国文化財、根拠なく「井上馨の別荘」と市公表…建築年代は死去後

静岡県熱海市にある国有形登録文化財の近代建築について、市が明確な根拠のないまま、明治の元勲・井上馨の別荘と伝えられると公表していたことが分かった。文化庁は建築年代を昭和前期としており、馨の死去(大正4年、1915年)よりも後となっている。市教育委員会は読売新聞の取材に対し、確認が不十分だったことを認めて謝罪し、訂正する方針を示した。
建物は神奈川県湯河原町との県境に接する熱海市泉にあり、現在は民間の宿泊施設となっている。国の文化審議会が昨年3月、市の意見に基づいて有形登録文化財とするよう文部科学相に答申した。文化財の名称は「馨」の名を入れずに「旧井上侯爵家熱海別邸」とした。文化庁は、市から提出された資料に井上馨を養祖父とする人物が1936年に売却した契約書があったことを根拠に、建築年代を昭和前期と認定した。
市は、井上馨がその21年前に死去しているにもかかわらず、「元老の井上馨侯爵の別荘として建てられたと伝えられる」などとする文書を報道機関に配布した。先月22日に県開催のイベントで一般公開した際も、担当者が井上馨が建てたと受け取られる説明を行い、一部メディアがこれに基づいて報道した。
登記簿によると、建物があった土地は、馨の死後である1927年に「井上末子」という人物が取得した。末子より前に馨を含む井上姓の所有者はなく、馨に関連する建物とされた根拠は明確ではない。
これらの事実関係について、市教委の

小圷
( こあくつ ) 透事務局次長は「チェックが漏れた。資料に誤った記述、誤解を招きかねない記述があったことは大変申し訳ない」と謝罪した。市は県を通じて文化庁に経緯を伝え、指示を待つ方針だ。
文化庁の文化財担当者は取材に対し、「建物の価値が評価の対象で、井上馨

云々
( うんぬん ) というのは評価の中に入れていない。今のところ登録を抹消することはない」と説明した。
宿泊施設は「馨別邸の宿」とうたっている。これについて経営者男性は「先代から聞いたことで正直なところ分からない。伝聞だ」と述べた。井上馨の

玄孫
( やしゃご ) (ひ孫の子)にあたる井上

光順
( みつゆき ) さん(71)(東京都渋谷区)は、「私は父や先祖からこの(別邸の)存在は聞いていない」と話している。