狸が化けた道頓堀 人形が映す大坂の辺境

関西有数の繁華街、大阪・ミナミの道頓堀にもあやかしの物語が残る。江戸時代には「中座」「角座」といった芝居小屋や茶屋が集まるにぎやかなスポットだった一方、ほど近い千日前は明治初期まで、墓地や刑場が並ぶうら寂しい地。華やかな劇場都市と、弔いの地が交差したこの場所を、妖怪に詳しい国際日本文化研究センターの木場貴俊プロジェクト研究員(41)と巡った。 (藤原由梨)
芝居の神はタヌキ?
「タヌキは、『狸芝居』なんて言葉が残るように、芝居と縁がありますよね」
中座跡地に建つ「中座くいだおれビル」(大阪市中央区)では、高さ約1メートルのタヌキの人形「道頓堀のお狸様」が入館者を出迎える。木場さんは大坂生まれの元禄期の浮世草子作家、井原西鶴(1642~93年)が「西鶴諸国はなし」に記した道頓堀の芝居小屋での不思議な話を教えてくれた。
江戸時代、楽屋の番をしていた男が夜半に騒がしい足音で目を覚ますと、浄瑠璃の人形たちが源平合戦を演じていた。水を飲むなど、人間と変わらないしぐさ。翌朝、仲間に報告すると、古株の道化人形遣いだけは驚かず、「昔から人形同士が争うことは多い。しかし、水を飲んだのは変だ」と言い出した。そこで、小屋の中を探すと、タヌキが床下から飛び出したという。「結局、タヌキが人形に化けていたんですね」
道頓堀のお狸様人形も芝居好きのタヌキ「柴右衛門」の伝承から作られた。柴右衛門は江戸中期、淡路の国のタヌキで、初代・片岡仁左衛門(1656~1715年)の評判を聞き、人間に化けて中座で芝居を見物するが正体がばれ、犬にかみ殺されたと伝わる。その後、客足が遠のいたため、柴右衛門をまつるほこらを設けたところ客が戻ったという。
実際、中座の地下にはほこらがあり、「タヌキが化ける」にちなんで、喜劇俳優の藤山寛美らに厚く信仰された。平成11年の中座解体に伴い、ご神体は淡路に移ったものの、跡地に建った中座くいだおれビル地下には今もほこらが残る。
案内され、地下に続く階段を下りると鍵のかかった扉の奥にほこらが鎮座していた。地下だけにひんやりとした空気が流れる特別な場所。一般公開されていないため、初めて見たという木場さんは「タヌキは結構芝居好き。まつられて本望ではないでしょうか」と感慨深げだ。
詳細不明のうぶめ
中座跡地から南へ徒歩5分ほど。水掛不動尊で親しまれる千日前の法善寺(同区)は、千日寺の別名でも知られる。取材中も、お不動さんにはひっきりなしに参拝客が訪れ、水を掛けて手を合わせていた。
この寺について西鶴は「好色盛衰記」の中で「泣て人をおどす物 千日寺のうぶめ」とした。うぶめとは「姑獲鳥」とも「産女」とも記され、難産で亡くなった女性のお化けとされる。雨の中、赤ちゃんを抱き、その泣き声とともに姿を現す様子が絵画に描かれることが多い。ただ、千日寺のうぶめに関する記述は、この一文しか残っておらず、現在では詳細は不明だ。
「西鶴はもともと俳諧の人。情報に敏感で、流行の最先端や、地元の話にも精通していただろう。当時は確かにこの地にうぶめの話があったのでしょう」
江戸時代、このあたりは「大坂七墓」のひとつで、墓が立ち並んでいた。しかし現在は周辺に飲食店や商店が立ち並び、新型コロナウイルスの感染拡大前はとくに観光客でにぎわっていた。当時の面影は残っていない。
おそろしきは人間
ここまで3時間近く歩き回り、あまりの蒸し暑さに、千日前の串焼き店に避難した。そこで、木場さんは「お化けには、背景があり、履歴がある」と語り出した。「タヌキは大坂の芸能の中心地だったという記憶。うぶめは墓地のうら寂しい記憶。この辺りは華やかだけれど、影があった場所です」。それが、西鶴の書物や、またお狸様の人形によって現代にも語り継がれている。お化けは過去と現在をつないでくれる存在なのだ。
串焼きをほおばりながら「これは変だ、これは不思議だという感覚は人間のさじ加減。その人がおかしいと思わなければ、怪は生まれない。人間によって怪は作られるんです」と話す。西鶴は「人はばけもの、世にない物はなし」(「西鶴諸国はなし」)と書いたが、「これは、人間を含め世間のどこにでも不思議はある。その点で人間も化け物も同じだという意味です」と説明してくれた。
一方、「好色五人女」で、大坂を舞台にした姦通劇を書いた西鶴は、天満の7つの化け物を列挙し、これはいずれも年を重ねたキツネやタヌキの仕業だ、と記した。そのうえで「世におそろしきは人間、ばけて命をとれり」と続けている。
「西鶴は、化け物より人間の方がときに恐ろしいというのです。人間の恐ろしさへの感覚が鋭かったのでしょう」
木場先生、やはり人間の方が恐ろしいのでしょうか…。