韓国人コメンテーターとしてテレビのワイドショーや討論番組に出演している金慶珠さん。彼女は一方で東海大学教養学部国際学科教授の学者でもある。テレビでは、韓国の事情について詳しく解説する金さんだが、どうもヒール(悪役)的な存在に思われることが多いように思える。
いったい素顔はどんな人物なのか。直撃インタビューを試みた。
「自分がヒール役だとはまったく気づいてなかったですね(笑)。普段の私は可愛げがあり、突っ込みがいのある女性と言われますよ。むしろ周りもそういう印象なのかと思っていましたが、バトル系の番組でヒールな感じで扱われるのはなんともショックなんです。私はお茶目で『乙女』なんですよ」
開口一番、金さんの口をついて出てきたのはそんな言葉だった。
「おそらく『TVタックル』に出演するようになったあたりでしょうね。私にそんなイメージがついたのは」
政治を題材にした討論バラエティ番組『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日系)は、ビートたけしが司会を務める長寿番組である。金さんは、2007年頃からたびたび出演するようになっていた。
「その当時って、韓流ブームが終わり、竹島問題が注目され、『嫌韓論』が一気に吹き出した頃でした。韓国は面白くて好き、でもやっぱり嫌い、という人たちがいるような葛藤の時代だった気がしています。そこに私がちょうどメディアに出はじめてきたんですね。私としては、大学で学者としての仕事をスタートし始めた頃で、とにかく韓国についての情報発信したいという思いが強かったんです」
当番組では、金さんとゲスト出演者との白熱した議論がたびたび話題になった。
「私にしてみれば、とにかく自分でしか発言できないことを説明していただけ。そもそも私はヒールだからヒール役で出演したんじゃなくて、テレビという構図の中で、善玉、悪玉の役割が必要で、彼ら(制作側)が思う悪玉にたまたま私がハマったのだと思います」
金さんは、そうしたメディア構造を、人間と野獣が戦う古代ローマの円形闘技場コロッセウムに例えた。
「私は、自分はソルジャーだと思って一所懸命頑張っていたのに、気がついたら野獣にさせられていたんですね(笑)」
大衆は観客席から「殺せ殺せ」と大声をあげる。
「とすると、野獣としての戦いぶりがあるだろうと思った。それを誰かがちゃんと見てくれたら、真実が伝わるかもしれない。だから、私に信念があるかどうかが、単なるイロモノで扱われるかの分かれ道なんですね。嫌われ者、ヒール役と言われても、それでも動揺せずに済んだのは、私には悪意がなかったから。悪玉と言われても、自分の利益のためにやっていることではなかったからだと思います。
そもそも私がテレビに出る理由は、情報発信ですからね。好きか嫌いかとか正しいか正しくないかを決めるのは私の役割ではない。『実はこうなんです』ということを私にしか見えない何かを伝えていく、というのが私の役目だと思うからなんです」
それでも悔しいと思うこともあった。
「一所懸命やればやるほど悪玉になっていく、という矛盾もありました。一所懸命なぶん叩かれる。すると『よし、今度こそ』という強い思いも出てくる。そういう空回りの時代もずいぶんありました。
だったら、私に与えられる舞台が悪玉なら、それはそれでこなすしかない。私としては、修行のつもりで出てましたね。おかげさまでずいぶん叩かれ強くなりましたけどね(笑)」
金さんは、韓国ソウルで生まれた。1974年、7歳の時に父親の仕事の関係で家族で来日。父親は韓国の銀行に務めていて、関西にあった支店に配属となったのだ。
「小学校2年生で来て、6年生まで日本にいました。公立の普通の小学校でしたね。言葉もまるでわからなかったけど、子どもだったのですぐ覚えました。3年生の頃はほぼ会話に困ることはありませんでした。クラス替えの時に『寂しいね』と友達と話したのを覚えています」
そして小学校卒業と同時にソウルに戻り、ソウル市内の中学に進学した。
「向こうに帰ったら、年配の先生が、歴史の授業で『日本は悪い国だ』とか言うので驚いたんです。うちに帰って母親に『お母さん、日本って悪い国なの?』と泣きながら聞いたらしいんですね。『悪くないのにぃ』なんて言ってたみたい。
ソウルの学校で習う日本の姿と、一般の韓国人が認識する日本の姿、そして私が経験した日本の姿は全然違うわけですよ。そういう違和感はあったけど、でも『そんなもんかな』とは思っていましたね」
アイデンティティでいうと、金さんは韓国人なのだが、普通の韓国人ともちょっと異なる。
「小学生って言語獲得機能があると同時に、文化獲得機能もあるんですね。だから、私には『畳の匂い』や、『コタツに入ってみかんの皮を剥きながら紅白を見る』という体感的な理解が備わっている。在日でもないし、大人になって日本に来たニューカマーでもない。第三のアイデンティティみたいな。幼少期は日本で過ごして、韓国に戻る。ちょうど70年代に韓国で出てき始めた帰国子女的なものかもしれないですね」
韓国を代表する名門女子大学である梨花女子大学に進学、社会学科を卒業する。そして再び来日し東京大学の大学院に留学した。
「日本へ留学に来たのは、当時20代後半で、韓国がつまらなかったからなんです。親は『嫁に行け、嫁に行け』とうるさかったし、何かちょっと楽しいところに行きたくなった。そこで『あ、そうだ。日本に行こう』と思って留学したんです」
東京大学大学院の総合文化研究科博士課程修了。2002年には東海大学外国語教育センターの専任講師に就任する。その頃から、日本では「アジアの時代」と言う言葉が盛んに使われるようになっていた。大学などの教育の現場でも、韓国を専門とする人の採用も行われるようになっていたのだ。
「学位も取れて日本の大学に就職したわけですから、最初は『教育の交流を通じて、日韓関係をよくしていく』というのが自分の役割だろうと思って仕事をしていたんですが、あんまりうまくいかなかった」
実際に大学の現場で、金さんが直面したのは日本人の韓国に対する基本的な理解不足だった。
「韓国に対する興味そのものはあるんだけど、如何せん韓国がどういう国かということの情報が少なかった。つまり、普通の人にとっては韓国も中国も同じようなひとまとまりのアジア、というイメージでしかなかったのです。だからまずは情報発信するしかないと考えました。
でも、情報の伝わり方にも問題があると思った。論文は学者に対しての情報発信に過ぎないし、本も一部の知識を持った人たちしか手に取らないでしょう。一般大衆の認識が変わらないと何も変わらない。じゃあ、メディアを通じて社会に発信してみようと…」
そう思って日本のテレビを見ていると、韓国について語るのは、在日韓国人の学者かステレオタイプの韓国人学者やジャーナリストばかりだった。
「それを見ていて、もっと違う角度で話したい、ならば私が出よう! と思いました。私のアイデンティティは在日でもないし、ニューカマーの方々とも背景が違う。私はどちらの言葉もネイティブに話せる。そういう意味では役割はあるだろうと思ってました。そしたら、ある日偶然お声がかかったんですね」
2005年のことだ。声をかけたのはテレビ朝日が運営していたニュース専門チャンネル『朝日ニュースター』だった。そこで、金さんはメディア進出のチャンスを掴む。
「ある時、番組プロデューサーから突然『金さんって好感度とかあまり関係ないよね』と言われました。この人は、女性のキャスターを探していたんですね。それで日本の女性も面接したのだけど、日本の女性は視聴者からの好感度を気にするので、あまりズバズバ言わないと。でも、私を見ていたらそんなのあんまり関係なさそうだから、『どう?』って言われたんです(笑)」
本格的にテレビに出るのは初めての経験だった。『ニュースの深層』という番組で、毎回、様々な専門家や国会議員などが出演して1つのテーマでじっくり話す、という内容だ。
「毎週猛勉強でした。生まれて初めてくらいに一所懸命勉強しました。ありとあらゆる分野でしたから、いきなりの大役でしたね」
ここでは、毎週月曜のキャスターとして6年務めた。そして次第に認知度が高まり、『TVタックル』や『朝まで生テレビ』にも出演、韓国人コメンテーター、時に論客としての立場が定着していった――。
それにしてもなぜ金さんがモノを言うと炎上してしまうのか。本人はこう分析する。
「基本的に私がどうこうという問題じゃないと思います。つまり、日韓関係の状況が悪いと、私が叩かれる、ということ。私は政治家でもないし、日韓関係の悪いところに関わっているわけでもない。
ただ『韓国は何を思っているのか。何を思ってこういうことをやっているのか』ということに対して、『韓国はああなんだから変なんだからほっとけ』と言ったらそこでおしまいになっちゃうでしょう。そこからは何も生まれない。
だから私に課せられた役割は、『でも実は、韓国なりの意図や彼らなりの判断があるわけですよ。日本から見たらおかしいと思えることでも理由はある』と解説することだと思っています。でも、そうやって解説すると、いわゆる『反日』というふうに言われるんですね」
金さんにとって一番怖いことは、「知らないのに排除してしまう」ことだと言う。
「もちろん、私が言ってることがすべて正しいとは思いません。でも一番危ないのは、知らないことではなくて、知らないけど排除してしまうことなんです。自らが自らの情報の中に、自らを囲おうとする風潮が怖い。
つまり、知りたいものだけを知る、見たいものだけを見る、聞きたいことだけを聞く。特に今のネット時代の情報のあり方は完全にそうなっていますね。むしろテレビのように情報出し放題の方が、否応なしにいろんな情報を接する機会があった。
ネット上では、自分と同じような考え方、心地いい情報に流れてしまいますよね。だから、自分の聞きたくない情報、それこそ『不都合な真実』に対して、『見ざる言わざる聞かざる』と言う姿勢を人々は取ってしまうのです」
金さんは、日本人のレッテル貼りをしたがるところにも問題があると言う。
「テレビなどに出ると、親日なのか、反日なのか、ということをよく聞かれます。そういう質問には一切答えなかった。その質問自体、非常に不愉快でしたね。私に『踏み絵を踏め』と言うの? あなたの『反日・親日』の基準がわからないのに?
最近は、面倒臭いのであえて『私、親日保守だけど。それで何か?』と言うんだけど、答えるたびに気持ち悪い。なぜ、私はそう言うことを言わなければならないのか。じゃあ、私が反日左派だったらどうするのか。そういうレッテル貼りをしたがる。その枠の中で相手を見る。きっと私は『反日、嫌われ者』、そういうマイナイスのレッテルが貼られているんだと思います」
金さんは、9年ほど前から、芸能プロダクションホリプロの所属となった。
「所属する時に最初に言ったんです。『私、日本でどうすればお金を稼げるかよくわかっています。それは私がテレビで韓国の批判をすればいい。きっと、講演などの依頼もあるでしょう。でも、私はそれをしない。それが目的ではないから』とね。お金儲けのためだけだったらそれでいいし、とっくの昔にやっていたと思います。それはヒール役よりも卑怯な役割、ジャイアンじゃなくてスネ夫とでも言いましょうか(笑)」
プライベートなことも聞いてみた。
「結婚は経験なしです。予定もないですよ。もともと男性に依存するタイプではないのだと思います。だから、本当に好きな人としか付き合おうとは思わない。もちろん恋愛は素晴らしいですよ。私は尽くすタイプなんですよ。好きになると、何事も手につかなくなる。そういう不器用な恋愛しかできないんですね」
日韓関係はこれからどうなってゆくのだろうか。
「私は日本寄りでも韓国寄りでもない。どちらかを選べと言われても困る。言えることは、日本人と韓国人は『似て非なる人々』だということ。とても似ているんだけど、全く違う面も併せ持っている。それが面白いところでもあるんですけどね。
これから100年後も1万年後も、日本と韓国は隣国同士であり続けるでしょう。物理的な距離というのは関係を築く上で重要な要素なんです。『ほっとけ、めんどくさい』ということ自体が意識してるってこと。本当にほっとくなら、話題にすらあげなくていいのに、本屋に行ったら、めちゃくちゃ嫌韓本があって、そういう愛憎入り乱れる、特殊な関係をお互い理解していって欲しいなと思うんですね」
それにしても、タフな女性である。日韓問題の本質を語る時の雄弁さ、学者らしい語彙の多さにも舌を巻く。しかし、その根底には日本で過ごした幼少時代やソウルで暮らした日々、そして再来日して体験した波乱万丈の経験が根付いていると感じた。
今度、テレビで彼女を見たら、レッテルを貼るのではなく、彼女の話す内容にもっとじっくり耳を傾けたい、そう感じたインタビューだった。