カルト宗教をやめた人って、どんな人生を送っているの? そんな疑問に答えるエッセー漫画が、静かに注目を集めています。親の影響で信仰の道を歩んだ元「2世信者」が、「その後」の暮らしぶりを赤裸々に描いた作品です。社会になじもうともがくストーリーを「秀作」と評価するなど、SNS上にはエールの声も。創作の背景について、作者の女性に聞きました。(withnews編集部・神戸郁人)【連載「#カミサマに満ちたセカイ」】心の隙間を満たそうと、「カミサマ」に頼る人たちは少なくありません。インターネットやSNSが発達した現代において、その定義はどう広がっているのでしょうか。カルト、スピリチュアル、アイドル……。「寄る辺なさ」を抱く人々の受け皿として機能する、様々な”宗教”の姿に迫ります。
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「飛び出した」先の困難描く今年1月に発売された漫画のタイトルは『カルト宗教やめました。』(彩図社)。『カルやめ』の愛称で読者に親しまれています。描かれるのは、キリスト教系の宗教団体・エホバの証人(JW)を脱会した「たもさん」が、実社会で生活するプロセスです。たもさんは小学生から25年間、組織で過ごしてきました。伝道や集会への参加に明け暮れ、教義にかなう生き方を守れば、仲間たちに受け入れられる日々。反面、大好きな漫画に触れることや、学校行事への参加などは、厳しく制限されたのです。もっと自分らしい毎日を送りたい。35歳のとき、決意をもって飛び出したものの、様々な困難に直面します。
「楽園待ち」が一転、お金に困る生活たとえば、お金です。組織では、大災害「ハルマゲドン」後に現れる楽園で、永遠に生きられると教えられました。だから、働いて貯金する意味もない。しかし、社会ではそうはいきません。ある日、同じ元2世信者の夫「カンちゃん」から、85歳まで生きた場合にかかる経費を示された、たもさん。あまりの高額さに、思わず青ざめます。息子の「ちはる」を大学まで進ませたい。そんな夢を抱えているだけに、考え込んでしまうのです。さらに信者時代、社会保険や年金の大切さについて、父親から説かれたことを思い出し、慌てふためきます。そして、「今からでも取り戻そう」と奮起するのでした。
「私は“家族”に甘えていた」他人との距離の取り方も、大きな課題です。パート先の飲食店で、同僚とパンを作っていたときのこと。「今日…暑いですね…」「盛岡は…40度らしいですよ…」「足の裏をっ アルコールで拭くと 蚊に刺されにくくなるらしいですよ!!」場をもたせようと、ちぐはぐな会話を続け、仲間たちから笑われてしまいます。JWでは、さながら家族のように、他の信者たちが世話を焼いてくれました。引っ越しを手伝ったり、病気のときに料理を差し入れたり。でも組織の外に出れば、そんな濃密な人間関係は、身近に存在しません。積極的に動かないと、誰ともつながれない。当たり前だけれど、つい忘れがちな事実に、たもさんは気付きます。「私…甘えていたのかもしれない」「偽物の“家族”の距離感に…」
描かなかった「唯一の正解」思考を少しずつ軌道修正しながら、世の中に溶け込もうとするキャラクターたち。「自分を重ねた」「全ての人に読んで欲しい秀作」。ツイッター上では、エールを送る人たちの声が飛び交っています。作者は本編の主人公と同名の、たもさん(40)です。脱会までの日々をまとめ、約3年前に出版した漫画『カルト宗教信じてました。』(彩図社)の続編と位置づけ、新作を手がけました。「前回は組織への怒りを込めて描くことが多かった」。そんな思いから、より爽やかな読後感を演出しようと、登場人物らが四苦八苦する姿をコミカルに表現したそうです。ストーリーを考える上で意識したのは、カルトとの付き合い方について、唯一の答えを導かないこと。前作を世に出して以降、脱会者からの相談を受ける機会が増え、「教祖」として祭り上げられる不安を覚えたからだといいます。「作中で示したエピソードは、あくまで私の事例です。組織に抱いた感情も、今日までの生活も、決して『正解』ではありません」
親子のままならない関係を描写宗教以外にも、重視したテーマがあります。家族との交わりです。たとえば、祖母の告別式での一幕。途中、JWの熱心な信者である母親が突然現れます。「エホバが見ておられるわよ」「罪を告白しなさい」。終了後、彼女はたもさんに迫ります。教義が禁じているお焼香を行ったからでした。新たな道を歩み始めた娘と、子どもに信仰を守らせたい母。血を分けた存在だからこそ、互いに一歩も譲れない。そんなままならなさを、ありありと描き出した象徴的場面です。
「楽しんでいい」妹の一言で気付いたあるいは、ファッションへの意識が高い妹「りんちゃん」とのやり取り。たもさんが初めて自分で考えた服装を、「ダサいね」と酷評した後、こう語りかけます。「姉ちゃん、オシャレするの楽しい?」「姉ちゃんは 姉ちゃんのままで いつものシンプルなのが私は好きだなぁ」このシーンは、実体験が基になっています。「組織では、古風で清楚(せいそ)な外見がよしとされました。だから脱会後、雑誌などで流行のコーディネートを学んだのですが、うまくいかなくて。プロのアパレル店員に、着回し用の服を全部見立ててもらおう、とすら考えました」「でも、りんちゃんの一言で気付いたんです。誰かが『ふさわしい』とする見た目を求める時点で、組織にいた頃と変わらないじゃん、って。『楽しくないのに無理すんなよ!』。そう肩をたたいてもらったように思えました」実はりんちゃんも、幼少期に少しの間だけ、JWの集会に参加していました。ただ、すぐ「ダルい」と飽きてしまったそう。以来、宗教とは無縁の生活を送っています。そんな妹から教わった「楽しめるかどうかで、人生の方向性を定めてもいい」という考え方。たもさんにとって、生きるための指針の一つになっています。
響くシーン、違って構わない新たな価値観を打ち立てつつある、たもさん。かつてと比べ、立場が異なる人々に優しくなれたとも話します。「どんなことも白黒つけるべきだ。組織の一員だった頃は、そう考えがちでした。一方で、宗教にしてもファッションにしても、需要と供給の関係を前提に成り立っている。自分の軸を固め始めてから、そのことに思いをはせられるようになりました」そりが合わない相手だって、その人なりの事情があって振る舞っている。JWに加わった母も、また同じ。そんな風に状況を相対化することで、ずいぶん生きやすくなったそうです。「とはいえ、2世信者の誰もが、親や宗教を許せるわけではないでしょう。この結論もまた、私が到達したものに過ぎません。他の人に押しつけてしまえば、ゆがんだ『正義』になってしまいます」たもさんはそう強調した上で、『カルやめ』の読まれ方について、次のように語りました。「読む人によって響くシーンは違うと思います。反面教師的なものを含め、色々な感想があっていい。作品から受け取るメッセージの内容は、皆さん一人一人に委ねたいです。どんな意見が寄せられるか、今から楽しみですね」