心愛さん母「限界でした」 LINEでは「むかつくね」

「毎日のように虐待を見て限界でした」「ストレスを心愛(みあ)にぶつけた」。
千葉県野田市の小学4年、栗原心愛さん(当時10)が虐待死したとされる事件で、父親の勇一郎被告(42)が傷害致死などの罪に問われた裁判員裁判。26日に千葉地裁であった証人尋問で、心愛さんの母親(33)は虐待とされる行為が繰り返されるようになった経緯や当時の心境を語った。
母親は、傷害幇助(ほうじょ)罪に問われ、執行猶予付きの有罪判決が確定している。裁判では時折、言葉に詰まりながらも、淡々と証言した。
母親によると、沖縄で出会った当初、被告は「明るく優しかった」が、交際後は暴言を吐いたり束縛したりするように。入籍後はメールや電話で状況を確認されたという。一度離婚したが、復縁後には「平手でビンタしたり押し倒したりしてきた」と暴力があったとした。この頃、心愛さんとの関係は「仲がいい親子にみえた」「(暴力や虐待は)全くなかった」と話した。
次女の出産後に入院。約3カ月後に退院し、野田市内の被告の実家に身を寄せていた心愛さんに会った際の様子を「少しやせていて、あまり元気がなく、くまがあり、疲れているように見えた」と語った。
当時、心愛さんは夜中に被告に起こされたり立たされたりするなど「毎日地獄だった」と話したという。心愛さんは、被告の妹らに訴えたが、被告から「本当に心愛の言うことを信じるのか」と言われ、心愛さんは「みーちゃんが悪者にされた」と話したという。
心愛さんを守る対応をしなかった理由を問われると、母親は「助けたくても、監視や束縛が強くてできなかった」「心愛への虐待がひどくなると思った」と語った。(今泉奏、福冨旅史)

母親は、被告による言動について詳しく語った。
18年12月30日~19年1月3日ごろ、心愛さんの顔や胸部に対して暴行し、胸骨を折ったとされる事件。母親は、12月30日ごろの夜、浴室から何かがぶつかるような「ドーン」という音がし、浴室にはボクシングをしたようにまぶたが腫れた心愛さんが立っていた、と話した。心愛さんと近くにいた被告に理由を尋ねると、被告は「こいつが自分でやったんだ」と話したが、「勇一郎が暴力を振るったと思いました」と語った。
心愛さんの左肩にはこぶし大のあざ、左腰には擦り傷のようなものがあったといい、「暴力を受けて動けなくなっていた」「痛そうにしていた」と発言。心愛さんがシャワーを浴びるのを手伝ったと話した。
大みそかの夕食時。「おそばをもっとおいしく食べられないのか」「ママが作った料理を食べないなんて失礼だぞ」。被告はそう言って「食事を食べない罰」とし、心愛さんを暖房器具もなく、冷たく寒い浴室などで午前0時ごろまで立たせたと話した。
元日には、廊下で1時間ほど屈伸をさせられていた心愛さんが「動けなくなり、床に座り込んでいた」という。被告は心愛さんの両腕を引っ張って引きずり、無理やり立たせた後、手を離して床に打ち付ける行為を数回繰り返したとし、当時の心愛さんの様子について「ぐったりしていた」と振り返った。
母親は「心愛の命が危ないと思い、『もうやめて。あなたのやっていることは虐待だよ』と言った」ものの、被告から「お前は何も分かっていない」と聞き入れてもらえなかったとした。さらに胸ぐらをつかまれて床に押し倒され、馬乗りになられたうえ、ひざ掛けを口に突っ込まれて顔に水をかけられた、と主張。「警察に通報する」と言うと、胸ぐらをつかまれ、平手で左ほおを殴られ、再び馬乗りになられたとし、次女を抱いた被告からさらに左太ももを蹴られた、とも訴えた。(多田晃子、寺沢知海)

「毎日のように勇一郎が心愛に虐待しているのを見ていたので、もう正直限界でした」。母親は、心愛さんへの暴行とされる行為を止められなかった心境をこう語った。
新学期が始まった昨年1月7日、心愛さんは小学校に登校しなかった。検察側は、その直前に被告による心愛さんへの暴行があったと主張。心愛さんを休ませた理由を問われた母親は「虐待を受けて外に出せなかったから」という被告の意図があったと説明した。
一方、検察側は「(心愛を)寝室から出さないように」という被告の指示を母親が守っていたと説明。1月8日午後5時ごろには母親が自らの意思で「(心愛が)甘い物ないですかって。まじでお前は何様かって思うし、むかつくよね」というLINEを送っていたとした。