大阪でアイスコーヒーを意味する「冷(れい)コー」。
今やほとんど使われなくなったが、昭和の雰囲気が濃厚に残る大阪・新世界(大阪市浪速区)では「冷コーあります」というポスターが店頭などに掲げられている。昔を知る新世界の喫茶店主に聞くと、この言葉は少なくとも昭和30年代には、広まっていたことが分かってきた。「コールコーヒー」や最後の音を伸ばさない「レイコ」という呼び方もあったようだ。(張英壽)
昭和30年代には広がる
新世界にある通天閣そばの「喫茶通天閣」。店頭には、コーヒー色の下地に白い字で「冷コーあります」と書いたポスターが掲げられていた。店内に入り、「冷コーください」と注文すると、アイスコーヒーが目の前に現れた。
この辺りでは、「冷コー」が今も使われているのか。店で働く岸野栄子さん(70)に尋ねると、「今はアイスコーヒーと呼ぶ人がほとんどだけど、観光客の中にはおもしろがって『冷コー』と呼ぶ人もいる」という。店のメニューにはホットとアイスという意味で「コーヒー(H・C)」と記入されていた。
店には、新世界中振興町会会長の近藤正孝さん(56)とともに訪れた。近藤さんは平成24年頃、まちおこしグループのメンバーとしてこのポスターを発案し、新世界の喫茶店約10店に配布した。「冷コー」の由来について聞くと「店の人が伝票にわかりやすく書いたのが始まり」と解説した。
カウンター奧にいた栄子さんの夫で店主の岸野美夫(よしお)さん(72)は16歳だった昭和38年からこの店で働いていたという。「伝票には『レイコー』とカタカナで書いていましたね。お客さんもそう呼んでいました。アイスコーヒーという言葉は関東のお客さんから聞くぐらい」
昭和30年代にはこの言葉は完全に広がっていたことになる。
言葉を縮めて伝票に
「冷コー」は正式なメニューだったのか。美夫さんは「当時、メニューには(冷)コーヒーと書いあった」と思い出す。それを縮めて伝票には「レイコー」と記していたわけだ。括弧つきであるのはやや意外だが、近藤さんは「ほかの店では『冷コーヒー』だった」と補足した。
ただここで、別の名称があったという美夫さんの証言が飛び出した。「この店で16歳で働き始める前、大阪・湊町(大阪市浪速区)の喫茶店で見習いをしていたのですが、そこでは『コールコーヒー』という言い方を聞いた」
近藤さんも「20代の頃、新世界では『冷コー』やったけど梅田(大阪市北区)やミナミ(大阪市中央区)では『コールコーヒー』と聞いた気がする」と記憶の糸をたぐり寄せた。冷たいコーヒーという意味のコールドコーヒーに由来しているとみられるが、広辞苑などにも載っていない。知っている人も少なく、「冷コー」よりもさらに死語の意味合いが強い。
「冷やした珈琲」明治にも
大阪弁を網羅した「大阪ことば事典」(牧村史陽編、講談社学術文庫)をひもとくと、「冷コー」ではなく、最後の長音がない「レイコ」という表記で扱われていた。「アイスコーヒー・コールコーヒーのこと。冷コ(ーヒー)と略したもの」とある。この記述からはコールコーヒーという言い方が存在し、「冷コーヒー」という言葉も使われていたと解釈できる。
「レイコ」は大阪・ミナミ(大阪市中央区)の街頭取材でも聞いた。最後の音を伸ばすかどうかははっきりしなかったとみられる。大阪文化に詳しい前垣和義・相愛大客員教授(73)は「大阪では『レイコ』と最後の音を伸ばさずに言っていた。私もほかの呼び方はしていない」と話す。
ところで、アイスコーヒーはいつごろから日本で飲まれるようになったのか。明治36(1903)年に報知新聞に連載されて人気を集めたグルメ小説「食道楽」(村井弦斎著)には、「冷した珈琲(コーヒー)」という記述が登場するが、どの程度一般に広まっていたかは分からない。
一方、「黎(れい)明(めい)期における日本珈琲店史」などの著作がある日本コーヒー文化学会常任理事の星田宏司さん(77)は「大正時代ごろ、列車で冷やしたコーヒーを瓶に入れて売っていたのがアイスコーヒーのルーツで、昭和の初めには大都市で広まった」としたうえで「大阪では昭和初期から『冷コー』が使われ出し、30~40年代に広まったと思われる」と指摘した。星田さんは東京生まれの東京育ちで、「若いころからずっとアイスコーヒーと呼んでいる」と語った。