◆毎年参加していた区のイベントにも菅原一秀の姿なし
としまえん内で1月7日、地元政治家と区民が懇談する練馬区賀詞交換会(区・区議会主催)が開催された。カニやメロンや香典などを有権者に贈った買収疑惑報道を受け辞任した菅原一秀・前経産相も、例年参加しているという。
会場で配布された式次第には、今年も菅原氏の名がしっかり入っている。
ところが式典が始まり来賓が壇上の席に並んでも、そこに菅原氏の姿はなかった。「菅原一秀」の名札を付けた、別の男性が壇上で着席している。菅原氏の公設秘書だ。
来賓紹介で自民・公明・立民・共産・都民ファースト各党の都議会議員が紹介されても、菅原氏は呼ばれず。全ての来賓が紹介された最後に、鈴木隼人衆議院議員とともに「欠席のため代理の方が出席」として紹介された。
◆菅原事務所女性秘書、体当たりで取材妨害
区長や区議会議長の挨拶などが済むと、会場では来賓の政治家たちと区民が入り混じって立食会。菅原氏本人不在のまま、菅原氏の似顔絵をプリントしたスタッフジャンパーを来た秘書ら4人が、区民たちのテーブルを回って挨拶していた。
筆者とジャーナリストの鈴木エイト氏は秘書たちに菅原氏欠席の理由を尋ねたが、秘書たちは無視。記者も食事をしながら、挨拶回りをする秘書らの様子を観察した。女性秘書が、取材の邪魔をするために記者に体当たりをしてくる。その秘書が着ているスタッフジャンパーにプリントされている菅原氏のイラストは、ラグビーのユニフォーム姿だ。
◆支援者から飛び出る、呆れた発言
秘書によるラグビー風味のタックルに耐えながら観察していると、支援者と思しき人々が秘書たちに、こんなことを言っているのが聞こえてきた。
「まあ、この逆境はしょうがないよ。そちらにも言い分はあるだろうけど、頑張って」
秘書たちは「はい」「ありがとうございます」と言って頭を下げる。
確かに自業自得なのだからしょうがない。しかし、中には秘書たちにこんな言葉を投げかける区民もいた。
「いろいろ大変だろうけど、これから(収賄容疑で逮捕された)秋元(司・衆議院議員)さんに注目が集まるから大丈夫だよ」
「(有権者への香典などは)みんなやってるんだからさ」
もちろん、中には声をかけてきた秘書に対して、手で振り払うような仕草をして追い払う区民もいた。しかし聞こえてきた会話の中で、いまだ有権者買収問題について説明しない菅原氏について苦言を呈する声はなかった。
◆「メロンもカニも忘れてないぞ」の声も
賀詞交換会は1時間半ほどで終了した。
会場を出て、さらにとしまえんの敷地を出ると、入口前で「菅原一秀議員に説明責任を求める会」の人々が菅原氏を批判するアピール活動をしていた。賀詞交換会の来場者の大半が通る場所だ。
「菅原一秀は練馬の恥」
「説明責任果たせ」
「メロンもカニも忘れてないぞ」
そんなプラカード群が立てかけられている。「菅原一秀議員に言いたいこと」と書かれたメッセージボードには、有権者たちが書き込んだと思われる、こんな言葉が並ぶ。
「即、議員辞職しろ」
「国会に出てきなさい」
「いつになったら説明に立つ?」
アピール活動をしていた男性がギターに合わせて歌い出した。アニメ「一休さん」の主題歌を替え歌にして、「(菅原)一秀さん」を連呼している。
笑い声をあげたり写真を撮ったりする賀詞交換会来場者もいた。ある来場者は、笑いながら「これやられたんじゃ、菅原さんも(賀詞交換会に)来れないだろうなあ」と話していた。
◆「あす国会で説明します」からはや2ヶ月
菅原氏については昨年12月26日、『しんぶん赤旗』が〈菅原前経産相 こっそり活動再開〉との見出しで、〈疑惑の渦中にありながら国会で説明責任を果たさずに雲隠れしていた菅原一秀前経済産業相が24日、東京都練馬区にある大学病院の竣工(しゅんこう)式であいさつしていました〉と報じている。記事は、〈みずからの疑惑について一言もふれず、議員を続ける意向を示しました〉としている。
しかし本誌既報のとおり、菅原氏はほぼ毎日続けてきたことが自慢の駅頭活動も中断しており、仕事初めの1月6日にも秘書らスタッフだけが駅頭に立っていた。例年出席しているという賀詞交換会も欠席し、完全にオープンな場には未だ姿を現していない。
「あす国会で説明します」と報道陣に言い残したまま辞任した昨年10月25日から、すでに2カ月以上が経過している。
<取材・文・撮影/藤倉善郎 撮影・取材協力/鈴木エイト>
【藤倉善郎】
ふじくらよしろう●やや日刊カルト新聞総裁兼刑事被告人 Twitter ID:@daily_cult4。1974年、東京生まれ。北海道大学文学部中退。在学中から「北海道大学新聞会」で自己啓発セミナーを取材し、中退後、東京でフリーライターとしてカルト問題のほか、チベット問題やチェルノブイリ・福島第一両原発事故の現場を取材。ライター活動と並行して2009年からニュースサイト「やや日刊カルト新聞」(記者9名)を開設し、主筆として活動。著書に『「カルト宗教」取材したらこうだった』(宝島社新書)