「自国優先」にもグローバリズムが必要な逆説 コロナ後の社会と「ボディ・パンデミック」

内外で議論の最先端となっている文献を基点として、これから世界で起きること、すでに起こっているにもかかわらず日本ではまだ認識が薄いテーマを、気鋭の論客が読み解き、議論する「令和の新教養」シリーズ。 前回につづき、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、われわれの身体への脅威のみならず、社会全体にどのような影響を及ぼしているのかを、「ボディ・ポリティックに分離は利かない」という視点から評論家・作家の佐藤健志氏が読み解く。 ■コロナは一体となって乗り越えるもの 天皇・皇后両陛下は本年4月10日、新型コロナウイルス感染症の拡大について、政府の専門家会議の尾身茂副座長より、1時間半にわたって説明を受けられました。 その際、両陛下は「国民が一丸となって乗り越えなければいけない病気。一人ひとりの自覚が必要なんですね」と語られたそうです(「両陛下 新型コロナ説明受け『国民が一丸となって』」You Tubeより 2020年4月11日)。 「一丸」を「一体」とすれば、このお言葉はさらに的確。 国家や国民が「ボディ・ポリティック(政治的身体)」とも呼ばれることが示すように、国や社会は「無数の人々によって構成された、1つの巨大な身体」という性格を持っているのです。 そして疫病の流行において、ボディ・ポリティックは単なる比喩ではなく、文字どおりのものとなる。 ゆえにコロナ対策に関しては、以下の3つの原則が導き出されます。 (1)「身体(=ボディ・ポリティック)でわかっていないこと」「身体が慣れていないこと」は、論理的・合理的に見えようと失敗するリスクが高い。 (2)ボディ・ポリティックの一体性を無視した対処法は、非現実的な観念論にすぎない。まして当の一体性を損なうような対処法は、国や社会に永続的な後遺障害を残すことを覚悟せよ。 (3)国境を越えたヒトや物の移動が当たり前になった現在、あらゆるボディ・ポリティックは、ほかのボディ・ポリティックとつながっている。 1番目の原則が具体的に何を意味するかは、前回の記事をご覧下さい。 ここで取り上げるのは、2番目と3番目です。 1つの巨大な身体である以上、ボディ・ポリティックには一体性が備わっている。 分離しようと思って、できるものではありません。 しかるにコロナ対策をめぐっては、高齢者や基礎疾患のある者といった「コロナ弱者」を隔離・保護しさえすれば、あとの者はさして自粛しなくとも構わないはずだとする主張が見られました。

内外で議論の最先端となっている文献を基点として、これから世界で起きること、すでに起こっているにもかかわらず日本ではまだ認識が薄いテーマを、気鋭の論客が読み解き、議論する「令和の新教養」シリーズ。
前回につづき、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、われわれの身体への脅威のみならず、社会全体にどのような影響を及ぼしているのかを、「ボディ・ポリティックに分離は利かない」という視点から評論家・作家の佐藤健志氏が読み解く。
■コロナは一体となって乗り越えるもの
天皇・皇后両陛下は本年4月10日、新型コロナウイルス感染症の拡大について、政府の専門家会議の尾身茂副座長より、1時間半にわたって説明を受けられました。
その際、両陛下は「国民が一丸となって乗り越えなければいけない病気。一人ひとりの自覚が必要なんですね」と語られたそうです(「両陛下 新型コロナ説明受け『国民が一丸となって』」You Tubeより 2020年4月11日)。
「一丸」を「一体」とすれば、このお言葉はさらに的確。
国家や国民が「ボディ・ポリティック(政治的身体)」とも呼ばれることが示すように、国や社会は「無数の人々によって構成された、1つの巨大な身体」という性格を持っているのです。
そして疫病の流行において、ボディ・ポリティックは単なる比喩ではなく、文字どおりのものとなる。
ゆえにコロナ対策に関しては、以下の3つの原則が導き出されます。
(1)「身体(=ボディ・ポリティック)でわかっていないこと」「身体が慣れていないこと」は、論理的・合理的に見えようと失敗するリスクが高い。
(2)ボディ・ポリティックの一体性を無視した対処法は、非現実的な観念論にすぎない。まして当の一体性を損なうような対処法は、国や社会に永続的な後遺障害を残すことを覚悟せよ。
(3)国境を越えたヒトや物の移動が当たり前になった現在、あらゆるボディ・ポリティックは、ほかのボディ・ポリティックとつながっている。
1番目の原則が具体的に何を意味するかは、前回の記事をご覧下さい。
ここで取り上げるのは、2番目と3番目です。
1つの巨大な身体である以上、ボディ・ポリティックには一体性が備わっている。
分離しようと思って、できるものではありません。
しかるにコロナ対策をめぐっては、高齢者や基礎疾患のある者といった「コロナ弱者」を隔離・保護しさえすれば、あとの者はさして自粛しなくとも構わないはずだとする主張が見られました。