「新型コロナには一致団結で!」と叫ぶ組織が、残念な結果を招く理由

カルロス・ゴーン被告が仕掛けた「日本の司法は中国や北朝鮮と同じ」キャンペーンに続いて、またしても日本の「オレ流」が国際社会で叩かれている。

新型コロナウイルスがいたるところにまん延するクルーズ船に3711人を閉じ込めて、感染対策の専門家に「アフリカや中国よりもひどい」と指摘されるようなずさんなゾーニングをしたことが各国から「ウイルスの培養器に閉じ込めたようなもの」「日本には防疫の概念がないのか」なんて感じであきれられてしまっているのだ。

そこに加えて、世界をドン引きさせているのが、二次感染者がでるなどあきらかに感染対策が失敗しているにもかかわらず、ヤケクソ的に乗客たちを下船させていることだ。「せめてあと2週間は施設で隔離しないと感染が広がってしまう」と海外の専門家から批判が相次ぐなかで案の定、公共交通機関で自宅や本国へと帰った乗客のなかから、「陽性」の人たちがポロポロ現れてきている。

このような日本の対応を、ロシアのプーチン大統領の側近や外務省の報道官が「犯罪行為」とボロカスなように、「日本=感染対策が怪しい国」というイメージを抱く国が増えている。実際、”お友だち”のアメリカでもCDC(疾病予防管理センター)が日本渡航の注意を呼びかけ始めた。

という話を聞くと、「英国船籍で米国企業のクルーズ船という制約下で、日本ができることは『上陸させない』という対応だけだったのだ!」とか「CDCも英国政府がなにも動かなかったなかで、日本政府はよくやったほうだ!」と日本の正当性を主張する方も多いことだろう。

なかには、「インフルで毎年もっとたくさん死んでいるのに、欧米の連中は騒ぎすぎだ!」なんて感じで、そもそも新型コロナの脅威を懐疑的に見ている方もいらっしゃるかもしれない。

ただ、どういう言い訳をしても、国際社会が警戒する未知のウイルスの感染拡大を防ぐことに、日本が失敗し、「適切」と胸を張った船内から多数の二次感染者がでている事実をひっくり返すことは難しい。他国の批判に顔を真っ赤にして反論したり、感染対策の専門家を憎々(にくにく)しくディスったところで、日本の評価は上がるどころかイメージダウンをしていくだけである。要は、「惨敗」なのだ。

壮絶にコケる組織
では、なぜ優秀な医療従事者や専門家が多くいて、そこら辺の国よりも感染対策のレベルも高いと言われる日本が「実戦」で惨めな結果を招いてしまったのか。

マンパワー不足、現場でのオペレーションがうまくいかなかった、そもそも緊急時の指針や体制が用意されていなかった……など既にさまざまな問題が指摘されているが、個人的には、現場で指揮にあたった人々が掲げた大方針が誤っていたことが最もマズかったのではないか考えている。

その大方針とは、「一致団結」だ。

なにかしら「危機」が発生したとき、「問題解決のために一致団結しよう」とか「全員野球で乗り切ろう」みたいな大方針を掲げる組織の危機管理は、ほぼ間違いなく失敗する。このように「和をもって問題解決にのぞむが壮絶にコケる組織」と同じにおいが今回の感染対策の現場からはプンプン漂ってくるのだ。

その中でも分かりやすい例が、ダイヤモンド・プリンセス号内部の感染対策がアフリカや中国よりもずさんだ、とYouTubeで告発した岩田健太郎氏に対する「バッシング」だ。ご存じのように、岩田氏のとったアクションについては現場を指揮していた政府の人間や、一部の専門家から否定的な意見が出た。

いわく、船内は適切な感染対策をしていたのに、わずか2時間程度で一部しか見てない部外者が不安をあおるようなことを言うな。いわく、仮に感染対策が不完全だったとしても、不安や疑念が交錯するときだからこそ一致団結していかなければいけないんだから、スタンドプレーで船内に潜り込んで一方的な批判だけするのはいかがなものか……など、中には岩田氏の「人格」を攻撃する人まで現れている。

これらの主張をまとめると要するに、「船内のずさんな感染対策」より、「現場の規律を乱した人間」のほうがはるかに大きな問題だというのだ。ただ、筆者に言わせれば、批判する者をマウンティングして黙らせようとするのは、危機管理に失敗する組織の典型的な末期症状なのだ。

「一致団結」が何よりも大事
このあたりをご理解していただくためには、そもそもなぜ「一致団結」を叫ぶ組織の危機管理が失敗するのかを分かっていただく必要がある。

この手の組織は、何よりも現場の「和」を重んじるあまり、誰の顔を立てて、誰の主張を採用して、なんて感じで内部の序列やパワーバランスで頭がいっぱいになって、「危機」を前にして本来やるべきことがおざなりになってしまう。これでまず、危機発生下のルールがグズグズになる。「現実には難しい」「原則はそうだが、実際はなかなか徹底できない」なんて感じで「できない理由」を並べていくのだ。

こうなると第2段階としては、体制批判を許さない空気が醸成されていく。「一致団結」の名のもとに、現場を統率するリーダーや発言権のある者など「権威」への意見を控えるようになるのだ。みんなが好き勝手に意見を述べたら収拾がつかなくなるので、ちょっとくらいの不満や批判はグッと腹に抑え込もうという組織内ムードが強くなっていくのだ。

そしてこういう組織は最終的にどうなるのかというと、隠ぺいや改ざんに走って、それがおかしいと声をあげたものの口を封じるようになるのだ。なぜかというと、「一致団結」が何よりも大事なので、その秩序を乱すような都合の悪い事実は、組織の総力をあげてクサイものにフタということになってしまうのだ。

つまり、「一致団結」を叫ぶことは、「組織論理を優先する」こととほぼ同義であるため、危機管理において最も重要な「自分たちが置かれた状況を客観的に俯瞰(ふかん)する」ことができなくなってしまうのだ。なぜそんなことが断言できるのかというと、このようなパターンに陥って、危機管理を失敗する組織を嫌というほど見てきたからだ。

これまで筆者は、報道対策アドバイザーとして、さまざまな問題企業の内部を見る機会があった。社長や幹部が招集され、どのような対応をするのか協議する「緊急対策会議」のようなものに参加し、意見を求められたこともある。

そのような仕事を十数年やってきて痛感しているのが、「一致団結」のワナだ。

「隠ぺい」や「改ざん」が後を絶たない構造
危機管理に失敗する組織の内部でどのような議論、どのようなムードがあるのかを観察していくと、「一致団結」「チームワーク」「全社員で一丸となった」なんてパワーワードが飛び交っていることが多く、それが皮肉なことに、組織内の風通しを悪くして、危機管理を失敗させているのだ。

例えば、ある企業で社会の信頼を損ねるような不祥事が発覚したとしよう。当然、営業マンなど現場の社員たちは、顧客や取引先への説明などに追われる。一方、社内ではなぜこんな不祥事が起きてしまったのか調査を開始。すると、これとはまた別の不正行為が発覚してしまう。

筆者としては、これもどうせ遅かれ早かれ社会にバレるのだから速やかに公表すべきだとアドバイスをする。社内にも膿(うみ)をすべて出し切るためにも公表すべきという人たちがいる。

しかし、これを受け入れる経営者や幹部は少ない。10社あれば2社くらいで、ほとんどの組織は「公表しない」という決断をする。と言っても、社会の目を欺(あざむ)きたいとか、責任逃れをしたいとかではない。「一致団結」のためである。

ただでさえ、現場の人間は疲弊してボロボロだ。そこへまた新たな問題がありました、などと公表をしたら、もはや現場の人間は潰れてしまう。そうなったら、この危機を乗り越えることはできない。確かに、情報公開の姿勢は大事だが、会社として今やるべきことは問題の速やかな解決である。そのためには、新しい不正行為の公表はいったんストップをかけるべきではないのか――。そんなロジックでクサイものにフタをしてしまうのだ。

そのあたりの考え方は、以下のような三段論法にすると分かりやすいだろう。

(1)問題解決のためには、一致団結をしなくてはいけない

(2)一致団結のためには、現場の士気を乱すような情報を公表してはいけない

(3)問題解決のためには、都合の悪い新しい情報は隠すべきだ

つまり、彼らの理屈では「隠ぺい」ではなく、「問題解決のため組織内を一致団結させるために公表を控えた」ということなのだ。

もちろん、筆者は報道対策が仕事なので、「それは組織論理で社会からはまったく共感されず、ボコボコに叩かれますよ」と忠告する。会社の対応に納得のいかない社員は、「おかしい」と声をあげる。だが、このような「異論」はほぼ間違いなく通らない。

筆者のような外部の人間は「いたずらに不安をあおる人間」として、岩田氏のように組織外へと追い出される。社員の場合も、「一致団結しなければいけないときに、社内秩序を乱す不届き者」として冷遇や排除される。企業の不正などを内部告発した人間が、いきなり飛ばされたりクビに追いやられるのはこれが理由だ。

ただ、先ほども申し上げたように、こういう問題は遅かれ早かれバレる。そして、結果として「隠ぺい」などと叩かれるものなのだ。これが日本の名だたる大企業や巨大組織、ひいては政府や官庁が「隠ぺい」や「改ざん」が後を絶たない構造である。

「おかしい」と声をあげる者はいない
ほとんどの組織は悪事を働こうと思って「隠ぺい」や「改ざん」をするわけではない。みな「危機」と向き合って、それをどうにか対応しようと考えてやってしまう。

もちろん、その中には保身や責任逃れなどもあるが、多くは「組織のため」である。こうしている今も現場で汗をかき、問題解決のために寝る間も惜しんで働く同僚や仲間たちのため、彼らを「一致団結」させるため、情報の公表を拒み、うそをつく。だから、こうした不正に手を染める人たちに実際に会ってみると、「マジメな組織人」「善良な市民」ばかりなのだ。

今回、岩田氏の「告発」を受けて、ハフィントンポスト日本版に、現場の医療従事者から「声をあげられないスタッフの代弁をしてくれた」という感謝の声が寄せられた。また、厚労省の職員や検疫官からも感染者が出ており、岩田氏の指摘が妥当であったことが徐々に明らかになっている。

岩田氏は2時間たらずで「船内の異常さ」を見抜いている。ということは、現場にいた専門家をはじめ多くの医療従事者はこの危機管理がヤバイと気付いていたはずだ。しかし、彼らは声を上げなかった。それは決して「怠慢」ではなく、「一致団結」のためである。

問題企業でも、このようなムードはまったく同じだ。みな口々に「ヤバいよな」「ウチの会社も終わりだな」とささやくが、「おかしい」と声をあげる者はいない。危機に向かって、全社で一致団結している中で、士気を乱すような者は、魔女狩りのように吊し上げられる。だから、「権威」の前では黙って下を向くしかない。そして、みな口をつぐんだまま、破滅へと向かっていくパターンが、企業危機管理の現場では圧倒的に多い。

この構造は何かに似ているなと思っていたのだが、最近それが何かようやく気付いた。80年前の日本だ。

日本の“負けパターン”
当時の日本は「危機」を前にすると決まり文句のように、「愛国」と「一致団結」を叫んだ。だから、そこに異論を唱えた者は「非国民」のそしりを受けて、ひどい場合は投獄されて拷問もされた。

「超非常時の克服 陸相の適切な訓示 焔の如き尊王愛国の熱情 鉄石の如き官民の一致団結」(読売新聞 1941年1月5日)

「一致団結 国威を発揚 帰還勇士もまじる 海外同胞訓練所の開所式」(同上 1942年6月2日)

この結果、日本人がどういう結末をたどったのかを述べる必要はないだろう。

五輪というこれまた国威発揚イベントが控えているからか、最近やたらと「日本には日本のやり方がある!」「こういう苦しいときこそ、日本人がひとつにまとまるべき」みたいな主張が増えているような気がする。

歴史に学べば、これはいつもの日本の“負けパターン”である。「みんな」「絆」「一致団結」という言葉を出されると冷静に物事を考えられなくなって社会が暴走を始めるのだ。

そのような意味では、今回の防疫戦の惨敗はいい教訓だ。国際社会からの批判に真摯(しんし)に耳を傾けて、「全体主義の罠」から抜け出すべきではないのか。

(窪田順生)