ、日本人の感覚からするとその裏切り方がやはり尋常ではない。

日本人でも、米で詐欺やそれに近いことを働く者はいる。例えば魚沼産のコシヒカリと称して流通している米の量は、産地の生産量を大幅に上回っており、ブレンドで嵩(かさ)ましされているというだけでは説明が付かない。しかしながら、日本の場合、せいぜいが産地の偽装止まりで、その多くはブレンド時の魚沼産コシヒカリの分量が極端に少ないという程度の話だ。

仮に通販などでこうした米を買ったとしても「値段の割に美味くなかったから、今度からあの店で買うのは止めよう」という程度の話にしかならない。

しかしプラスチック米ではそれでは済まない。実際インドネシアでは、それを食べた人の体調異常が原因でこの事件が発覚している。そうなれば「口に入れるものを通販で買うのは怖い」という話になって、通販というビジネスモデルそのものを壊してしまう。

昨今のアマゾンを見ても明らかなように、マーケットプレイスの商品にはサクラとおぼしきレビューがあふれ、写真とは似ても似つかない商品が届くことも多い。中国には、こういうやり方を「賢いやり方」と理解する業者がまだまだ多い。欺した欺されたもビジネスのうちだと考えているのだろう。

最近ではアマゾン側でも、レビューがどこで書かれたかを表示するようになっており、日本でレビューされた場合には「日本でレビュー済み」と記載される。しかしこれも、偽レビューを日本から投稿する方法が確立されれば通用しなくなる。モラルが無い相手とはどうしたっていたちごっこにしかならない。

つまりそれは、ITで覇権を握るGAFAの一角を占めるアマゾンのECですら、行儀の悪いビジネスが毀損させ始めているということでもある。「悪貨は良貨を駆逐する」と言う言葉の通り、こうしたモラルの問題は、市場経済を破壊しかねないのである。

こうした状況になって筆者も初めて思い至ったのだが、市場経済には、明文化されたルール以外に、モラルが求められているということだ。例えば筆者が1時間程度の試乗で、クルマの出来が良いとか悪いとかいえるのも、根本的にメーカーのモラルを信用しているからであって、もしメーカーが、タイヤが外れて人が死んでも一人や二人は仕方がないと思っているとしたら、自動車のあらゆる部品を耐久テストできる施設でも持っていない限り評価できない。メーカーの人達が誠実であり、人によかれと思っていると信じてこそ、よかれがまだ足りていない部分を指摘することができるのだ。

新幹線が事故を起こせば救出より先に隠蔽のために埋めてしまう。バスが道路にできた大穴に落ちたら救出も検討せずにコンクリートを流し込んでしまう。そういう政治を行う政府の姿を見て、商業の正しいモラルが育つとは思えない。うまく誤魔化して切り抜けることこそが賢いやり方だと、政治が示し続けていることになる。

少なくとも、誤魔化した者、インチキを行った者は、可能な限り正しく罰せられる環境でなければ、市場経済は育たないし、そういうやったもの勝ちの悪弊は、せっかく芽生えた正しいビジネスを駆逐してしまうのだ。そして正しくないビジネスはやがて市場を焼け野原にしてしまう。経済の根底にあるのは信用なのだ。

アメリカの決意
そういう諸々を考慮しつつ、大原則に立ち返れば、市場経済にとって大事なのは、自由と人権だ。その基礎があってこそ初めて財産権が確立する。自由と人権と財産権があやふやな世界では、市場経済のメカニズムが働かない。

そういう認識が強くあるからこそ、内政干渉であることを熟知しながら、米国は香港の問題に口を差し挟む。英国から香港が返還されるとき、50年間にわたって香港の高度な自治が保障されることは条件だった。ところが中国政府はそれをなし崩しにしようとしている。

すでに、中国本土の会社が香港の会社のほとんどを買収し、支配している。香港のデモを支持したキャセイ航空のスタッフを守ろうとしたCEOは、中国政府の圧力で罷免された。社会主義政権下でゆがめられた資本主義によって高度な自治は骨抜きにされつつある。

香港デモの本来の目的は「犯罪者引き渡し条約」の阻止だ。これまで企業を通じて圧力を掛けてきた中国政府は、いまその矛先を個人に向けさらに厳しく輪を絞り上げようとしている。政府に異を唱える個人を犯罪者として本国へ送還させれば、再教育キャンプへ送り込まれるだろう。先に述べたとおり、こういう人権問題がある限り正しい市場経済が育つことはなく、ひいてはそれが世界の経済をおかしくする。米国にとってこれは他国の問題ではなく世界の市場経済の問題なのだ。

こういう対中国の強硬姿勢は、トランプ大統領がひとりで仕掛けたものではない。主役となっているのは米議会であり、法案成立を主導したのは対中国強硬派で知られる共和党のマルコ・ルビオ上院議員と超党派の議員たちだ。注意すべきは大統領は行政府の人だが、上下両院からなる議会は国民の負託を受けたのみならず、予算の議決権も持っている。つまり中国への制裁は、米国の総意と言ってもいいだろう。

両院は11月に香港人権法案を圧倒的多数で可決し、大統領の署名も済んで正式に法律が成立した。しかもこれから、同様の趣旨の法案を、カナダ、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、オーストラリアが審議を始めている。世界が中国制裁に向かいつつある。

米両院は、さらに12月にはウイグル人権法案も上院全会一致と下院407対1の圧倒的多数で可決している。中国政府がウイグル人を弾圧する理由は、彼らがイスラム教徒だからだ。99年からの法輪功の弾圧からも明らかなように、中国共産党は宗教を認めていない。100万人以上のウイグル人を強制収容所に収監する理由を、中国政府は「テロの防止」だと説明する。仮にテロリストが100万人以上も生まれるとしたら、その対象となる政府の異常を疑うべきだろう。

香港だけならまだしも、ウイグルの問題にまで手を突っ込まれたら、中国政府には落としどころがない。ウイグルの自由を認めれば、中国各地で少数民族問題が勃発して、中国政府は崩壊の危機に陥るだろう。

それが分かっていながら、そこに踏み込んだ米国は明らかにこれまでと別種の決意をしていると見るほかはない。だから、米国もまた、中国が正しい民主主義に変わるまで手を緩めるとは考えにくい。もちろん米国だってわれわれの目から見て決して完璧ではない。それでも世界の盟主として、米国か中国か二者択一の選択を迫られるとしたら、今の中国は選べない。

と、ここまで読むと、今回の米中摩擦が一時的な問題ではなさそうなことがお分かりいただけたと思う。おそらくは中国の統治体制が変容するまで、この経済戦争は終わらないだろう。共産党が何らかの歩み寄りポイントを見つけるか、政権を交代するかだ。最悪の場合は内乱という可能性すら否定できない。そういうことにならないように歴代用意されてきたシャドーキャビネットは、すでに習近平主席自身の手で解体済みだからだ。

さて、中国の未来は全く分からない。リスクの生起確率すら計算できない不確実性の中で、世界の自動車メーカーはどうなるのだろうか? やはり中国依存度が高いところが危ない。筆頭は欧州だ。これは自動車産業のみならず金融なども含めて中国と蜜月を深めすぎている。

国内ブランドでは、ホンダと日産がともに中国比重が高い。次いでマツダ。トヨタは中国での販売台数こそ多いが、全体の分母が大きい分、比率として中国は少ないため、影響は相対的に低めだろう。スバルとスズキは事実上中国販売がなく影響も当然ない。

中国の問題がこれ以上深刻化すればスバルとスズキ以外はみな影響が出るだろう。中国の落ち込み分を他のマーケットでカバーしようとすれば、選択肢は日米欧ということになるが、日本のマーケットが拡大できるとは到底思えない。欧州は中国との経済的結びつきが強く、経済全体に影響が出るだろう。そもそも日本のメーカーには、困ったからといって欧州で売上を積みませるようなメーカーはない。おそらくは、中国の問題が解決するまでは米国市場での拡大を目指すことになるだろう。20年代は自動車メーカーにとって波乱含みの年代になりそうだ。

(池田直渡)