【堀有伸】賛否両論…岩田教授の告発騒動に見る、日本の深刻な「構造的問題」 私はあの行動を強く支持する

中国で発生し世界的に猛威をふるいつつあるコロナウイルス感染症について、日本における水際作戦が不適切だったのではないかという疑念が抱かれている。
特に、横浜港に停船を指示された大型クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号には、乗客と乗務員を合わせて約3700人が乗船していたが、その船内で行われていた感染症対策に不十分な点があり、感染の拡大を防止できないものであった可能性を、感染症の専門医である岩田健太郎氏が船内に入り、その様子についての動画を公開しつつ指摘したことは、世界中からの注目を集めることになった。
その動画は、「船内の感染対策がその後に改善され役割を果たした」という理由で、岩田氏自身の手によって削除された。一連の岩田氏の言動については賛否両論があるが、私は氏の言動を強く支持している。本稿では、その理由を説明していきたい。
岩田健太郎氏のYouTube動画(現在は削除)より

私が岩田氏の一連の言動を支持する一番の理由は、それが「日本的ナルシシズム」と呼んでいる日本社会の構造的問題を乗り越えるための、非常に重要な貢献であるからだ。
もちろん、今回のコロナウイルス感染症に対する日本の対策の質を高めたという点でも重要であるが、発表されている氏の発言を読む限りでは、その射程には日本社会の構造的な病理を乗り越えることも含まれていたと考えることは妥当である。
先に進む前に、岩田氏の言動はもちろん完全なものではなく、問題点もあったことを抑えておくことも必要だろう。
ダイヤモンド・プリンセス号の船内の実務に当たっているスタッフに、強い叱責を行うような姿勢は、決して望ましいものではなかった。
もちろん、スタッフの行動に不適切な点があったのだろうが、そこには社会構造に巻き込まれてやむを得ずにその場にいることになった専門外の人がにわかに行動を求められた結果として、寛容さが許容されるべき点があった。
私はもし責められるべき人がいるとすれば、それは現場で実務に携わっていた人々ではなく、そのような不十分な中での活動を現場に強いた現場のオペレーションのマネジメントを行った責任者だっただろうと考える。

「日本的ナルシシズム」については、何回か講談社現代ビジネスで論考を発表させていただいているし、二冊の著書『日本的ナルシシズムの罪』『荒野の精神医学』で説明した。しかし、やや抽象的な内容であるので、今回はその現われを次のように単純化して規定したい。
「目の前の経済的利益と影響力・プライドの維持が最優先され、将来を見た長期的な視点からの投資的行動が全くできなくなった支配層と、それとけじめなく心情的につながってしまっている被支配層の発想と行動の総体」
その結果として、科学者等からの実質のある助言が無視されることが頻繁に起きるようになる。
これは、科学的な対策を行うことのコストが敬遠されることと、「科学者」という政治・経済における支配層とは多くの場合に別であるカテゴリーの人物が影響力を持つことが嫌われることの2点が、その要因である。
典型的な事例として、2011年に起きた福島第一原子力事故と関連して、津波によって事故が起きる可能性が学会等によって指摘された時の東京電力の対応を挙げることができる。
国会事故調の報告書によれば、「学会等で津波に関する新しい知見が出された場合、本来ならば、リスクの発生可能性が高まったものと理解されるはずであるが、東電の場合は、リスクの発生可能性ではなく、リスクの経営に対する影響度が大きくなったものと理解されてきた。このことは、シビアアクシデントによって周辺住民の健康等に影響を与えること自体をリスクとして捉えるのではなく、対策を講じたり、既設炉を停止したり、訴訟上不利になったりすることをリスクとして捉えていたことを意味する」とある。
〔PHOTO〕gettyimages

このようにして「目の前の経済的利益と影響力・プライドの維持が最優先」された結果、原発事故の発生確率を高めてしまい、巨額の損失を自社と日本社会全体にもたらしたのであった。
本当に、日本社会はこの構造的問題による失敗を何回もくり返したし、現在もくり返している。
過去にさかのぼってその事例を探すことは容易であり、たとえば『失敗の本質』のような書籍では、太平洋戦争における日本軍の問題点が明確に指摘されている。
この点の克服こそが日本社会が取り組むべき優先的な課題であると私は考えるが、その点を認めることに日本人は強い抵抗を示す。
「自分の欠点を認めたがらないナルシシズム」がそこに働いていることを、力動的な心理学を学んだ者としては感じてしまう。
今回のコロナウイルス感染症に対する水際対策はどうだっただろうか。
中国との関係を維持することの経済的利益を優先して、流行地から日本への人の渡航を禁止する措置が不十分だったのではないか。国内の対策を実施するに当たっても、十分な予算を確保した上で専門家の意見を十分に反映させたものではなかったのではないか。台湾や韓国、ベトナムなどと比較してそれが不十分だった印象は否めない。
私の個人的な経験としては、諸外国で実施されている内容と比べて日本国内での対応が「緩い」ものであることを認識しつつあったタイミングで、「ダイヤモンド・プリンセス号」の状況が情報として入ってくるようになってきた。
それまでの「緩さ」とは異なる「断固たる」措置であるかのようだった。若干の違和感とともに、嫌な記憶がよみがえってきた。
〔PHOTO〕gettyimages

日本社会の悪癖として私が認識していることの一つに、「全体に適切な対応をいきわたらせるコストを抑えていい加減な対応を行い、そのいい加減さをごまかすために、たまたま目立ってしまった対象には断固とした処置を行ってアピールする」傾向がある。
残念ながらこれは、私が専門とする日本の精神医療にかかわる中で強まった感覚だった。
たとえば、覚醒剤のような薬物依存症に対応できる医療機関や関連施設は十分に整備されていない。それを整備する経費を計上するよりも、目立つ覚醒剤患者に懲罰的な処遇を行い、それによる恐怖感を社会全体に行き渡らせて統制を保とうとする傾向を感じている。
そもそも、日本における精神科医療が、不幸にして精神疾患に罹患した患者が社会でいきる状況を整えるよりも、民間病院中心の精神科病院に隔離してそこに入院させ、そこに配置する医師や看護師は一般病棟よりも少なくてよいという特例を設けてコストを削減することを許容し、患者を何十年も入院させることが日常的に行われてしまった経緯がある。
現状は以前と比べると相当に改善しているが、抜本的な対策がなされたかと問われれば、そこには疑問がある。
そのような経験を踏まえると、世間に向けての断固とした対応をアピールするために選ばれてしまった対象への処遇は、ぞんざいになりやすい。
そんな漠然とした不安を感じていたときに知ったのが、岩田氏の動画である。悪い予感が当たってしまったような印象だった。

現在SNS上では、岩田氏と、やはり感染症の専門家でダイヤモンド・プリンセス号内にいて職務として対応した高山義浩氏のやりとりなどを簡単に見ることが出来る状況である。
二人のやりとりをみて論評するような記事もみかけるが、私としてはそこがポイントではない、と主張したい。
どちらの専門家も、今の日本において貴重な戦力として活躍していただかなければ困るのである。十分な権限とスタッフが与えられて然るべき方々だ。
それなのに、不十分な状況での対応を強いられ、一方はその窮状を訴え、一方はそれへの反論を行い、お二人ともが本質的ではないところで消耗することを強いられてしまう。そのような状況を生み出したマネジメントを行っている側の方の問題を、私は問いたい。
他の船内で働いているスタッフの状況に同情し、そのスタッフに攻撃的な姿勢を示した岩田氏への反感が強いのは、判官贔屓の国である日本らしい。
しかし、そのような形でスタッフが窮状に陥らないようなロジスティックスを用意できていなかったことの方が問題として大きい。
外国籍の船であるために感染対策の指導が不十分にしか行えなかったという意見も散見するが、このような火急な状況でこそ先方の国に対してしっかりと交渉を行ってその点の調整を行い、現場の負担を減らすことこそが政治に求められる機能だろう。
不適切な感染症対策で外国籍の方から感染させられたと訴えられるような訴訟のリスクも考えねばならない。
そもそも、SARSやMERSが流行したときに、現在のように交通が発達して人の往来が激しくなった世界では、日本も感染症の脅威にさらされるリスクがあることをもっと早くに認識するべきだったのだろう。CDCを持つ他国をうらやましく思いつつ、不明を恥じる。
予想されたことであるが、「現場のスタッフを苦しめた」「日本の国益を損ねた」という二点から、道徳的な説教を岩田氏に行いたがる論説を多く目にする。
こういった問題が起きた場合に被害を受ける中心は一般の国民なのに、一般の国民の多くが政府の立場を弁護する姿勢を示している。
私には、そのように話す人々の方が「too submissive」に思える。

日本的ナルシシズムの社会構造においては、被支配層の支配層への心理的な同一化が強すぎて、健全な葛藤や批判が行われなくなっている。支配層と時に葛藤してでも、自分たちの権利を守っていこうという気概を、多くの日本人は持つことができない。
それは、全く政府に協力しない、ということではない。私が適切に感じるのは、基本的には自分の祖国への忠誠心を持つが、必要な場合には異議申し立てを行うような姿である。
それではなぜ、少なくない日本人がこの構造の中にとらわれ、そこから抜け出せなくなっているのだろうか。
かつての私は、「集団への同一化が強すぎて、健康な自我の確立が適切に行われていないからだ」といった、抽象的な心理学の理論を用いた理解で満足していた。しかし、これでは将来に向けた問題解決のためには全く不十分だろう。
日本社会に生きる一人一人が、相互規制でお互いにsubmissiveでなくては共同体のメンバーとして許容しないという空気をつくり、それによって「分かっていても抜け出せない」状況をつくっている。
今回の岩田氏のような共同体の近時的な利益に反する言動に対しては、政府などの実際の支配層が動かなくても、一般の日本人同士の相互規制の中で懲罰的な対応が発動するメカニズムが働くのである。
日本社会の支配層も、そのように行動する個人や共同体に利益を与え、そうでない対象は圧迫するような対応を行おうとするので、この流れが強化され続けながら継続することになる。
閉鎖的な国内市場におけるローカルで短期的な経済的利益と影響力をめぐる競争に、日本の多くの個人と共同体が巻き込まれているので、そこを抜け出して中長期的な視点からの行動をとることができない。
なぜなら、それに没頭することは、目の前の競争に敗れ、自分の場所を失うことにつながり、その場合の復活も難しいからである。
この場合に新しいイノベーションなどは期待できないが、今までは日本国内の経済的な規模が大きかったので、閉鎖的な環境でそれを食い潰しながら同じことを継続することができた。
しかし気がつけば、リスクを取ってイノベーションを起こさなければ生き残れなかった諸外国が、それを達成したことによって先を行っていたことに、日本人が気づきつつある状況ではないだろうか。
私はこの先日本が生き残るために、この「日本的ナルシシズム」の構造を乗り越えることが本当に重要だと考えている。その意味で、岩田氏の言動を高く評価するのである。

最後に二点の補足を行う。
一点目は、日本社会の同一化の強さから抜け出そうとして、「日本の否定的な面を攻撃することにしか興味を示さない、権威に反発することしか行わない集団への同一化」が行われる現象についてである。基本的に私はそれを評価しない。
私の理論的な基盤から結論される望ましい状態は、「集団に同一化することから得られるナルシシズムを断念し、健全な自我機能を獲得すること」であるから、それとは異なっている。
二点目は、ダイヤモンド・プリンセス号の問題は、コロナウイルス感染症への水際作戦、あるいはこの感染症対策の全体と、分けて考える必要がある点である。
考えるのがはばかられる内容であるが、そもそも水際作戦の有効性が低く、世界中で流行が起きてしまい、今回の日本の水際対策の問題点が重要視されなくなる可能性は存在する。
しかしそれでも、きちんとした水際作戦が行えたか否かで、その後の諸外国からの信頼度が異なってくるということはあるだろう。