【坂本 治也】日本人は、実は「助け合い」が嫌いだった…国際比較で見る驚きの事実 そして背後にある「政治嫌い」の意識

2011年、東日本大震災が発生した直後、被災地の支援・復興のため、多数のボランティアと多額の寄付金が日本全国から集まった。自然と湧き上がった人々の助け合いの気持ちに、激しく心を揺り動かされた人は決して少なくなかったはずだ。あの時、私たちは「やっぱり日本人には、強い助け合いの精神があるんだ!」と再確認できたような気になっていた。
しかし、それは一時的な熱狂にほだされる中で目にした「錯覚」だったのかもしれない。国際比較の観点から見れば、平時において「日本人に強い助け合いの精神がある」とは言い難い。むしろ現状では、「困っている他者に冷淡な日本人」と言った方がより正確なのかもしれない。
確かに近年の日本では、NPO法人など社会貢献活動を担う組織の数は激増している。企業の社会貢献活動も普通に見られるようになった。ソーシャル・ビジネスなどで活躍する「社会起業家」の存在がメディアで取り上げられることも多くなった。
しかしながら、多くの一般の人々が行う寄付やボランティア、あるいは地域社会やNPOへの参加は、残念ながら3.11以後も低調なまま推移している。積極的に「共助」活動に関わる者は、依然として一部の人々に限られている。大規模災害時などの非常時を除けば、日本人の「共助」に対する姿勢は、案外消極的なのである。

上記の点について、各種意識調査のデータを基に確認していこう。イギリスのNPOであるCharities Aid Foundationが公表したWorld Giving Index 20181というレポートでは、寄付やボランティアの頻度を基に世界各国の「共助」レベルのランキングが示されている。調査対象となった世界144カ国の中で、日本の順位は128位である。先進国として最低ランクに位置する。
同レポートの調査では、過去1ヶ月の間に、(1)困っている見知らぬ他者の手助けをした者の割合、(2)慈善団体に寄付した者の割合、(3)ボランティア活動に時間を割いた者の割合、が各国ごとに調べられている。日本の割合は、(1)=23%(世界142位)、(2)=18%(99位)、(3)=23%(56位)である。とくに(1)と(2)が他国と比べて低調といえる(図1)。
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図1 国際比較で見た日本人の慈善的行為出所:World Giving Index 2018のデータを抜粋して筆者作成。
同様に、内閣府が2018年に実施した「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」2では、日本を含む7カ国で13~29歳の若者を対象に「ボランティア活動に対する興味」の有無を尋ねているが、日本の若者のボランティア意欲は調査対象国の中で最も低いことが明らかとなっている(図2)。
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図2 国際比較で見た日本の若者のボランティア活動に対する興味出所:内閣府「令和元年版 子供・若者白書」のデータより筆者作成。
筆者が共同研究者と共に2018年2月に実施した、18~79歳の日本人を対象とした意識調査(有効回答1528件)においても、「共助」に対する消極姿勢や忌避意識の強さが確認できる。
寄付を年1回程度以上の頻度で行う者は全体の半数に満たない。ボランティアや献血については、約半数の者が過去に「経験(経験の記憶)がない」と答えている。それらに比べれば、道に迷っている人の道案内は、比較的取り組まれることは多いが、それでも頻繁に行っている者は少ない。
他方、友人や会社関係の人々におごったり、金品を贈ったりする機会は、それなりにあるようだ。しかし、そういった他者に対する「贈与」は、顔見知りの狭い仲間内の範囲で行われることが多く、見知らぬ他者に対してまでは広がっていない(図3)。
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図3 「共助」活動の行動頻度出所:坂本治也・秦正樹・梶原晶「政治と社会に関する調査」2018年2月。

実際の「行動頻度」ではなく、「関与意識」について見ても、自治会活動、NPO・市民活動、1万円以上の寄付(=「社会的投資」としての積極的寄付)などに積極的に関与したいと答えた者はごく一部にすぎない。逆に、それらに「関わりたくない」と明確な忌避意識を示す者がおよそ4割にも上っている。
他方、ボランティア活動については忌避意識をもつ者は23%と少ない。しかし、「やってみたい(今後もやっていく)」と積極的な関与意識を示す者は26%にとどまっており、やはり好んで行われる活動とは言い難い(図4)。
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図4 政治参加と「共助」活動参加への関与意識出所:坂本治也・秦正樹・梶原晶「政治と社会に関する調査」2018年2月。
図5に示すように、じつは日本人の社会貢献意識は1990年代以降、年々増加傾向にある。「何か社会のために役立ちたい」という利他的な気持ちをもつ者の割合自体は、決して少なくないのである。しかし、そういった利他心を活かす手段として、自治会、NPO・市民活動、ボランティア、寄付などが多くの人々に十分受け入れられていないのが現状である。
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図5 社会貢献意識の推移出所:内閣府「社会貢献に関する世論調査」より筆者作成。
以上のように、総じて日本人は、現状では「共助」を忌避する傾向が強い。この事実に対して、「別にそれで構わないのではないか? 寄付やボランティアはやりたい人だけがやり、やりたくない人はやらなければ、それでよい。困っている人を助けるのは、政府の役割・責任だろう」というリアクションがあるかもしれない。
もちろん、筆者も「公助」がもっと広まっていくこと自体には賛成である。確かに、結果的に困っている人が救われるのであれば、「共助」か「公助」かは、それほど重要な区別ではないのかもしれない。

しかし、困ったことに、日本人は「公助」による人助けについても、他国に比べれば冷淡な態度をとる人が多い。ISSP(International Social Survey Programme)が35カ国を対象に2016年に実施した「政府の役割」調査3によると、日本は他国に比べると、社会保障の充実を「政府の責任」だと考える者の割合が少ないことが明らかとなっている。
たとえば、「失業者がそれなりの生活水準を維持できるようにすること」が「政府の責任」だと考える者の割合は、日本では53%であり、他国に比べて低水準である(図6)。このような傾向が日本で見られるのは、世界最悪といってよい日本の財政状況が影響していることは間違いないであろう。
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図6 失業者の生活保障は「公助」対象かについての各国の認識出所:ISSP「政府の役割」調査よりデータを抜粋して筆者作成。
以上を踏まえると、「『共助』は弱くても『公助』を充実すれば、それでよいではないか」という考え方も、日本では簡単には広がっていかないことが理解できる。
図6を見れば、日本と同様に、アメリカ、イギリス、オーストラリアなど、いわゆるアングロサクソン系の国々でも「失業者の生活保障は政府の責任」と考える者の割合は少ないことがわかる。しかし、これらの国は、図1で示したWorld Giving Index(≒「共助」への意欲)においては、最上位に位置する国でもある。つまり、世界トップクラスの「共助」が存在する国といえる。
これらの国では、「公助」は控えめで良いと考える反面、市民同士による「共助」をしっかり充実させていく、という考え方をとる人が多いのであろう。これはこれで、1つの「国のあり方」だといえるかもしれない。
他方、日本は、「共助」も「公助」も控えめで良い、と考える世界でも稀な国である。自分は寄付・ボランティア(共助)も税金(公助)も負担したくない、失業や貧困などで困っている人は自分の力でなんとかすべきだ。このように、「自助」と自己責任を強調するのが日本人の特徴と言える。
確かに日本人は、家族・友人・同僚という「内輪」には優しい(=甘えと身内びいきを許す)のかもしれない。しかし、「内輪」の範囲を超えた他者に対しては、結構冷たいのである。国際比較の観点からは、そんな日本人の意外な姿が浮かび上がってくる。
日本が「自助」社会のままでよいと考えるのであれば、これ以上検討の余地はない。しかし、そうでないならば、「共助」か「公助」かを充実していくための方策を検討する必要がある。
「公助」充実のための方策については井手(2018)などの議論に委ねるとして、本稿では以下、どうすれば日本人の「共助」への忌避意識を減らすことができるのか、を検討してみたい。忌避意識を減らすための有効な解決策を導き出すためには、そもそも「なぜ『共助』は忌避されているのか」についての冷静な分析がまず何よりも求められよう。

「共助」への忌避意識を説明する要因としては様々なものを考え得る。筆者が注目しているのは「政治嫌い」という要因である。
図4でも示したように、日本人は投票以外の政治参加に対して、とりわけ強い忌避意識をもつことが知られている4。選挙活動を手伝うこと、陳情、署名活動、デモなどの抗議活動など、投票以外の形態で政治に関わることを極力避ける、自分以外の他者がそれらの政治参加にコミットすることにもあまり良いイメージを抱かない、そういった政治参加の有効性を疑う、といった傾向が見られる。
こうした強い「政治嫌い」の傾向が、一見すると「非政治」的な自治会・NPO・寄付・ボランティアなどの「共助」活動にも影を落としているのではないか、というのが筆者の見立てである。
図7、図8は、筆者らの意識調査のデータを用いて統計分析した結果をわかりやすく示したものである。政治全般に対する関心が高まるほど、NPO・市民活動に「関わりたくない」と答える確率は低くなる。同様に、公的機関(政治家・中央省庁・自衛隊・裁判所・地方自治体)への信頼度が高まるほど、NPO・市民活動に「関わりたくない」と答える確率は低くなる。これらの結果は、回答者の年齢、性別、世帯収入、学歴、保革イデオロギーなどの他の変数の影響を統制した上で得たものである。
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図7 政治への関心とNPO・市民活動への忌避意識の関係エラーバーは95%信頼区間
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図8 公的機関への信頼度とNPO・市民活動への忌避意識の関係エラーバーは95%信頼区間
また、詳細な結果は省略するが、同じような関係が、ボランティア活動、1万円以上の寄付、自治会活動に対する「関わりたくない」意識についても概ね確認できる。つまり、政治への関心や公的機関への信頼度は、それらの「共助」活動にも有意な影響を与えている。
これらの分析結果から、政治に対して不信感をもち、政治から距離を取りたがる人ほど、NPO・自治会・寄付・ボランティアなどの「共助」活動からも遠ざかろうとする傾向が確認できる。そこからうかがえるのは、「政治嫌い」が「共助嫌い」を助長してしまっている可能性である。政治によって毀損されてしまった「公共」のイメージが、「新しい公共」である「共助」活動にも投影されてしまっている恐れがある。
上記の分析はあくまで試論的なものであり、より正確な因果関係の把握は、更なる精緻な分析を必要とする。
しかし、もし筆者の仮説が正しいのであれば、日本人の「共助」活動への忌避意識を克服するのは、かなり長い道のりとなるかもしれない。根深い「政治嫌い」の文化を克服することなしに、多くの日本人が「共助」活動に抵抗感をもたずに喜んで参加する、という変化は起きにくいと考えられるからだ。「『共助』を忌避する日本人」を変えるためには、私たちの政治との関わり方を根本的に変えていく必要がある5。

2022年度から高校で「公共」という科目が新たに必修科目として設置される。そこでは「国や社会とどう関わるのか」を学ぶことが重視されるという。模擬投票、模擬裁判、外交・安全保障についての討論などを取り入れた、主体的な学びが推奨されるらしい。
筆者としては、日本人の(低投票率に限られない)「政治嫌い」と「共助嫌い」の現状、その改善の必要性の有無、また改善するとすれば何が求められるのか、について深く生徒らに考えさせる機会をぜひ設けてほしい、と願っている。
*1 https://www.cafonline.org/about-us/publications/2018-publications/caf-world-giving-index-2018 2019/9/7アクセス。*2 調査結果は内閣府「令和元年版 子供・若者白書」に収録されている。https://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/r01honpen/pdf_index.html 2019/9/7アクセス。*3 https://www.gesis.org/issp/modules/issp-modules-by-topic/role-of-government/2016 2019/9/9アクセス。同調査の結果を分かりやすくまとめたものとして、村田(2019)を参照。*4 日本人の投票以外の政治参加に対する忌避意識については、西澤(2004)、山田(2016)、山本(2019)、富永(2019)などの先行研究が大いに参考になる。*5 筆者は別稿(坂本・秦・梶原2019)において、NPO・市民活動団体への参加忌避を「政治性忌避」の観点から分析している。http://hdl.handle.net/10112/00017116より全文をダウンロードできるので、併せてご一読いただければ幸いである。
【参考文献】井手英策.2018.『幸福の増税論-財政はだれのために』岩波新書.坂本治也・秦正樹・梶原晶.2019.「NPO・市民活動団体への参加はなぜ増えないのかー『政治性忌避』仮説の検証」『ノモス』44:1-20.富永京子.2019.『みんなの「わがまま」入門』左右社.西澤由隆.2004.「政治の二重構造と『関わりたくない』意識 : Who said I wanted to participate?」『同志社法學』55(5): 1215-1243.村田ひろ子.2019.「日本人が政府に期待するもの~ISSP国際比較調査『政府の役割』から~」『放送研究と調査』69(7):90-101山田真裕.2016.『政治参加と民主政治』東京大学出版会.山本英弘.2019.「社会運動を受容する政治文化-社会運動に対する態度の国際比較」後房雄・坂本治也編『現代日本の市民社会-サードセクター調査による実証分析』法律文化社:226-238.
【謝辞】本稿は、2017-18年度関西大学若手研究者育成経費および関西大学経済・政治研究所自助・共助研究班(2019-20年度)として受けた研究費を基に行った研究の成果によるものである。