「なんとなく体裁を整えるのが得意な日本人」が外国人観光客を惹きつけるためにすべきこと

博多に大量寄港! 1隻2000人以上のクルーズ船客は日本に訪れて何をしていたのか から続く
日本を訪れる外国人観光客は、いまや年間3000万人を超え、街の景観のみならず、我々の社会のありようを変えつつある。訪日外国人の旅行消費額は年々増え、年間4兆5000億円超という観光庁の統計も出ているほどだ。訪日外国人の増加は国内にさまざまな経済効果をもたらすと考えられ、現在に至るまで数多くの誘客施策がとられている。
しかし、外国人観光客の数的拡大はいいことづくめなのだろうか。観光公害やオーバーツーリズムという言葉を聞く機会も増えてきた。2020年、政府は訪日外国人数4000万人という目標を掲げていたが、今年は新型コロナウイルスの影響で壊滅的な打撃を受けそうだ。それでも、日本はこれからも観光客誘致を続けるべきなのか……。
インバウンドについて考えを巡らせる手助けの一つとして、後編では『 間違いだらけの日本のインバウンド 』から、ラジオDJのかたわら観光客誘致に取り組むクリス・グレンさんが当事者として語る日本の観光PRの問題点を紹介する。
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間違いだらけの外国語表示
もはや知らないではすまされないことも起きている。
ここ数年、外国人向けに多言語化された案内表示やサインが全国で整備されてきた。ただし、地名を表記するだけならいいのだが、特定のメッセージや説明をテキスト化したとたんにボロが出て、間違いだらけの外国語が氾濫していることをご存知だろうか。その外国語は意味不明で相手に伝わっておらず、外国客の失笑を買っているのである。気がついていないのは、その表示やサインを発注した日本人だけであるというみっともないことが多発しているのだ。日本の多言語化への取り組みはまだ始まったばかりだが、そこに相当な弱みを抱えていることは認めなければならないようだ。
なかでもここ数年、急激に増えた中国語表記に問題が多いことは、中国のネット上でも盛んに告発されている。これらの恥ずかしい表記が、2018年中国客だけで838万人、台湾や香港、東南アジアの華人まで含めると1500万人をはるかに超える中国語圏の観光客の脱力感を誘い、「日本人もかわいいところあるね」と好意的に解釈してもらえているうちはいいのだが、「このままではいろいろ支障が出るのではないか」と心配する日本在住の中国人もいる。
たとえば、高額なブランド品や宝飾品のコーナーで、間の抜けた中国語表示を目にすると、なかには品質を疑いたくなる人も出てくるのではないかという。確かに、それはごもっともな指摘である。最近では日本にも法外な料金で商品を売りつけ、ニセモノも平気で扱う「ブラック免税店」があることを中国メディアに指摘され、「日本の店は(中国とは違い)客を騙さない」という神話が揺らいでいる。笑いや脱力ではちょっとすまされないシーンであることは想像できる。
おかしいのは中国語だけではない。タイ語も同じ状況にあるという。
都内の大学院で学ぶタイ人留学生のジャムジュン・モンティチャーさんによると、最近、日本を訪れるタイ人観光客が増えたせいか、全国の量販店やドラッグストアでもタイ語の商品表示がよく見られるようになったという。
「タイ語がちょっとヘンなんです。たぶん、タイ語の翻訳ソフトを安易に使ったんじゃないか。それは間違いのもと」と彼女は苦笑する。
ネット上の翻訳ソフトは手軽に使えて重宝することは多い。ただし、簡易辞書代わりにはなっても、そのまま実用には使えない。現状では間違い外国語を量産するサービスといってもいい。だから、翻訳ソフトだけですませるのは、手抜きがすぎると言われても仕方がない。
かつての人気サブカル誌『宝島』で連載された「街のヘンなモノ!VOW(海外版)」という企画で、海外で見つけたTシャツや商品ロゴなどのおかしな日本語表記の宝庫とされたのがタイだった。いまでは日本でその逆バージョンがタイ人たちに発見され、日本も大いに笑われているのである。
曖昧な日本語の直訳では魅力が伝わらない
中国語やタイ語の学習者は、英語に比べれば圧倒的に少ない。だから、百歩譲って、相互のコミュニケーションに支障が生じるのも無理はないといえるかもしれない。では、せめて英語は問題なしといえるのだろうか。
オーストラリア出身のラジオDJで、サムライと日本の城が大好きというクリス・グレンさんは「正直なところ、観光地の英語の説明文などを読むと、まったくひどい。これでは外国人には伝わらない」と手厳しい。
名古屋在住の彼は『豪州人歴史愛好家、名城を行く』(宝島社 2015)という本の著者でもある。ときにサムライに扮して地元の観光PRに尽力することもある。
「外国人の視点」を理解することが第一歩
そんな彼は、正しい英語を使うのは当然のこととして、観光PRにとっていちばん大事なのは「外国人の視点」を理解することだという。
彼によると、日本人と外国人の視点で最も違うところはふたつある。
「まず日本に関する知識。当然のことだが、外国人の日本に関する知識量は日本人に比べれば雲泥の差。そのため、日本人の一般的な知識ベースで書かれた観光施設などの解説をそのまま英語に翻訳しただけでは通じないことが多々ある」
言われてみれば当然のことだが、日本人が知っていることを必ずしも外国人が知っているとは限らない。「そういう視点が多くの日本人から完全に抜け落ちている」と彼は言う。
「海外には、日本にサムライや忍者がいると思っている人が、子供でなくてもまだまだいるのです。日本の人たちは外国人をひと括りにしがちですが、多種多様です。教養や知識のある欧米人だけが外国客ではありません」
ふたつ目のポイントは、日本人的な表現の嗜好が招く問題だ。「一般に外国人は曖昧な表現を嫌う。ところが、日本の観光パンフレットを見ていて思うのは、日本人は曖昧な表現や美しい言葉を並べ、なんとなく良さげに体裁を整えるのが得意」という。
だが、それでは外国人には伝わらない。
求められるのはストレートな表現
「どこがどういいのかはっきり伝えていない説明が圧倒的に多い。それを英語に翻訳しなければならないときには本当に困ります。そのまま逐語的に翻訳するだけでは、いったい何を言いたいのかわからない文章になりがちで、外国人にとってまったく魅力的ではなくなってしまう。もっと端的でストレートな表現で伝える必要があります」
グレンさんは2016年4月に立ち上げた名古屋城本丸御殿の英語版ウェブサイトの制作を担当した。「英語の文章の書き方もそうだが、色やビジュアル(写真)などの好みは国によって違うので、そういうことも意識してほしい」と力説する。
日本語の堪能な外国人が日本通とは限らない
「外国人の日本に関する知識ベースが日本人とは雲泥の差があることをみんな忘れている」とクリス・グレンさんは言う。
では、なぜ我々は忘れてしまうのか。考えられるひとつの理由は、自分の知っている日本語を話す外国人を基準にしがちだからではないか。テレビで日本語を話す外国人もそうだろう。彼らは長く日本に住み、日本語を習得しているので、知識ベースは限りなく日本人に近い人もいるかもしれない。だが、大半の日本を訪れる観光客は、まったく別である。最近では、海外にいながら日本の事情に詳しい外国人も増えている。彼らは子供の頃から日本のアニメやテレビ番組をネットで視聴していて、日本には一度も行ったことがないのに、日本語を話せるようになったという驚くべき人もけっこういる。
そのため、彼らが日本のことを、自分たちと同じように、「何でもわかっている」という錯覚に陥りがちなのかもしれない。確かに、彼らは日本のアニメやサブカルチャーについては詳しいけれど、日本で国政選挙が実施される意味や、三権分立がどう機能しているか、法と国民の関係など、中学校の教科書で学んではいても、あらためて日本人が口にしないような日本の社会を成り立たせている基本的な約束事をどれだけ知っているだろうか。
だが、それが理解できないと、いま日本で起きていることの本当の意味はわからない。日本に詳しく見える外国人たちも、多くの場合、そういう基本的な理解がストンと抜け落ちている。テレビの討論番組などで、中国から来た留学生やビジネスマンが、信じられないような発言をするのも、そのためなのだ。最近、気になるのは日本での香港デモに関する報道に憤慨する在日中国人が増えているという話である。彼らが受けた教育は日本とは異なるうえ、海外にいてもSNSで中国国内にいるのと変わらない情報環境を生きているところがある。だから、日本では当たり前と思われている人権侵害に対する認識が理解できないのである。日本語を話せることと日本社会を理解していることが別物というのはこういうことなのだ。
グレンさんが言う「外国人の視点」とは、単に語学力の問題ではない。
たとえば、日本人なら誰でも徳川家康のことは知っている。だから、関ヶ原の合戦について人に説明する場合、いまさら家康がどんな人物であるかという情報は端折って、両軍の対立の背景や合戦場での布陣、戦いぶりを時系列に沿って熱心に語ろうとするだろう。それは相手が小学生でも同じだ。だが、外国人相手では、家康とは何をした人、まずそこから説明しなければならない。しかも、家康の人間性や武将としての特徴、歴史上果たした役割や時代背景などをなるべくコンパクトに整理してわかりやすく伝える必要がある。
「外国人」への理解を深めるために
これは言うほど簡単なことではない。知識が足りないからではない。本来伝えたいのは「天下分け目」の関ヶ原の合戦の面白さである以上、そこで相手がつまずいてしまうと、話をどこまでさかのぼればいいのか途方に暮れてしまうからだ。日本人相手だと、普段はそういう場面はまずないが、外国人相手だと、事前に想定していた説明内容や構成を検討し直さなければならなくなる。
日本人からすると外国人の質問は、ときに無邪気で唐突ゆえに、我々を当惑させる。たとえば、「どうして日本の城には石垣があるのですか?」といきなり聞かれて、即座にポイントを押さえて答える自信がある人がどれほどいるだろうか。「日本の城には石垣があるもの」。それを疑うことなく常識として受け入れているため、そこに疑問をはさまれたとたん、何をどこからどう説明すればいいのか、一瞬頭が空白になるのだ。それは慣れ親しんだ思考回路を換骨奪胎して組み立て直す作業といってもいい。だが、それこそが「外国人の視点」を理解するプロセスなのである。
(中村正人)