北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父・横田滋(よこた・しげる)さんが5日午後2時57分、老衰のため川崎市内の病院で死去した。87歳だった。葬儀・告別式は近親者のみで営む。1977年にめぐみさんが行方不明になってから43年、再会を信じて妻・早紀江さん(84)とともに救出に向けた活動を続け、計1400回を超えた講演では最後まで「めぐみちゃんに早く会いたい」と願いを語ったが、かなわなかった。
拉致被害者家族会の象徴的存在として、国民が思いを寄せてきた滋さんが亡くなった。めぐみさんとの再会を夢見て共に歩んだ早紀江さんは「めぐみを取り戻すために主人と2人で頑張ってきましたが、主人は会えることなく力尽き、今は気持ちの整理がつかない状態です」と息子の拓也さん(51)、哲也さん(51)と連名でコメントを発表した。
滋さんは川崎市内の病院の長期療養所病棟に入院していたが、5日昼頃に心肺停止状態に。親族数人に見守られて最期を迎えた。早紀江さんも駆け付けたとみられる。後日、遺族の会見やお別れの会を予定している。
徳島市出身で、高校卒業後の1951年に日銀に入行。新潟支店に勤務していた77年11月15日、新潟市立寄居中1年だっためぐみさん(当時13)がバドミントン部の練習後の下校中、行方不明になった。最初の20年間は事件か事故かも分からなかった。97年、亡命工作員の証言によって拉致の可能性が浮上。北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)を結成し、初代代表に就任した。当初は懐疑的な人も多く、街頭での署名活動は冷たくあしらわれた。
2002年、小泉純一郎首相との首脳会談で北朝鮮・金正日総書記(いずれも当時)が日本人13人の拉致を認めたが、めぐみさんは死亡したと説明。滋さんは会見で「良い結果を楽しみにしていたが、死亡という…」と声を詰まらせ「信じることができない」と訴えた。
高齢のため07年に家族会代表を退任したが、その後も早紀江さんとともに計1300万件を超える署名を集め、全国各地での講演は1400回を超えた。14年にはめぐみさんの娘キム・ウンギョンさんとの面会が実現したが、最後の講演まで「めぐみちゃんに早く会いたい」と願った。
理不尽で悲しい過去を抱えていたにもかかわらず、温和な人柄でほほ笑みを絶やさず、優しい口調で取材に応じた。行方不明になる前日、45歳の誕生日にめぐみさんが「これからはおしゃれに気を付けてね」と贈ってくれた櫛(くし)を肌身離さず持ち歩き、再会の日を信じ続けた。