――戦中、多数の日本兵が「戦争神経症」を発症し、軍の病院に“収容”されていた――。昨年、NHKのドキュメンタリー番組がその実態に迫り、大きな話題となったが、なぜこの事実は長らく明るみに出なかったのか? 精神を病んだ兵士が戦中・戦後に置かれた境遇を見ていくと、背後に巨大な問題があった。
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2018年8月に放送されたNHKのETV特集『隠されたトラウマ~精神障害兵士8000人の記録~』は視聴者に大きな衝撃を与え、何度かアンコール放送された。
2018年8月、NHKでドキュメンタリー番組『隠されたトラウマ~精神障害兵士8000人の記録~』が放送された。日中戦争~太平洋戦争期に、精神障害を負った兵士が送られた国府台陸軍病院(千葉県市川市)に保管されていた8002人の病床日誌(カルテ)を分析し、日本兵の戦時トラウマを明らかにしたことで反響を呼んだ。
同番組に協力・出演した歴史学者・中村江里氏の著書『戦争とトラウマ 不可視化された日本兵の戦争神経症』(吉川弘文館)によれば、戦争と精神障害の問題は、第一次世界大戦の欧米諸国における「シェル(砲弾)ショック」「戦争神経症」から広く知られるようになったという。その後、ベトナム戦争帰還兵の自殺やアルコール中毒などの増加が社会問題化したことで、「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」という診断名が誕生した。一方、日本で「PTSD」や「トラウマ」という言葉が流布し始めたのは、95年の阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件がきっかけだといわれている。
日本で戦争神経症は長きにわたり“見えない問題”として扱われたわけだが、第1次大戦後の陸軍はシェルショックの存在を認識していた。しかし、特に満州事変以降、天皇の軍隊に心を病むような脆弱な兵士はいるはずがないという“皇軍”意識の高まりもあり、陸軍は「日本軍に精神障害兵士は一人もいない」としたのだ。一方で日中戦争が始まった直後の1937年秋、精神障害兵士の専門治療機関として国府台陸軍病院を開設し、秘密裏に戦争神経症の研究を続けた。
国府台病院には37年12月~45年11月に1万人を超える兵士が入院し、その中には現在でいうPTSDに該当する患者もいた。だが、「当時はそのような考え方はなく、個人の弱さが原因になっていると考えられていた」と中村氏は番組内で発言。また、手足のけいれんを起こすヒステリーの症状も多く見られたが、「軍医たちは、ヒステリーのネガティブなイメージを避けるために、あえて『臓躁病』という言葉を使った」(中村氏)という。 かくして日本兵の戦争神経症は隠蔽され、終戦後、国府台病院のカルテも陸軍から焼却命令が出ていた。しかし、ある軍医が密かに持ち出したカルテをドラム缶に入れて庭に埋めたことで、焼却を免れた。そのカルテには、過酷な戦場で心をむしばまれていく兵士たちの姿が記録されている。
例えば日中戦争でもっとも多くの日本兵が精神障害を発症したのは、中国・河北省だった。同地では広大な地域を占領統治するには兵力不足だった日本軍と、山間部の村々を拠点に勢力を拡大する中国共産党の八路軍との緊張関係が継続。中国兵は民間人(農民)と同じ服装で、中には少年兵もいた。これを日本兵は討伐しなければならなかったのだ。
ある兵士のカルテには、「六人ばかりの支那人を殺したが その中 十二歳の子供を突き殺し可哀想だなと思ったこと いつまでも頭にこびりつき 病変の起こる前には何だかそれが出て来る様な感がする」と記されていた。地方の農村から徴兵された若者が中国に連れて行かれ、突然「人を殺せ」と命令されるのだから、そのストレスは計り知れない。
41年に太平洋戦争が始まると、国府台病院へ送られる兵士の数も急増。日本軍の拠点だったガダルカナル島では、空襲によるシェルショックに見舞われる兵士が多発し、63万人が送られたフィリピンでは多くの兵士がマラリアの感染から精神疾患を併発した。
中国でも山西省で八路軍がゲリラ戦を展開し、日本軍は劣勢に立たされていた。いつ襲われるかもしれない恐怖と夜通し歩き続ける行軍に日本兵は追い詰められ、自ら小銃を口にくわえ、引き金を引く者も。また、ある補充兵のカルテには、「次第に幻視幻聴 著明になり〈中略〉突然『聖徳太子が掃除をしろと言われた』と言い掃除を始めることあり」と、現在でいう統合失調症の症状も見られた。
戦闘行動による恐怖や不安、消耗が戦争神経症を発症させたが、それ以外に、日本兵に特有の発症の仕方がある。『日本帝国陸軍と精神障害兵士』(不二出版)の編著者で、国府台陸軍病院のカルテを30年にわたり研究してきた埼玉大学名誉教授・清水寛氏によれば、それは「日本軍の訓練や上官からの私的制裁」であり、カルテにもその証拠が数多く記録されているという。さらにカルテには、本来なら徴兵を免除されるはずの知的障害者約500人の記録も残されていた。清水氏は番組内でこう述べている。
「戦争が長期化、激化し、戦局が悪化していく中で大量の兵員を強制的に召集し、半数近くを中国大陸の戦場へ送り込んだ。軍隊での過酷な兵業に就く中でさまざまな身体的な疾病や精神的な障害も併発した」
終戦後も、精神障害兵士の多くが国立の療養所で生活を続けることになり、引き取り手のいない精神障害兵士は“未復員”と呼ばれた。85年まで約1000人が精神病の治療を必要とし、その半数以上が入院していた。戦後50年を経た95年に至っても253人が入院し、191人が入院外で療養。18年現在、6人が治療を続け、うち3人は入院中である。 なぜ、彼らは復員(軍務を解かれ帰郷すること)できなかったのか? 『隠されたトラウマ』にも出演し、ソーシャルワーカーとして国立武蔵療養所(現・国立精神・神経医療研究センター/東京都小平市)に26年間勤めた日本社会事業大学大学院教授の古屋龍太氏は、こう話す。
「国立武蔵療養所は日中戦争の激化を背景に、40年12月に開設されました(当時は傷痍軍人武蔵療養所。戦後、日本軍の解体に伴い改称)。入院患者の大多数は国府台陸軍病院からの転送患者で、40~45年に953名の患者が収容され、もっとも入院者数が多かったのは44年12月の417名。彼らの8割近くが精神分裂病(統合失調症)と診断されていました。私が入職した82年には、約50人の未復員の方々が入院されていました」 古屋氏を含む武蔵療養所の職員は、彼らの診療に当たる一方で、症状の軽い患者の社会復帰活動も積極的に行っていた。
「当時、小平にも新興住宅ができていたので、郷里には帰れなくとも、アパートで単身生活をしていただくために、今でいうアウトリーチ(療養所からアパートへの訪問)やデイケア(日中は療養所で過ごしてもらう)という形で支援をしていました」(古屋氏、以下同)
しかし、やはり彼らを“復員”させることは非常に困難だった。その原因のひとつが、家族・親族からの反対である。
「未復員の方々は軍人として、戦傷病者特別援護法という法律に基づいて入院しており、軍人恩給が支給されます。病院内にいる限り、入院されているご本人はそのお金をほとんど使う機会もありませんから、ご家族に管理していただきます。しかし退院すれば、恩給はご本人の大切な生活費になります。残念なことですが、入院中の恩給がすべて家族によって消費されてしまい、ご本人の退院時には預金残高がゼロということもありました」
また、未復員の人たちは、故郷では“英霊”扱いになっているケースもあるという。要するに、「勇敢に戦って死んだことになっているのに、実は東京で精神科病院に入れられていたことが今さら周りに知られては困る」と、故郷の家族・親族から拒絶されてしまうのだ。
「当時は精神疾患自体に対する偏見が現在の比ではなく、ハンセン病や結核以上に忌み嫌われる存在だったんです。この国では戦後一貫して、国策として精神障害者は精神科病院に長期隔離収容すべきという方針が示されていました。80年代前半はまだ精神衛生法の時代だったため、自傷他害の疑いがあり精神鑑定によって入院させられる措置入院か、家族など保護者の同意に基づいて入院させる同意入院の2つの入院形態しかありませんでした」
“同意入院”といっても、そこに本人の同意はない。すなわち、患者の100%が強制入院だったのだ。この法律の観点から見ると、戦傷病者は措置入院ではなく同意入院であり、家族が「入院させておいてくれ」と言えば、本人が退院したくてもできないことが多かった。
「しかし、84年に宇都宮病院事件という、精神科病院の職員による患者のリンチ殺人が発覚します。この事件が国連の人権委員会でも討議され、日本の精神科医療は国際的な批判を浴びました。これを受けて厚生省(当時)も法改正に着手せざるを得なくなり、87年に施行された精神保健法の下、初めて任意入院という、本人の同意(インフォームド・コンセント)に基づく入院制度ができました」
任意入院制度ができたことで、精神科病院の了承を得られれば任意退院も可能になった。だが、戦特法下にある戦傷病者に関しては、また別の事情が絡んでくる。それは、「戦争=国家の責任で精神疾患を発症した患者を途中で放り出すとは何事だ」という批判だ。事実、古屋氏によれば、厚生省に対してそういった訴えを起こす家族・親族もいたという。
「確かに、入院している限り未復員の方々は最低限のケアは受けられます。ただ、病院の中で暮らさせることが国の責任をまっとうすることなのか。むしろ、退院できる方は地域で暮らし、そのための支援を受けるのが当たり前でしょう。しかし、日本で精神障害者を地域や在宅でケアをするという具体的な施策が打ち出されたのは00年で、国が本格的に退院促進・地域移行に動き出したのは03年以降。それから15年以上たちますが、残念ながら目立った成果はありません」
NHKで放送された『隠されたトラウマ』を通して、確かに日本の精神障害兵士に注目が集まった。それ自体は好ましいことではあるが、「やはり遅すぎた」というのが古屋氏の率直な感想だ。
「未復員の方々は、国家に人生を壊されたばかりか、日本の精神科医療政策の中で、残された人生の時間までも奪われた。しかも、残念ながらそのほとんどが亡くなってしまった段階で、ようやく日の目を見たわけです。さらに言えば、彼らと同様に超長期入院を強いられている精神障害者の方は、現在も数多くいます。11年以降の統計では精神科病棟で亡くなる方が年間2万人を超えており、1日に50人以上の方が入院中に亡くなっているという現実は何も変わっていない」
この国の実態として、一度入ったらほぼ出られない精神科病院もいまだに多い。
「退院できる方はたくさんいます。ソーシャルワーカーという福祉職から見れば、問題は患者さんの病状ではなく、むしろ患者さんが地域で暮らせる環境を整えられないことです。医療制度的にも問題があって、要は精神科以外の診療科だと入院期間が長くなるほど診療報酬の点数が減り、病院としては赤字になるのに、精神科の場合は病床さえ埋まっていれば最低限の経営ができてしまう。長期間ベッドを埋めてくれる患者さんが固定資産化している状況です」
精神科病院は経営的にうまみのある患者を手放そうとしないし、家族も「入院させておいてくれ」と言い、地域で支援する体制も不十分。その間、精神障害者は社会から隔離され続ける。このような事態は、ほかの先進国からすると考えられないと古屋氏は指摘する。
「『隠されたトラウマ』でも思わず言ってしまいましたが、日本だからこういうことが起きているんです。例えばアメリカでPTSDの問題に注目が集まったのは、国民がベトナム帰還兵のケアに懸命に取り組んだから。一方、日本は臭いものにふたをするという体質で、なによりも、精神障害者の方々それぞれに人権があるということに非常に鈍感ですよね」
ことは戦傷病者だけの問題だけでなく、日本の精神科医療全体の問題でもある。それを踏まえた上で、ようやく日の目を見た日本兵のトラウマの記録から得られる教訓はあるのか?
「教訓を得ようとするならば、まず自衛隊員のメンタルヘルスの状況をきちんと統計で出すこと。例えば15年の政府答弁で、海外派遣された自衛官のうち54名が帰国後に自殺していたことが明らかになりました。その主たる原因はPTSDやうつ病だと思うのですが、情報が開示されない以上、検証すらできません。だから、とにかく事実を隠さないでほしい。統合失調症は約100人にひとりが発症しますし、うつ病なども含む精神障害は現在も増え続けています。それが『自衛隊の中にはひとりもいません』などということはあり得ないでしょう」
現在も政府による公文書の改ざんや隠蔽がたびたび疑われるこの国にとって、情報の開示はもっともハードルが高いように思える。しかし、それができなければ、同じ過ちを繰り返しかねない。(月刊サイゾー9月号『新・戦争論』より)