50年目の桜島防災訓練「若者も参加を」 最大級「大正噴火」再来の危険も

20世紀以降国内最大規模の噴火とされる鹿児島市・桜島の「大正噴火」(1914年)が起きた1月12日の前後に毎年ある「桜島火山爆発総合防災訓練」は11日、最初の訓練から50回目の節目を迎えた。桜島の地下深部では蓄積マグマの量が当時の9割に達し、近い将来同レベルの大噴火が起こりうるとされるが、訓練に参加する若者は少ないのが現状だ。噴火の記憶を伝え聞く島民は「災害を我が事と思って参加してほしい」と呼びかける。
「大噴火の時、幼かった義母は家畜の牛と一生懸命歩いて逃げたそうです」。同市桜島横山町の竹之内フヂ子さん(72)は夫一男さん(82)の母親から当時の話を繰り返し聞いた。
大正噴火では大量の軽石や火山灰が降る中、真冬の海に飛び込んで逃れようとした島民が溺れるなどして死者・行方不明者は58人に上った。錦江湾に流れ出た溶岩で桜島と南東の大隅半島が陸続きになり、噴石と火山灰は桜島で2メートル近く積もったという。
桜島ではその後も噴火が相次いだため、県や市町村でつくる「桜島爆発対策連絡協議会」の方針を受けて71年1月、鹿児島市と当時は市と合併前の西桜島村が防災訓練を始めた。竹之内さんが看護師として働いていた島の病院には、登山中の鹿児島大生ら10人が死傷した55年の「南岳爆発」で救護活動などを経験した医師らもいて、訓練は切迫した雰囲気だった。
訓練の規模は年々拡大し、島外の鹿児島市街まで広がった。一方で大正噴火の被災者や体験を聞いて育った世代が減り、多くの島民にとっては避難港までの道順を確認するだけの年中行事になっていったという。
参加者に緊張感が戻ったのは桜島の噴火警戒レベルが現在の3(入山規制)から一時4(避難準備)に引き上げられた2015年8月。大正噴火から100年が過ぎ、いつ同規模の噴火が起きるか分からないと指摘される中、市は避難計画を拡充し、訓練は具体性を増した。
11日の訓練は、警戒レベルが5(避難)となった想定であり、過去最多の約180機関・団体、計約5000人が参加する他、避難用のバス8台を用意。桜島フェリーも1便を訓練用に運航するなどかつてない規模である。
従来の避難計画では、車を持たない島民は島内22の避難港まで自分たちで行かなければならず、全島避難には最大4時間かかる見込みだった。しかし、島民の意見を反映した新避難計画案に沿って実施される今回は、島内各地のバス停を避難バスが回り、住民を輸送する。島西部の住民はフェリーで島外へ、東部の住民はバスで隣接する鹿児島県垂水市へ向かい、全島避難の時間半減を目指す。
民生委員として住民に参加を呼びかける竹之内さんは、高齢者に比べて若い世代の参加が少なく、以前と比べ地域の結びつきも弱くなっていることが気がかりだ。「災害が起きたらどうなるか具体的なイメージを持てるように、私たちが語り継いでいかないと」。半世紀の節目を迎える訓練を前に、竹之内さんは思いを強くした。【菅野蘭】