「40年長期入院強いられた」 精神障害者が国に賠償求め提訴「地域医療に転換せず」

国が精神障害者に対する隔離収容政策を改めなかったことで地域で暮らす機会を奪われ、約40年の長期入院を強いられたとして、群馬県太田市の無職、伊藤時男さん(69)が30日、国に3300万円の損害賠償を求め東京地裁に提訴した。
訴状などによると、伊藤さんは統合失調症と診断され、1973年に福島県内の病院に医療保護入院した。2011年の東日本大震災でこの病院が閉鎖するまで、意思に反して病院で過ごすことを余儀なくされた。現在は投薬治療を受けながら、太田市のアパートで1人暮らしをしている。
欧米諸国は、隔離収容政策は人権侵害に当たるとして、55年ごろから地域生活・地域医療へ転換を図った。さらに、日本の精神科医療を調査した世界保健機関(WHO)の顧問が日本政府に出した68年の勧告によって、入院が必要でない人にも入院を継続していることや、地域医療に転換する必要性を認識しながら放置したとしている。
伊藤さんの代理人の長谷川敬祐弁護士は30日の記者会見で「欧米諸国が入院医療から地域医療・福祉への移行を具体的に検討し、政策転換してきたのに、日本は政策・予算いずれも実効的な転換を行ってこなかったために、構造的に長期入院が生じる状態となった。国が放置した不作為を問いたい」と語った。
「退院諦める患者なくすために立ち上がった」
原告の伊藤時男さん(69)は30日の記者会見で「約40年入院して、退院を諦める患者を見続けてきた。たまらなくて、つらくて。そういう人をなくすために立ち上がった」と提訴に込めた思いを語った。
仙台市出身の伊藤さんは、地元の高校を中退後、叔父が働く東京都内のレストランでコック見習いをしていた16歳の時に発症した。都内の病院に入院し、人生の大半を各地の精神科病院で過ごした。中でも入院が長かったのは、1973年から2011年まで生活した福島県内の病院だった。
「真面目に働けば、いつか出られるだろう」。そう信じ、病院近くの養鶏所での作業や入院患者への配膳の手伝いなど院内作業を続けた。だが、いつになっても退院の話は出なかった。「この病院の対応はおかしい」と感じてはいたが、年を重ねるうちに、手に職もない自分が地域社会で暮らすことはできないのではと自信をなくし、退院を諦めるようになっていった。
死のうと考えたことも何度とあった。父親の死に目にも会えなかった。「人並みの恋愛も、したいことが何にもできなかった。ひどいよな。人生の半分以上を棒に振った」
大震災機にグループホーム、1人暮らしに
転機は東日本大震災。福島県内の病院は被災して閉鎖され、茨城県内の病院に転院した。主治医が「グループホームに行かないか」と声をかけてくれた。知人も「時男さんなら大丈夫」と背中を押してくれた。
この病院を12年に退院し、グループホームでの2年間の生活を経て、1人暮らしを始め、今は群馬県太田市のアパートで暮らす。投薬治療もあり、生活に支障はないという。1LDKの自室で料理や掃除もこなす。カラオケや入浴施設に出かけるのが至福の時間だ。ようやく手にした当たり前の日常。「今の生活は最高です」と言う。
幼い頃から画家を夢見ていた。支援者の助けもあり、18年に群馬県内で個展を開いた。「夢をかなえることができたのは、退院できたからこそです」と笑顔をみせる。
病院には20年、30年と長期入院している人たちが何人もいた。退院を諦めている人も多かった。伊藤さんは「私のように退院しても地域で生活していける人はいるはず。国は患者の身になって考えてほしい。不必要な入院をやめさせてほしい」と訴える。【道下寛子】