精神病院40年入院、69歳男が過ごした超常生活 3300万円賠償求め国を提訴、際立つ日本の現実

精神疾患により医療機関にかかっている患者数は日本中で400万人を超えている。そして精神病床への入院患者数は約28万人、精神病床は約34万床あり、世界の5分の1を占めるとされる(数字は2017年時点)。人口当たりで見ても世界でダントツに多いことを背景として、現場では長期入院や身体拘束など人権上の問題が山積している。日本の精神医療の抱える現実をレポートする連載の第5回。 ■統合失調症で1973~2011年まで入院 「福島県内の精神科病院に約40年入院して、その間、退院できると思われるのになぜかできない人や、諦めて退院意欲を失った人をたくさん見てきました。そういう人たちをなくすために、裁判を決意しました」 精神科病院への長期入院を余儀なくされ、憲法が定める幸福追求権や居住、職業選択の自由を侵害されたとして、群馬県在住の伊藤時男さん(69歳)は9月30日、国に3300万円の損害賠償を求め東京地裁に提訴した。精神科病院の長期入院について、国の責任を問う訴訟は初めてとみられる。 「退院までの努力は、並大抵のものではありませんでした。退院できず人生の大半を失った自分のような人間が、これ以上生み出されてはならない」。提訴後の会見で、伊藤さんはそう力を込めた。 訴状などによると、伊藤さんは統合失調症と診断され、1973年に福島県内の精神科病院に入院。2011年の東日本大震災で、県外の病院に転院するまで一度も退院することなく、入院継続を余儀なくされていた。 伊藤さんは高校中退後、親戚のレストランで働いていた16歳のときに発症した。最初は都内の病院に入院したが、父親の意向でこの福島の病院へと転院した。転院当初は、「模範的な患者として過ごせば、早期で退院できる」と信じていたという。 そこで、病院近くの養鶏場で鶏糞の処理作業をしたり部品工場で働いたりなど、院外作業に積極的に参加した。また入院患者への配膳手伝いや厨房での給食準備など院内作業でも活躍していた。こうした作業を通じて症状も改善していった。ところが、10年経っても20年経っても、病院側からは肝心の退院に関する話は一向に出なかった。 「自分より後から入院した人が次々と退院しているのをみると、働ける人のほうが退院できないようで矛盾していると感じていた。でも何もしないのは嫌だったので、結局は働き続けた」(伊藤さん) この病院はなんだかおかしいとわかったときには、長い年月が過ぎ、齢を重ねていた。「車の免許もないし、社会に出て生活できる自信もない。もうここに一生いるしかないと思うようになるなど、『施設症』に陥っていた」と伊藤さんは当時をそう振り返る。 ■子どものいる家庭が夢だったけど

精神疾患により医療機関にかかっている患者数は日本中で400万人を超えている。そして精神病床への入院患者数は約28万人、精神病床は約34万床あり、世界の5分の1を占めるとされる(数字は2017年時点)。人口当たりで見ても世界でダントツに多いことを背景として、現場では長期入院や身体拘束など人権上の問題が山積している。日本の精神医療の抱える現実をレポートする連載の第5回。
■統合失調症で1973~2011年まで入院
「福島県内の精神科病院に約40年入院して、その間、退院できると思われるのになぜかできない人や、諦めて退院意欲を失った人をたくさん見てきました。そういう人たちをなくすために、裁判を決意しました」
精神科病院への長期入院を余儀なくされ、憲法が定める幸福追求権や居住、職業選択の自由を侵害されたとして、群馬県在住の伊藤時男さん(69歳)は9月30日、国に3300万円の損害賠償を求め東京地裁に提訴した。精神科病院の長期入院について、国の責任を問う訴訟は初めてとみられる。
「退院までの努力は、並大抵のものではありませんでした。退院できず人生の大半を失った自分のような人間が、これ以上生み出されてはならない」。提訴後の会見で、伊藤さんはそう力を込めた。
訴状などによると、伊藤さんは統合失調症と診断され、1973年に福島県内の精神科病院に入院。2011年の東日本大震災で、県外の病院に転院するまで一度も退院することなく、入院継続を余儀なくされていた。
伊藤さんは高校中退後、親戚のレストランで働いていた16歳のときに発症した。最初は都内の病院に入院したが、父親の意向でこの福島の病院へと転院した。転院当初は、「模範的な患者として過ごせば、早期で退院できる」と信じていたという。
そこで、病院近くの養鶏場で鶏糞の処理作業をしたり部品工場で働いたりなど、院外作業に積極的に参加した。また入院患者への配膳手伝いや厨房での給食準備など院内作業でも活躍していた。こうした作業を通じて症状も改善していった。ところが、10年経っても20年経っても、病院側からは肝心の退院に関する話は一向に出なかった。
「自分より後から入院した人が次々と退院しているのをみると、働ける人のほうが退院できないようで矛盾していると感じていた。でも何もしないのは嫌だったので、結局は働き続けた」(伊藤さん)
この病院はなんだかおかしいとわかったときには、長い年月が過ぎ、齢を重ねていた。「車の免許もないし、社会に出て生活できる自信もない。もうここに一生いるしかないと思うようになるなど、『施設症』に陥っていた」と伊藤さんは当時をそう振り返る。
■子どものいる家庭が夢だったけど