ユニクロのとある海外支社で働いていたキムさん(38)が、次に選んだ仕事は日本の中部地方にあるアパレル会社だった。来日は7年ほど前、キムさんがまかされた仕事は輸出と製品管理だ。
「私たちの世代の韓国人は、中高生時代にアンアンやノンノなど日本のファッション雑誌を見て育ちました。日本のファッションに憧れて、日本語も勉強しました」
そんなキムさんだが、日本に来て小さなショックをうけた。
「納品にミスが多いんです。おかしいなと思って、四国の工場まで行ってみたら、おじいちゃんとおばあちゃんが二人でやっていて…。『ごめんなさいね、私たち以外に従業員はいないの』って。『これは黒じゃなくて紺色なんですね。歳のせいで区別がつかない』って」
――紺色と黒の区別がつかない?
「二人でもう無理だねと話していると言うから、『大丈夫ですよ。私が手伝いますから』って、励ましてね。憧れのメイドインジャパンは地方の高齢者に支えられている――複雑な心境でした」
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そうしたショックはありながらも、仕事には充実感を持って取り組んでいた。ところがキムさんは、今年に入って会社を辞めることになった。人間関係が原因だった。
「社長がキムさん、キムさんって、なんでも私に頼んで。それで前からいた社員の一人に嫌われてしまった。韓国人だから、ってことじゃないと思うんですが」
ところで今回、キムさんに連絡をとったのは、ヘイトスピーチや嫌がらせを経験したことがあるかを聞いてみようと思ったからだった。
「そういうのはありませんでした。その一人の社員以外はみんな親切でしたよ。四国の下請けのおじいちゃんとおばあちゃんに退職の挨拶に言ったら、キムさんが励ましてくれたから頑張れたんだよと、こうやって手を握ってくれて…」
昨今の日韓関係についても聞いてみた。
「私は韓国人なので、どうしても韓国政府に対して厳しくなります。文大統領は政権のブレーンを自分の派で固めすぎている。もう少し、柔軟性があってもいいのではないかと思います。歴史問題はうーん、難しいですね。日本政府はもう少し優しい言葉を使ってくれたらと思いますが。被害者はみんな高齢だし、お金じゃないんですよ。謝罪とか慰労とか感謝とか、気持ちの問題だと思います」
前回、一般の韓国人の「反日」について書いた。「韓国メディアは日本政府を批判する報道の後に、『日本人観光客には親切にしましょう』とコメントをしている」と書きながら、では逆はどうなのかと気になった。
そこで思い出したのが、前に別件で会ったことのあるキムさんたち、日本企業に採用されて来日した韓国の人たちだった。
法務省によれば、正規のビザ(技術・人文知識・国際業務)を発給されて日本企業で働く外国人は、2018年末の時点で22万5724人。これはいわゆるホワイトカラーの外国人で、産業実習生などとは別のカテゴリーになる。このうち韓国人は2万4602名。国籍別では、1位中国、2位ベトナム、3位韓国、4位台湾、5位米国の順となっているが、最近になってインド人も増えている。主に語学力を必要とする貿易業務やITなどの技術職などが多い。
よく知られているように、高スペックの中国、韓国、インド人は世界で引っ張りだこで、日本企業も高い能力を持った海外出身の人材を獲得するのに必死だ。彼らにとって日本は選択肢の一つであり、様々な国を知っている彼らの視点は客観的であることも多い。
パクさん(27)は機械部品メーカーの海外担当の女性だ。韓国の大学では経営学を専攻した。日本語はほぼネイティブと言っていいぐらい上手で、他に英語と中国語を話す。
「学生時代は鼻血が出るほど勉強した普通の韓国人です」と言う彼女だが、日本語と中国語は大学在学中に街の語学学校の早朝クラスで勉強したそうだ。
「うちはそんなに豊かではなかったので、長期留学は無理でしたから」
就活は韓国企業と外資系の両方をターゲットにした。日本の会社に就職が決まって嬉しかったそうだ。
「旅行で何度か来て、とても楽しかったから。学生時代から日本は大好きでした」
日本で暮らして5年目だが、仕事はやりがいがあるし、人間関係も良好だという。
「職場でも、取引先でも、日韓関係をあえて話題にする人はいません。それはいいのですが、むしろそれ以外の日常生活で折にふれて韓国の悪口が聞こえてきます。どんどん悪化しているようで心配です」
特に気を使うのは、韓国から友だちが来た時だという。
「一緒に地下鉄に乗っていても、吊り広告には韓国沈没とか書いてあり、また飲み屋などでも韓国の悪口を言っている人がいる。友だちは日本語がわからないので、嫌な思いをせずに帰りましたが、私はハラハラでした」
ちなみに彼女は、日本人の怒りも理解できるという。
「国同士で決めたことを、政府が変わったからと言って、一方的になかったことにするのはダメだと思います」
ヘイトスピーチについても聞いてみたら、彼女は大笑いした。
「そんなの毎日です。私のツイッターのリプライ欄はほとんどそれ。いきなり『私は韓国人が嫌いだから帰って』とか言ってきて、その後は延々と悪口。前は話し合おうと思ったけど、時間の無駄なので最近は即ブロックしています。歴史的なことを何も知らない人が多いですね。日韓に限らず、世界史を知らない。可哀相な人たちというか…。日本の教育は問題だと思います」
何人かに話を聞いたが、「メディアやネットはひどいが日常生活では気になることが多いわけではない」という答えが多かった。最近、動画が公開されて問題になった韓国人観光客の入店を拒否するような店の話は出てこなかった。ただ、「日本語のわかる観光客はそうとう嫌な思いをしているのではないか」と心配していた。
「日本語できる人は書店などにも寄りますが、目立つところには扇情的なタイトルの韓国批判本が並んでいますし…」
ところで、日本には「日本語のわかる韓国人」がたくさんいる。祖父母や親の代から日本で暮らしている人々だ。
前回の記事に関して、知り合いの編集者からメールをもらった。
「やはりコメント欄がひどいことになっていますね。ヤフーはヘイトスピーチに規制をかけているはずなんですが」
あ、コメント欄…そんなのがあるのを忘れていた。そういえばあったな。ヤフコメといえば嫌な思い出がある。もう10年以上前に仕事でアメリカ滞在中、当地で仲良くなった在日韓国人とヤフーのプロ野球記事を見ていた時だ。彼の表情がみるみるうちに変わっていった。
そこにあったのは、阪神のK選手に関するすさまじい民族差別的コメントだった。自分でも想像してなかったほどのショックだったという。幼い頃の記憶もフラッシュバックして、彼は日本に帰るのをやめてしまった(今は旅行程度なら行けるようになったそうだが)。
そんなこともあって、長い間、見てなかったヤフーのコメント欄を久しぶりに見たら、自分の記事の下には案の定「もう韓国とは断交していいよ」といったコメントが並んでいた。確かに以前に比べると、ただの「●●人、●●」みたいな、ワンフレーズの侮蔑表現はなくなっているようだ。さまざまな働きかけが一定の成果を生んだのだろう。しかしながら、ああ…、と思ったコメントが、これ。
「まぁ書いたのは日本人の振りをした在日だろうな」
「イイネ」が4000以上もついている。
残念ながら私は日本人だけど、もし「在日」だったらどうなんだろう?
こういうものに遭遇すると、日頃、「在日」の皆さんが受けている差別の、何万分の1に薄められた形であるにしろ、それを追体験することになる。
「日韓がもめる度に、一番、辛い立場に立たされるのは在日韓国人だと思うんですよね」
古い友人が私の前回に記事を読んでそんなメールをくれた。在日韓国人3世の彼女は自身の経験をこう振り返った。
「前は韓国名でツイッターをやっていたんです。そうしたら何を書いても、『文句があるなら、韓国に帰れ』と言われる。それは政治的なことでなくてもです。たとえば、有名店のラーメンが期待はずれだったみたいなツイートにも、もう日本にいなくて結構、韓国のラーメンはパクリでしょ。韓国人は●●でも食っておけばいいとか。そういうレスが一晩に10も20もつくのです」
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あくまでネット上のことでしょと思う方もいるかもしれない。しかし、こうした言葉を向けられる側はそうは思えない。女性が続ける。
「たかがツイッターと思われるかもしれません。でも、中には本当に怖い書き込みもあります。思い出さないようにしていますが。そうすると、街を歩いたり、地下鉄に乗るのも怖くなります。あれを書いた人が、この中にいるのかもしれない。心臓がドキドキして、途中で電車を降りてしまったこともあります」
別の在日2世の知人は何十年も近所付き合いをしてきた人に、今回のことで初めて「韓国、ちょっとどうしたの?」と言われたという。
「子供同士も仲良くて、旅行に行ったらお土産を交換したり。何十年のお付き合いで初めてのことです。日本の一般の人も韓国が嫌いになっているようで、不安になります」
親の代から日本で会社をやってきた。税金も、従業員の給料も、保険も年金も、きちんきちんと払ってきた。定年退職した人も集まって毎年新年会もやったり、日本人従業員とも良好な関係を築いてきたと思っているという。それが突然、昨今の日韓関係の悪化のせいでハシゴを外されたら――彼らがそんな不安を抱いているであろうことは想像に難くない。
「今の日韓関係についてですか? そりゃ、日本政府にも韓国政府にも言いたいことはありますよ。でも、言っても仕方ないでしょう。在日の話など、聞いてくれますか?」
いや、そうした声こそが聞かれなければいけないでしょう。一部の住民の不安は、社会全体の不安につながる。政府や自治体は、じっと我慢している、小さな声の人々に耳を傾けてほしい。外交問題とは別個に、国内のマイノリティーや観光客に格別な配慮をすべき時だと思う。