監禁、通電、脅迫……被害者は2階の窓から飛び降り、重傷を負いながら這うように逃げた

2002年6月7日に、松永太と緒方純子を原武裕子さん(仮名)に対する詐欺・強盗罪で起訴した福岡地検小倉支部は、起訴状に記された強盗罪について、別表を用意していた。公訴事実を補完する意味で添えられたその別表には、7件の犯行についての暴行の日時やその態様、さらには強取の日時と場所、強取金額が並ぶ。それは以下の通りだ。なお、( )内は筆者による補足説明である。
詐欺・強盗罪7件の犯行詳細
〈1.暴行等日時 平成8年(1996年)12月29日
暴行脅迫等の態様 通電させた上、「(裕子さんの、以下同)母親から70万円の金を引き出せ。パソコンを買うお金がいるから貸して欲しいと言え。」などと命令し、被害者をして母親へ命令通りの電話をさせた。
強取日時 平成8年12月30日
強取場所 (北九州市)小倉南区『曽根アパート』(仮名)20×号室
強取現金 700000円

2.暴行等日時 平成9年(97年)1月20日
暴行脅迫等の態様 通電させ、あるいは、通電する旨告げた上、「母親に『秋葉原にパソコンの買い付けに来ている。20万円を通帳に振り込んで欲しい。』と言え。」などと命令し、被害者をして母親へ命令どおりの電話をさせた。
強取日時 平成9年1月20日
強取場所 小倉南区(金融機関前)路上
強取現金 199000円

3.暴行等日時 平成9年1月27日
暴行脅迫等の態様 通電させ、あるいは、通電する旨告げた上、「(裕子さんの、以下同)父親から金を借りろ。『大学に行かせてもらえなかったから、60万円を貸して欲しい』と言え。」などと命令し、被害者をして父親に、命令どおりの電話をさせた。
強取日時 平成9年1月27日
強取場所 小倉北区(金融機関前)路上
強取現金 600000円

4.暴行等日時 平成9年2月21日
暴行脅迫等の態様 通電させた上、「親からいくらでもいいから金を引き出せ。車を買うと言え。」などと命令し、被害者をして母親に命令どおりの電話をさせた。
強取日時 平成9年2月23日
強取場所 小倉南区(金融機関前)駐車場
強取現金 50000円

5.暴行等日時 平成9年2月28日
暴行脅迫等の態様 通電させ、あるいは、通電する旨告げた上、「実家に電話をかけて幾らでもいいから借金しろ。」などと命令し、被害者をして母親に、命令どおりの電話をさせた。
強取日時 平成9年3月1日
強取場所 小倉北区(金融機関前)路上
強取現金 200000円

6.暴行等日時 平成9年3月3日
暴行脅迫等の態様 通電させ、あるいは、通電する旨予告した上、「実家に電話をかけて幾らでもいいから借金しろ。」などと命令し、被害者をして父親に、命令どおりの電話をさせた。
強取日時 平成9年3月4日
強取場所 小倉南区(金融機関前)駐車場
強取現金 40000円

7.暴行等日時 平成9年3月10日
暴行脅迫等の態様 通電させ、あるいは通電する旨予告した上、「お前の親からは借りられないだろうから、友人に電話しろ。××の東京研修に来て帰りの旅費が足りないと言え。」などと命令し、被害者をして××(友人名)に、命令どおりの電話をさせた。
強取日時 平成9年3月10日
強取場所 小倉南区(金融機関前)路上
強取現金 200000円

合計 1989000円〉
この最後の強取が行われてから6日後の1997年3月16日午前3時頃に、裕子さんは2階の部屋の窓から飛び降り、約300m離れた場所にある会社の事務所まで這うようにして逃げ込んで保護された。そして電話連絡によって駆けつけた前夫に付き添われて、病院に搬送されたのだった。
幼い娘を残した罪悪感による重いPTSD
なお、裕子さんと松永が出会ったきっかけや、その後の松永と緒方が組んで彼女を陥れていく経緯の詳細に関しては、これらの事件の冒頭陳述がなされた、2002年7月31日の第2回公判について触れる際に取り上げる。
ひとまず裕子さんの逃走後の状況について説明しておくと、彼女の逃走を知った松永と緒方は、翌17日の午後9時半に、運送業者に依頼して、監禁場所の『曽根アパート』にあったすべての家財道具を、当時別に借りていた小倉北区片野の『片野マンション』(仮名)に移している。その際、逃走するふたりと一緒にいたのは、彼らの長男(4)と次男(0)、さらにこの約1年前に父親を殺害されている当時12歳だった少女・広田清美さん(仮名)と、裕子さんの3歳の娘だった。
その後、扱いに困ったのか、松永と緒方は3月26日の早朝、裕子さんの娘を彼女の前夫宅前の路上に置き去りにし、発見された娘は前夫に保護された。娘は左足の膝頭の下と左足の前部に、通電の暴行によってできたと見られる化膿性の腫瘍があり、極度の空腹を訴えていたという。
福岡県警担当記者は語っている。
「捜査員によると、裕子さんは自身が長期間に亘って通電による暴行を受けたこと以上に、自分が逃げ出したときに、まだ幼い娘を残してきてしまったことに、ひどく自責の念を抱いていて、そのことがより重いPTSD(心的外傷後ストレス障害)を引き起こしているそうです」
とはいえ、裕子さんは2階から飛び降りた際に、彼女自身が腰と背中を地面に強打し、第1腰椎圧迫骨折及び左肺挫傷等の、入院加療約133日間を要する重傷を負っている。それはまさに命からがらの逃走であり、より危険を冒して、我が子を道連れにして飛び降りることへの躊躇があったとしても、致し方ないことだと思われる。
さらに付け加えると、松永の通電による暴行は、彼女の肉体と精神を極限状態に追い込むほどに、苛烈なものだった。後に続いた裁判のなかで、2005年4月27日に緒方の弁護団(当時=最初の弁護団とは異なる)が福岡地裁小倉支部に提出した弁論要旨には、裕子さんの調書から引用した通電の状況が記されている。以下抜粋する。
裕子さんの調書「心臓がバクッとして、死の恐怖に襲われた」
〈平成8年10月、態度を豹変させた松永から受けた最初の電気ショックでは、松永がプラグとコンセントを両手に持って追求(ママ)し、答えられないと繋いで通電した。ピリッという痛みに加えて、通されることへの恐怖感と、いつ通されるか予測できない不安が辛かった。延々明け方まで続き、気を失った。その間の松永の言葉を全く覚えていない。
以後、連夜の通電を受け、意思も気力もなくなり、命令どおりに動く“操り人形”となった。いわゆる(※松永が主張する)SMプレイではなく、単なる拷問であった。別れたいと口にした時には、松永は激怒して延々と通電した。「自分で電気を通して死んだ馬鹿な奴がいる」と言われ、背筋が凍った。自分の子どもへの虐待を強制され、通電されたくない一心で手伝ったが、「手を抜いた」という理由で通電された。上半身裸で、蹲踞(そんきょ)させられ、両乳首にクリップを装着され、心臓が止まるのではという不安と息苦しさを覚えた。胸にドンという電気の衝撃があり、仰向けに倒れることもあった。膝の後ろに通電されると足が跳ね上がって倒れた。ほとんど全身に通電されたが、乳首がいちばん辛かった。乳首は特にデリケートなので、ちぎれるような痛みがあり、心臓がバクッとして、死の恐怖に襲われ、通電を終わってもビリビリ感、脈打つ感覚が残った。眉毛への通電では、目の前に火花が散って真っ白になり、そのまま失明する恐怖を覚えた。松永を見ただけで通電されるという恐怖感で震え上がった。一日中、いつ通電されるかの恐怖が続いた〉
同弁論要旨には、通電について緒方の精神鑑定時における供述も併せて記載されており、それがいかに精神的に痛めつけられる行為であるかが伝わってくる。供述は以下の通りだ。
緒方の供述「常にいつ通電になるかという緊張の連続」
〈最初に通電された頃、松永は最初は遊びの感覚だった。最初はピリッとしただけで、どうということはなかったが、増すに従って恐怖心が増した。(※緒方が逃走した際に)湯布院から帰った時、松永から徹底的に顔面への通電を繰り返された。衝撃は言葉ではなかなか表現できない。顔面の通電では、1秒であってもすごい衝撃で激痛が走り、意識が遠のいて目の前が真っ白になり、このままどうかなるという恐怖感に襲われた。指先の場合は、指がもげるんじゃないかという恐怖があった。いろいろな方向から質問され、答えても通電、答えなくても通電で、本当のことを言っても嘘を言うなと通電され、言う事がなく黙っていても通電された。「音を立てるな」と言われ、気をつけても音がしてしまって通電され、次には気をつけようとして萎縮してしまった。通電は毎日の日課のようで、ない日の方がまれだった。「皿を少し強く置いた」「お前がうるさいから目が覚めた」「怖い顔で掃除している」「(通電に時間がかかり)俺の団欒の時間が減った」といって通電された。痛みと恐怖感で頭の中が一杯になり、ほかのことを一切考えられなくなった。その後しばらくの記憶が今でもはっきりしない。怒鳴られたり問いただされたりしながら、延々と断続的に掛けられた。いつ終わるかは松永の気分次第だった。陰部の通電は性的な意味で自分という人間を否定されるような屈辱感があった。不思議なことに、苦痛は、慣れるのと逆に、回数を重ねるごとに強くなった。恐怖心が増幅された。松永から「電気は私の友達です」と言って笑えと命じられ、それに従った。通電を避けることが最大の関心で、常にいつ通電になるかという緊張の連続で、石にでもなってしまいたかった。思考力が衰え、考えられなくなり、それが回復する時はなかった。日を追うごとに何となく思考力が衰えてきたかなと思ったり、耳が聞こえにくくなったかなと思った。今の状態(公判時)はほぼ正常と思うが、こうなるまでは何年もかかるのではないかと思う〉
(小野 一光)