“西浦試算”公表前夜の暗闘 コロナ専門家会議の当事者が明かす「西浦氏vs.厚労省幹部」

緊急事態宣言を解除したのに続き、政府は19日、都道府県をまたぐ移動の自粛要請も緩和した。爆発的な感染拡大は確かに免れたが、何が原因だったかは判然としない。やがて来る第2波を前に、最前線を担った専門家たちはどう動いたのか。
当事者への取材から浮かび上がるのは、「科学と政治」の境界線のどこに位置を取るのかをめぐって、専門家たちが内面に抱え込んだ葛藤や、専門家同士の衝突という知られざる事実だった。
2つの会議室に詰めた“クラスター対策班”
5月下旬まで、日比谷公園に面した中央合同庁舎5号館の11階と12階に、それぞれ30坪足らずの2つの会議室が厚労省クラスター対策班の詰め所となっていた。疫学解析で戦略を担う、東北大学大学院教授の押谷仁が率いる東北大学・新潟大学・長崎大学などの混成グループと、数理モデルによるデータ解析を担う、西浦博の北海道大学のグループがそれぞれ陣取り、合わせると30人ほどのチームになる。
政府が新型コロナ対策の基本方針を定めた2月25日、加藤勝信厚労大臣の参謀役の機能を期待され、専門家を厚労省内部に取り込むかたちで設置された。11年前の新型インフルエンザの流行時の危機管理を担った官僚はもう組織の中枢にはいない。審議会に諮問し、答申を受けて動く従来型の行政では、パンデミックの速度に追いつかないという判断が背景にはあった。
実際、押谷はWHO西太平洋地域事務局に在籍していた03年、死者774人を出した重症急性呼吸器症候群(SARS)の制圧に向け、前線で指揮した実績を持つ。「鳥インフルエンザ対策の切札」と称賛も浴びてきた感染症対策の世界的エキスパートだ。
「厚労省の中にいていいことなんてない」
クラスター対策班の部屋のもう一人の“室長”である西浦を訪ねたのは、緊急事態宣言解除に向け、政府がアクセルを踏み込み始めていた5月8日だった。なし崩し的に進む休業要請の緩和の判断に小さく嘆息したが、すぐに訥々と語り始めた。
「もちろん、データを分析してエキサイティングなこともあるし、研究室のメンバーにもいい経験になる。でも本音を言えば、感染症の流行が起こっている中で決定権限なんて何もないのに責任を問われる。厚労省の中にいていいことなんてほとんどないんです。ただ、自分を育ててくれた国ですので、その国が従来通りの行政対応だけに終始して、みすみす流行するのを黙って見ているわけにはいかなかった」
西浦は大阪生まれの神戸育ち。ソーラーカーやロボコンを愛する科学青年だった17歳の冬、阪神・淡路大震災が起きた。変わり果てた町で、支援活動に心血を注ぐ医師たちに心を打たれて医師の道を志した。
宮崎医科大学(現・宮崎大学)在学中、途上国のプロジェクトに参加して理論疫学と出会う。その根幹をなす数理モデルは、感染症がどのように伝播し、感染者がどの程度の期間で発症し、重症化するか、その過程を数式で表現する学問だ。
英インペリアルカレッジロンドンの客員研究員に潜り込んだのを皮切りに、ドイツ、長崎、オランダ、香港と国内外を渡り歩く。ユトレヒト大学の研究員だった09年に新型インフルエンザの世界的な流行が始まると見るや、致死率や空港検疫の効果など、数理モデルを最大限に生かした試算を次々と発表した。押谷のような一線の研究者の目に留まるようになったのもこのころだ。
公衆衛生学は、医学部という地平で見渡せば、学生が多く集まる場所ではない。とりわけ未開拓の数理モデル研究を世に広めたい、という志を抱く西浦にとって、コロナ危機が“最高の舞台”になったことは間違いない。
専門家会議では「ケンカ、激論もしました」
専門家会議副座長の尾身茂(地域医療機能推進機構理事長)にじっくり話を聞いたのは、5月22日のこと。前日には東京など5都道県を最後に、緊急事態宣言を全面解除する可能性を安倍首相自ら示唆していた。尾身はこの4か月を「がむしゃらに全力疾走という感じね」と総括した。
専門家会議には、尾身や押谷ら12人の構成員のみならず、西浦のような公式メンバー以外の専門家も随時参加した。バックグラウンドの異なる者たちの議論は、時に紛糾したという。「ケンカ、激論もしました。『エビデンスがない』『なんだ!』と声を荒げもした。それだけ役に立ちたいという思いが強いグループだった」と尾身は言った。
初会合から8日後の2月24日に「ここ1~2週間が急速な拡大か収束かの瀬戸際」と会見で熱弁するなどして注目を浴びて以降、緊急事態宣言が解除されるまでに「分析・提言」を6回、「見解」を3回、「要望」を1回と、平均すれば十数日に1度は何かを発信した。尾身を核にして開く記者会見は度々2時間を超え、終了時刻は夜半を過ぎることもあった。
クラスター対策から“接触の8割削減”へ
尾身のスタイルは、WHO西太平洋地域事務局長を務めていた頃、押谷の上司としてSARS制圧などの指揮を執った経験に基づいていた。決定事項をロイターやAPの記者に説明すれば、あっという間に世界中に伝わったからだ。だが尾身は今回、「今回は難しかった。意図したことが正確に伝わらず、リスクコミュニケーションの難しさを感じたこともある」と振り返る。
多くの国民がネット中継を深夜まで注視し、感染症のリテラシーが高まる一方、政策を決めているのは、政治家でなく専門家であるかのように誤解されもした。
外国からの帰国者を起点にした感染拡大が不可避となった3月中旬以降は、クラスター対策から接触を8割削減する方法に対策を切り替え、緊急事態宣言に向かうが、その“スイッチ”について政治は対外的な説明をしてくれず、「専門家によるクラスター対策は失敗だった」という批判が次第に高まっていく。
吉村府知事・小池都知事との“連携”
黒子に徹していた西浦は、目立つことをやり始めた。3月19日、大阪府知事の吉村洋文が3連休中の兵庫県との往来自粛を府民に要請したが、根拠となったのが西浦作成の試算だった。3月30日には東京都知事、小池百合子の会見にも陪席し、指数関数的な感染者数の増加の兆しがあること、孤発例のうちキャバクラやバーなど夜の街での感染が疑われる例が30%になることを明らかにした。
その語り口の明晰さに目をつけた小池は、都のウェブサイト上で始めた動画会見にしばしば西浦を同席させるようになる。「8割おじさん」と最初に呼んだのは押谷だが、その愛称とともにたちまち政治的なアイコンに押し上げられていく西浦のことを側にいて最も憂いていたのも、押谷だった。
緊急事態宣言が始まって1週間後の4月15日――西浦は現在まで物議を醸すことになる試算を明らかにする。「何も対策を打たなければ死者は42万人になる」との内容だ。
「これはあんた1人には背負えないんじゃないか」
厚労省の官僚は「クラスター対策班として言うんじゃなくて、個人として言うんだよね」と確認するだけ。対策の必要性を理解してもらうために、最悪の事態について説明するべきだという西浦の訴えに正面から向き合おうとはしなかった。
1人でやるしかないんだ、と孤立感を深めた西浦に対し、「これはあんた1人には背負えないんじゃないか」と本気になってくれたのは、ほかでもない押谷だった。「これは首相が言うべき筋の重い数字だ」「調整が整わないならこの国はもう駄目なんだ、駄目になっても言わない方がいいんだ」と――。
彼らのぎりぎりの対話の帰結はどうなったか。私は尾身、押谷、西浦を中心に、彼らとともに感染症と向き合う最前線の責任を担った者たちに取材を重ね、「文藝春秋」7月号(および文藝春秋digital)に「 ドキュメント 感染症『専門家会議』 」と題して寄稿した。政治と科学の間のどこに境界線を置くべきなのか。政策決定の中枢に集った者たちの、表では語られない葛藤を、新型コロナ対策の「創世記」として残しておきたかったからだ。
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(広野 真嗣/文藝春秋 2020年7月号)