赤福餅で知られる和菓子メーカー「赤福」(三重県伊勢市)の関連会社が平成12年から24年まで、暴力団幹部からの依頼で指定暴力団の「代紋」などを入れた焼酎を製造・販売していた責任を取り、赤福の浜田益嗣(ますたね)会長(82)が1月に辞任した。
焼酎の空き瓶を入手した男が、赤福から現金を脅し取ろうとした事件がきっかけで過去の“黒いつながり”が露見。19年の消費期限偽装事件で一度は引責辞任し、その後復帰していた浜田氏が再び老舗の看板を傷つける形となった。
焼き付けられた「山菱」
「赤福さん、これ買うてくれへんか。人手に渡ったらどえらい損失になるで」
関係者や公判資料によると、昨年12月9日に赤福本社を訪れた高齢の男が、応対した担当者に空き瓶を示し、こう要求した。空き瓶は赤福の関連会社の酒造会社が製造した焼酎のものだが、一般に販売されている商品とは異なっていた。
空き瓶には、ひし形が特徴で「山菱」と呼ばれる全国最大の指定暴力団「山口組」(総本部・神戸市)の代紋と、篠田建市(通称・司忍)組長の出身母体で直系組織「弘道会」(本部・名古屋市)の名称が焼き付けられていた。
男はさらに空き瓶に暴力団幹部3人の写真と浜田氏の写真を張り付けて関係を強調。報道機関などに公表されたくなければ、100万~200万円で買い取るように要求した。
男から電話で再度50万円を支払うよう要求された赤福側は、取引に応じたように装って三重県警に通報。男は現金の受け取りに訪れた際に恐喝未遂容疑で逮捕され、その後同罪で起訴された。
起訴されたのは、同県伊勢市の無職男(68)。アルバイトや骨董(こっとう)品の売買で生活しており、昨年12月初旬に同県大紀町の古美術店でこの空き瓶を発見した。製造元が全国的に知名度の高い赤福の関連会社であることに目を付け、恐喝の道具に利用することを思いつき、2千~3千円で買い取った。
古美術店の男性店主(81)は「空き瓶は同県紀北町で見つけ、白い陶器の瓶が珍しく店で保管していたが、売り場には出していなかった。こんなものを何に使うのか分からず、男にただであげようとしたら『それはあかん』と金を置いていった」と振り返る。津地裁は9日、男に懲役1年の判決を言い渡した。
12年で8180本製造
赤福の関連会社が焼酎を製造するようになったきっかけは、宝永4(1707)年創業とされる赤福の10代目当主、浜田益嗣氏の指示によるものだった。
同社によると、浜田氏は平成元年ごろの会合で知人から暴力団幹部を紹介されて交流を持つようになり、12年以降にこの幹部からの注文で焼酎計8180本の製造を酒造会社に指示した。
暴力団幹部には通常の1800円で販売し、このうち3466本が「代紋入り」だった。製造後は同じ山口組内でも末端の組織に所属する人物らに送られ、中元・歳暮などの品として配られていたとみられる。売り上げは約1500万円に上っている。
こうした取引は、三重県で23年4月に施行された暴力団排除条例で禁止される「暴力団への利益供与」にあたるとみられるが、社内調査で発覚する24年11月まで続けられていた。
赤福グループ内でも発覚当初は浜田氏に対する責任追及の声は上がらず、今年2月25日に津地裁で男の初公判が始まる直前の19日になってようやく事実を公表。浜田氏は会長職や関連会社役員を辞任した。
地元政財界に影響力
経営者としての浜田氏は地元政財界に大きな影響力を持ち続けてきた。
昭和43年に赤福の社長に就任すると、伊勢市周辺に限られていた赤福の販売地域を関西や中京地域に広げる拡大路線で成功。平成5年までに伊勢神宮内宮の門前町に「おかげ横丁」を整備して地元の観光振興に貢献し、7年からは伊勢商工会議所会頭を4期12年務めた。
ところが、長男の典保氏(57)に社長を譲り会長に就任していた19年、長年にわたって赤福餅の消費期限や製造日を偽装していたことが明るみに。農林水産省などから立ち入り調査を受けて営業禁止処分になると、浜田氏は会長職を引責辞任した。
その後、関連会社の役員などを務めていたが、経営を立て直した典保氏は29年6月に突然解任され、関連会社に追いやられた。妻の勝子氏が後任の社長に就任すると、浜田氏は会長として返り咲いた。
お家騒動の末に復活を果たしたものの、結局は過去の黒いつながりですべての経営から手を引くことになった浜田氏。赤福は今後の人事を「未定」としており、後継者も定まらぬまま老舗の屋台骨は揺れ続けている。