被災した厚真に集いの場 32歳の消防団員が味わった絶望と気づき

北海道胆振(いぶり)東部地震の発生から丸2年を迎えた9月6日夜。死者44人のうち37人が犠牲となった厚真町中心部に若者ら約15人が集まった。木目を基調としたおしゃれなカウンター席とテーブル席はほぼ満席だ。「はじめまして」「どうぞ、よろしく」。ビールを手に楽しそうに言葉を交わしている。一見すると、カフェバーのようだが、震災を機にできた集いの場だ。
同町京町1番地1。「被災した街を、一から、つくろう」。地元出身の同級生3人が立ち上がり、「イチカラ」と名付けた。3人はホッキ漁師の沢口研太郎さん(32)、同町職員の岡橋篤志さん(32)、林業者の丹羽智大さん(33)。震災で絶望を味わった沢口さんがリーダーとなった。
「まさか自分の町でこんなことが起きるなんて」。最大震度7の巨大地震が起きた直後、消防団員を務める沢口さんは土砂崩れで19人が亡くなった吉野地区に駆けつけた。黒々とした土砂が視界を塞ぎ、自分の胴体より太い丸太が折り重なって倒れていた。土砂の下敷きになった人々の救助作業に緊張感が漂った。
「現場はどうなっているんだ」。この地区に家族が暮らす知人からの問いかけに、返す言葉がない。前日の台風でぬかるむ足場。スコップで土砂を掘るが、一向に前に進まない。そこに人がいるのは分かっている。「絶望感って、このことだな」。あの時感じたもどかしさは忘れない。
現場では「気づき」もあった。被災者の安否確認で「あの人はどこにいますか」と尋ねると、その被災者と同じ町内会に所属する人たちが「あの避難所に行ったよ」と教えてくれた。「コミュニティーには力がある」と実感した。
かねて、希薄だと感じていた移住者の若者と地元民の関係。「さまざまな垣根を越え、人々が出会い、交流する場をつくれないか」。当時、町職員や林業者など異業種の同級生が集まる機会があり、ざっくばらんに語り合う中で構想が浮かんだ。友人の岡橋さんと丹羽さんに声を掛けた。「生まれ育ったふるさとのためなら」。意気投合した。
クラウドファンディングで約315万円を集め、長年空き店舗となっていた布団店を間借りした。住所と理念に引っかけ、「イチカラ」と命名。ボランティアで集まった町内外の若者ら約30人が被災家屋を解体した際に出た廃材を使い、自然な木目を生かしたカウンター席やテーブル席などに仕立てた。
6月下旬のオープンには30~40人が訪れた。プロジェクターやプリンターも備え、日中にリモートワークをする人もいる。沢口さんは「楽しいこと、つらいことを共有し、笑顔が伝わっていけば」と願う。
最も大きな被害を受けた同町は、8月末現在で102世帯228人が仮設住宅などで暮らし、町発注の林道復旧工事は約4割が未完。「被災した人の生活が元に戻ったとは言えず、町全体の復興も道半ばだ」
震災から2年。復興の先にある町の未来を、こう描く。「誰もが住んでよかったと思える町にしたい」。そのために単なる交流の場に終わらせず、チャレンジのきっかけをつくり、周りもそれを応援する場に発展させたい。「それがまちづくりになる」。その目は10年、20年後を見据えている。【源馬のぞみ】