聴覚障害の母がダウン症次男を切りつけた孤独と誤解

ダウン症で重度の知的障害のある次男(36)を包丁で殺害しようとしたとして、殺人未遂罪に問われた母親(70)に大阪地裁堺支部は7月、執行猶予付きの有罪判決を言い渡した。聴覚障害があり、生まれつき耳が聞こえない母親。〈心が苦しかった〉。法廷では手話を交え、事件への後悔と次男への愛情をにじませた。無理心中に至った2人の孤独と思い込み。裁判長は「境遇を踏まえると、あまり非難できない」と述べた。(小川恵理子)
手話で〈謝りたい〉
昨年10月20日、堺市中区の自宅。その日は次男が通う作業所は休みだった。
包丁を取りに台所に向かった母親。背中に包丁を隠したまま次男と向かいあうと、そのまま首を切りつけた。腕をバタバタと動かして抵抗する次男の姿に、涙があふれた。それでも再び、包丁で切りつけた。
自らの首も切った。数時間後に意識が戻ると、近くに住む姉にファクスを送った。「たすけて」-。
大阪地裁堺支部で開かれた母親の被告人質問。「息子はどういう存在か」。弁護士がこう問うと、手話を交えながら説明し、目を赤くした。〈かわいい子〉。被害者である次男には、顔を見て自分のしたことを〈謝りたい〉と訴えた。
証人として出廷した長女によると、「(次男は)母親の言うことだけは『分かった』と素直に聞いていた」。親子仲は良好だったという。
一命をとりとめた次男は事件後、施設で暮らしている。事件の影響からか、母親の存在を怖がる一方、その身を案じることもあるという。
自殺とどまった理由
2人に何があったのか。
判決などによると、母親には長女、長男、次男の3人の子供がいた。平成25年に長女、29年に長男が独立すると、以降は次男と2人で生活。次男との意思疎通は簡単な手話で行われていたが、自力では入浴や排泄(はいせつ)ができない次男の身の回りの世話は、母親が一人で行っていた。
ただそんな母親も、徐々に精神に不調をきたすようになっていた。
事件の3カ月前。次男が作業所の旅行で家を空けた日を見計らい、自殺しようと思い、行く当てもなく電車に乗った。ある駅で降りてしばらく歩いていると、深い谷にかかる橋にさしかかった。橋から身を投げようとしたが、それ以上は体が動かなかった。
〈とにかく心が苦しかった〉。公判で母親が当時を振り返った。なぜ自殺を踏みとどまったのか。理由は次男の存在だった。自分が死んでしまうと〈息子が1人になる〉。
長女は母親について「悩みや困りごとを相談できない性格」と述べた。数年前に亡くなった夫との不和により、「思っていることを抱え込むようになってしまったのかな」。
一方的な思い込み
厳しい生活だった。それでも親子は互いを信じ、何とか生きていた。だが事件直前、決定的ともいえる出来事が起きた。
日本年金機構から母親宛てに届いた通知。親子の生命線だった障害年金の受給額に関するものだ。母親は2カ月に1度、約16万円を受け取っていたが、10月以降は約2千円減額される。そんな内容だった。
しかし、いつまでたっても次男宛ての通知が届かない。実は今回、年金が減額されるのは母親だけで、次男への通知は届くはずがなかった。
ただ母親の受け止めは違った。「次男の年金が打ち切られる」。生来の性格からか、年金口座や生活費の管理を任せていた長女にも相談しなかった。
次男の年金が止まれば、収入のおよそ半分を失う。「このままでは2人で生活ができない」。早合点からの思い込みだった。次男を1人にはできない。将来を悲観した母親は、無理心中を決めた。
「自分を大切に、長生きを」
今年7月17日。大阪地裁堺支部は懲役3年、執行猶予4年(求刑懲役3年)の有罪判決を言い渡した。
「少なくとも半年程度、精神的に追い詰められていた」。安永武央裁判長は判決理由で、母親の心情をこう推し量った。身勝手な犯行を指弾する一方、「2人の境遇や生活状況を踏まえると、自殺する際に次男を殺そうとしたことはあまり非難できない」とした。
最後に、安永裁判長は裁判員からのメッセージを読み上げた。「2人とも死なずに済んだことは本当に良かった。困ったことがあれば周りに相談し、自分を大切にして長生きしてください」。法廷で母親は目元をぬぐっていた。