太平洋戦争末期の沖縄戦で戦死した陸軍兵士の大伯父(祖母の兄)の遺骨を、熊本県立八代高2年の山口凌(りょう)さん(17)=同県八代市=が捜している。自分で大伯父の軍歴や部隊の日誌などを調べ、今年2月には1人で「最期の地」を訪ねて、ガマ(自然壕(ごう))での遺骨収集にも参加した。戦後75年の今も、10歳上だった兄の遺骨の帰りを待つ祖母。山口さんは「戦没者と遺族の戦争は終わっていない。見つかるまで捜す」との思いを強くしている。
「兄に会いたい」祖母の代わりに
「1945年5月8日は忘れられない日」。6月21日に熊本市であった、核兵器廃絶を訴える署名を国連に届ける「高校生平和大使」の熊本県代表選考会。山口さんは22歳で亡くなった大伯父の本田政義さんの「命日」について語った。
山口さんが小学5年の時、祖母シズ子さん(88)が「沖縄に行きたい。兄に会いたい」とこぼした。遺品も遺骨も戻らず、白木の箱に札が入って送られてきただけだったという。体の弱った祖母が沖縄に行くのは難しい。「自分がやるしかない」。そう決意した山口さんは図書館で沖縄戦について調べ始めた。
中学生になり、インターネットで戦没者の軍歴の書類を遺族が取得できることを知り、熊本県から取り寄せた。そこには41年に陸軍に入った政義さんが「45年5月8日に沖縄本島で戦死」とあった。戸籍や配属された独立歩兵第15大隊の日誌なども調べ、最期の地が沖縄県浦添市だったこと、部隊が45年5月8日に浦添にいたことを知った。集めた資料はファイル4冊分になった。
「自分につながる大伯父の遺骨を捜したい」。山口さんは、ボランティアで遺骨を収集する南埜(みなみの)安男さん(55)=那覇市=の存在を新聞記事で知り、今年2月に1人で沖縄に渡った。沖縄戦最後の激戦地である沖縄県糸満市の喜屋武(きゃん)岬近くのガマで手伝った南埜さんの遺骨収集。身元の分からない風化した頭蓋骨(ずがいこつ)を持ち上げると、「戦争をしてはいけない」と訴えかけられているようで長い歳月とずっしりとした重みを感じた。
翌日に訪ねた戦没者の名前が刻まれた糸満市の平和祈念公園の「平和の礎(いしじ)」。政義さんの名前を見つけ、祖母が「兄が唯一残したものだ」と言う実家のサザンカの枝を供えると自然と涙があふれた。その日の夕方、浦添に着いたが、政義さんが死亡したとみられる場所は学校や住宅地になっていて、手がかりは見つからなかった。
頭蓋骨を素手で持ち上げて感じた平和の重さと、今なお肉親が遺骨を抱くこともできない戦争の愚かさを伝えたいと臨んだ高校生平和大使の選考会。山口さんは「声を上げて伝えることで世界は変えられる」と訴えた。今の自分よりわずか5年だけ長く生き、生涯を閉じた大伯父。その無念を胸に、国際紛争の解決につながる仕事を志している。【樋口岳大】