島根県出雲市の冷凍物流会社「上田コールド」で発生した立てこもり事件。現場で推移を見守り続けた上田広美社長(64)が、「人質になった従業員にもしものことがあったらと思うと、不安で仕方なかった」と当時の心境を明かした。
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千葉市の無職・中尾懐聖容疑者(23)が同社を訪れたのは1月14日午後2時15分頃。対応した上田社長の妻の常務が語る。
「社長は不在だと伝えると、『あなたはこの会社で社長の次に偉い人ですか』と聞かれた。会話をしながらコートの下に牛刀のような刃物を隠し持っているのが見え、『これはただ事ではない』と思いました」
中尾は常務に指示を出し、5人の従業員を外に出させたが、「奥さまを1人にできない」と留まったのが人質となった女性従業員(40)だった。常務が続ける。
「2階の応接室に立てこもることを決めると、彼は5脚のソファを窓側に並べていきました。その後、カーディガンを脱ぐと、左腕の袖に隠していたもう1本のナイフが落ち、腕から血が流れ出ていました」
心配した常務がタオルを差し出すと、中尾はか細い声で「ありがとうございます」と応じる。押し入ってから約20分後、「おばさん、解放してあげるからね」と、外に出るよう促した。
「常務が1階に降りてきたとき、警棒や刺股(さすまた)を持った捜査員2人が駆けつけました。すると中尾は牛刀を見せて『これ以上近づくな!』と叫んだので、捜査員は引き下がらざるを得なかった」(従業員)
外出先から戻った上田社長は捜査員にこう告げた。
「(中尾の)お父さんかお母さん、呼べよ!」
捜査員は「それが社長、なかなかうまくいかない。『説得に来てくれ』と頼んだが『いけない』と。ちょっと複雑なんよ」
「何を望んでるんですか」
「金などではなく、Aという男の従業員を探している」
だが、Aは昨年8月、すでに退社していたのだ。
立てこもり犯はなぜAを呼び出そうとしたのか
「突入に備えて、社内の間取りや壁の素材を捜査員に伝えました。従業員にはゆっくり、冷静に落ち着いて対応しようと」(上田社長)
発生から約18時間後、中尾は人質を解放し、監禁容疑で現行犯逮捕された。
「女性従業員は一睡もしていなかったようですが、解放されたときは元気でした。怪我もなく解決して本当によかったです」(同前)
だが、中尾はなぜAを呼び出そうとしたのか。県警担当記者が語る。
「中尾が好意を寄せていたB子という女性とAとの関係を疑い、一方的に恨んだようです。Aには電話やメールをしており、メールでは『お前を殺す』という趣旨のことを伝えていたが、連絡が取れず、怒りを募らせたとみられます」
中尾は転居していた千葉からの旅費を得るため、1月7日夕、市原市の郵便局で強盗。7万5000円を奪い、その足で夜行バスに飛び乗って出雲市に向かっている。
「中尾の親族は事件直前、『(中尾が)人に危害を加えるかもしれない』と出雲署に相談していた」(同前)
Aの知人はこう明かす。
「Aは以前、上田コールドでコンビニのルート配送の仕事をしており、コンビニの店員だったB子と知り合った。AはB子とLINEで連絡を取り合っていたが、いまはブロックされている」
島根県内の定時制高校に通っていた中尾と交流のあった知人はこう証言する。
「中尾とB子は出雲市内の同じ団地で育った幼なじみです。中尾は賽銭泥棒や自販機荒らしをしていて、『刑務所に入りたい』とよく言っていた。実際に警官にカッターナイフを向けて少年院に入ったことがある」
人を恨むのは勝手だが、関係のない人々を恐怖に陥れる行為は許されない。
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2020年1月30日号)