「思い出したくないが、証言が後世に残れば」 福岡大空襲75年、コロナで追悼式中止に

太平洋戦争末期の1945年6月、福岡市中心部で1000人を超える死者・行方不明者が出た福岡大空襲から19日で75年になった。しかし、市などが毎年開いている追悼式が新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止になり、空襲で甚大な被害を受けた同市中央区簀子(すのこ)地区の公民館職員らが作った戦災者の証言DVDも観客を集めての上映会が開けなくなった。
「家族で入っていた防空壕(ごう)に爆弾が直撃して母など5人が亡くなり、荷車を借りて遺体を運びました。母は臨月でした」。カメラの前で語られる凄絶(せいぜつ)な空襲体験。簀子公民館が作った証言DVD「福岡大空襲の夜 火の雨が降った」には、空襲体験者ら26人のインタビューが収められている。
戦時中、近くに旧陸軍の歩兵連隊が置かれていた簀子地区は集中的に爆撃され、176人が亡くなった。当時を知る人たちは空襲の日の毎年6月19日に合わせて小中学校などで講話をしてきたが、高齢化が進み、記憶の継承は年々難しくなっている。そこで公民館職員らがDVDを作った。
証言者の一人、宮田信さん(84)は当時9歳。火の粉が降る中、お堀の水でぬらした布団をかぶって一夜を明かし、赤く染まっていく街をぼうぜんと見つめた。「本当は思い出したくない怖い体験だが、証言が後世に残って何かを感じてもらえたら」と振り返る。
公民館の遠藤和子館長(75)は戦後75年の今年、多くの子供たちに見てもらおうと6月19日に上映会を企画したが、新型コロナの感染を防ぐため中止せざるを得なかった。何とか多くの人に見てもらおうとDVDの貸し出しを始め、ネット配信も考えている。
同市中央区の市立舞鶴小・中学校では19日、小6の児童と中学生が平和学習の授業で鑑賞した。今年は空襲体験者を呼べず苦慮していたが「毎日通る身近な場所でこんな痛ましい出来事があったのかと、子供たちにも迫るものがあったようだ」と野坂和幸校長。児童生徒は食い入るように見ていたという。
「『戦争をしてはいけない』という証言者のメッセージに思いを致してほしい」。遠藤館長はそう願っている。【飯田憲】
戦災都市の追悼行事、中止や縮小相次ぐ
太平洋戦争末期の空襲で甚大な被害が出た戦災都市の犠牲者追悼行事が、新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止や規模縮小を余儀なくされている。
全国の戦災都市でつくる「太平洋戦全国空爆犠牲者慰霊協会」(兵庫県)に加盟する九州・山口の33市町では、4月以降、福岡市や北九州市内3区、山口県下関市、大分市などで少なくとも計11件の行事が中止になった。長崎市や長崎県佐世保市、鹿児島市、宮崎県日南市は参列者を減らすなど式の規模縮小を決めた。
秋以降に予定されている行事は「国、県の動向や感染状況を見ていく必要がある」とする鹿児島県西之表市など17市で方針が固まっていない。開催方針の自治体担当者も「やる方向で準備を進めるが、その頃になって感染が拡大したら中止せざるを得ず、準備にかかった予算が無駄になる」と悩ましい思いでいる。