安倍晋三首相が「今月(5月)中の承認をめざす」としていた抗ウイルス薬「アビガン(一般名・ファビピラビル)」ですが、日本医師会が同月18日に、「科学を軽視した判断は最終的に国民にとって害悪」だとして、適切な臨床試験を経た承認手続きを求める声明を発表し、結局、5月中の承認は見送られました。
新型インフルエンザのために備蓄されていたアビガンですが、朝のワイドショー番組などでは、まるで新型コロナウイルス治療の切り札かのように扱われてきました。とくにアビガンを事あるごとに推していたのが、「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日系)に連日出演し、“コロナの女王”と呼ばれた元国立感染症研究所研究員の岡田晴恵氏です。たとえば彼女は、同番組の中で、次のように話していました。
「第二波は、やはり早く患者さんを見つけ早く隔離して早く治療して早くアビガンを与え…というようなことをしないと国民の健康被害が大きくなります」(5月19日放送分)。
かつて“夢の新薬”として期待された「イレッサ」
このようにテレビで報じられ、期待が高まったためか、アビガンの承認見送りに抗議する声もツイッターで上がっているようです。しかし私は、こうしたテレビでのアビガンの取り上げ方には、非常に問題があったと思います。なぜなら、かつて大きな事件となった肺がん治療薬「イレッサ(一般名・ゲフィチニブ)」のことを思い出さずにはいられないからです。
それは私が駆け出しの医療ライターだった20年ほど前のことです。「分子標的薬」という新しいタイプの薬として登場したイレッサは、承認前から医師向けの専門誌等で、「がん細胞だけを狙い撃ちする副作用の少ない薬」というプロモーションが展開されました。
さらに、国内で行われた小規模な臨床試験で肺がんに高い腫瘍縮小効果が見られたとして、テレビや新聞でも取り上げられるようになりました。そうした報道によって、肺がんで苦しむ患者や家族の期待がふくらみ、いつしか「夢の新薬」であるかのごとく語られるようになったのです。
申請からわずか5カ月で“異例の承認”
原則として製薬会社が医薬品を市販する承認を国から得るためには、健康な人を対象に安全性を見極める「第1相試験」、少人数の患者を対象に安全性や効き方、投与量などを検証する「第2相試験」、そして、数百人規模の多数の患者を対象に有効性や安全性を確認する「第3相試験」の、3段階の臨床試験を実施する決まりとなっています。
ところが、「早く使えるようにしてほしい」という患者や医療者の期待に後押しされてか、イレッサは本来行うべき「第3相試験」を市販後に行うという条件の下、製薬会社による国への申請からわずか5カ月という異例のスピードで、02年7月に承認されたのです。
800人超の死者を出す最悪の事態に
販売開始後、イレッサは飲みやすい錠剤ということもあって多くの肺がん患者に投与されました。抗がん剤に精通した専門医だけでなく、一般開業医や歯科医までが処方したと言われています。ところが、その結果「間質性肺炎」という重篤な肺炎の副作用が多発し、2011年9月までに834人が死亡するという、最悪の事態となりました。
その後、イレッサの第3相試験が行われましたが、プラセボ(偽薬)や従来薬に比べ、明確な延命効果を証明することができませんでした。
ただし、対象患者を絞ることで効果が期待できるとして、現在は「EGFR遺伝子変異陽性の手術不能又は再発非小細胞肺癌」に限って使える薬となっています。
この「イレッサの教訓」から言えることは何でしょうか。それは二つあります。
臨床試験で有効性が証明できない可能性も
ひとつは、「安全性が高そうな薬でも、実際にたくさんの患者に使われると、思わぬ副作用が顕在化する場合がある」ということです。たとえば、100人に1人が死亡する副作用があったとしても、100人未満の小人数の臨床試験では把握できない恐れがあります。しかし、市販後に1万人が使ったとすると、計算上100人亡くなる可能性が出てきます。
もう一つは、「事前に高い効果が期待できそうな薬でも、多数の患者を対象にした臨床試験を行ってみないと、本当に効くかどうかはわからない」ということです。理論上効果が期待できそうな薬や、細胞実験や動物実験で高い効果があった薬でも、実際の患者(ヒト)を対象にした臨床試験を行ってみると有効性を証明できず、いつの間にか消えていったものはいくらでもあります。
アビガンが「イレッサのようになる」と言いたいわけではありません。今のところ、アビガンには催奇形性以外の重大な副作用はあまり言われていません。ですが、承認されてたくさんの新型コロナ患者に使われたら、これまで知られていなかった副作用が顕在化しないとも限りません。
また、臨床試験の結果が出ないと確かなことは言えませんが、最終的に有効性が証明できないことだってありえます。それどころか、まだ判明していない副作用のために患者にダメージを与えていて、逆に命を縮めてしまっていたことが、後になってわかる可能性すらあるのです。
もしものとき、ワイドショーに責任がとれるのか?
新型コロナ患者のことを考えると、アビガンの有効性が証明されたほうがいいに決まっています。しかし、もし臨床試験で有効性が証明できなかった場合や、予期しない副作用が顕在化した場合、アビガンを推してきた岡田氏に乗ったワイドショーの責任者やテレビ局の上層部は責任を負えるでしょうか。
新型コロナに感染した有名人が、あたかもアビガンを飲んだおかげで治ったかのようにテレビやネットニュースで報じられたことも問題です。なぜなら、アビガンを飲んで症状が改善したとしても、たまたま自然に治るタイミングに合っただけか、あるいは別の要因で治っただけかもしれないからです。
そのため科学的な医薬品の評価では、個人の体験談や医師の症例報告の「エビデンス(科学的証拠)」は、最低レベルの扱いとなっています。
アビガンは「ランダム化比較試験」の結果が出ていない
医薬品の効果を科学的に検証するのに、もっとも信頼性が高いとされる臨床試験の方法が、「ランダム化比較試験(RCT)」です。100人単位、ときには1000人単位の患者を対象に、「実薬」を飲むグループと、それに似せた「偽薬(プラセボ)」あるいは従来の薬を飲むグループ(対照群)とに、くじ引きのような方法で無作為に分け、両者が治るまでの期間や重症化率、死亡率などを比較するものです。
無作為(ランダム)に両群を分けるのは、そうすれば片方の群に治りやすい人が多くなるような偏りがなくなり、両者をフェアに比較することができるからです。医師の手心が加わらないように、飲む患者も投与する医師も誰が実薬で誰が偽薬を飲んだかわからないように行う「二重盲検(ダブルブラインド)」という方法も合わせて採られます。
こうした臨床試験の努力を積み重ねて、対照群に比べて統計学的に明らかに治るまでの期間が短くなったとか、重症化率、死亡率が低下したという結果が出て、初めて科学的に「この薬はこの病気に効果がある」と言えるようになるのです。
アビガンとともに新型コロナの薬として期待されているレムデシビルは、海外で新型コロナ患者に対してRCTが行われて、治療期間の短縮が認められました(重症化率、死亡率の低下は不明)。だから、特例で早く承認されたのです。しかし、アビガンはまだRCTの結果が出ていません。
多くの医師がワイドショーを批判している理由
ほんらい、報道機関がアビガンについて報道・論評する場合には、こうした医薬品の承認のプロセスや有効性、安全性を科学的に検証する方法について丁寧に説明し、人びとの過剰な期待を抑える役割を果たさなくてはならないはずです。もし早く使えるようにしてほしいのならば、むしろ臨床試験をサポートする態勢の充実を訴えたり、臨床試験に対する人びとの理解や協力を求めたりすべきです。しかし、ワイドショーでそのような丁寧な説明がされる場面を、少なくとも私は見ていません(やっていたのなら、教えてください)。
テレビ、新聞、雑誌などの報道機関は、何十万、何百万、何千万という読者や視聴者に大きな影響を与える力を持っています。だからこそ、人びとを誤った方向に導かないよう、ファクト(事実)やエビデンスに基づいて、正確な情報や的確な論評を伝える義務があります。その原則を守っているのなら、政府や行政に対してだけでなく、医療に対しても厳しい批判をして構わないと私は思います。
しかし、新型コロナに関するワイドショーの報道は、視聴率を稼ぎたいためなのか、視聴者を煽るばかりで、その原則がまったく守られていなかったと思います。PCR検査についての主張もそうですが、ツイッターやYouTubeでは、医師らによるワイドショー批判が数えきれないほど出ていました。番組スタッフも知らないはずはありません。
“アビガン推し”は利益誘導にもなりかねない
もう一つ問題だったと思うのは、アビガンを推すことが「利益誘導」になりかねないことです。承認前の医薬品の期待を煽れば、製造販売会社の株価にも影響を与える可能性があります。そうした危ういことをテレビがやっていいのでしょうか。
ちなみに、アビガンの製造販売会社は富士フイルムホールディングスの傘下にあります。同グループの古森重隆会長は、安倍首相のゴルフ仲間として有名です。モーニングショーのコメンテーターを務めるテレビ朝日社員の玉川徹氏は、権力監視をモットーとするならば、むしろ、この両者の関係性を厳しく指摘すべきだったのではないでしょうか。
政治や経済もそうですが、医療報道も一つ間違えると、人の命を危険にさらしたり、医療現場を混乱させたりする恐れがあります。モーニングショーをはじめとするワイドショーには、そのような倫理観や緊張感が決定的に欠けていたと思います。
この秋冬に新型コロナの第二波が来ないとも限りません。そのときに、また同じような番組作りをすれば、ますますテレビの信頼性は落ちることになるでしょう。ワイドショーの責任者やテレビ局の上層部には猛省を求めたいと思います。
(鳥集 徹)