記者と政治家の距離感はどうあるべきなのか? 特ダネと市民生活を守る報道の狭間で

◆取り込まれることはないのか

前回の記事では、菅義偉首相が呼びかけた番記者とのパンケーキ懇談会と各社キャップとのホテルでの懇談会について、取り上げた。どちらも「完全オフレコ」の懇談会であり、そのような場への参加が読者からの不信を招いている中で、社としての判断が問われる問題だった。

今回の記事では記者個人に目を転じ、記者と政治家の距離感について考えてみたい。

朝日新聞は「桜を見る会」問題のさなかの2019年11月と12月におこなわれたキャプ懇談会と番記者懇談会に出席したが(毎日新聞はともに欠席)、パブリックエディターの見方も含めてその是非を振り返る記事を2020年2月14日に掲載している。

●首相と会食、権力との距離は 記者ら飲食ともにする懇談(朝日新聞デジタル2020年2月14日)

その記事の中で円満亮太政治部次長は、政治家と会食することに対して「取り込まれているのではないか」という不信を抱かれることに触れた上で、こう記している。

「今回の首相との会食への参加には、社内でも議論がありました。桜を見る会をめぐる首相の公私混同を批判しているさなかです。しかし、私たちは機会がある以上、出席して首相の肉声を聞くことを選びました。厳しく書き続けるためにも、取材を尽くすことが必要だと考えたからです。取り込まれることはありません。そのことは記事を通じて証明していきます。」

さて、会食したからといって取り込まれることはないというのは、そうなのだろうか。

◆記者と取材対象者の関係性に注目してみる

「取り込まれることはない」というときに、「社として」と「記者として」を分けて考える必要があるだろう。「社として」なら、政治部と社会部の役割分担や、番記者・キャップ・編集委員など社内で異なるポジションにある者の役割分担、外部の識者コメントの活用など、様々な形で批判的なスタンスを保つことは可能だろう。しかし、一人の記者としてはどうなのだろうか。

円満亮太政治部次長がこの記事で述べているように、「政治記者とは矛盾をはらんだ存在」だ。「政治家に肉薄してより深い情報をとることを求められる一方、権力者である政治家に対しての懐疑を常に意識」せねばならないからだ。

「厳しい記事を書けば、当然取材先は口が重くなる。しかし、都合の良いことばかり書くのは太鼓持ちであって新聞記者とは言えません」。では、どういう接し方が適切なのだろうか。おもねるわけでも批判的であるわけでもなく、フラットに接するのがよいのだろうか。しかし、フラットな接し方にも問題はある。

ここで記者に取材される側の筆者の体験を少し紹介したい。筆者の場合、今の国会審議をどう思うかなど、単に論評的なコメントを求められる立場であり、説明責任が問われる立場ではない。そのため、政治家を取材対象とする場合とは記者の接し方も違うだろう。それでも、記者という職業の人たちの関係性の取り方は独特だなと感じることが多い。

政党機関誌は別として、朝日新聞や毎日新聞のような大手紙の場合、記者は取材時にこちらの話を頷きながら聞くものの、その話の内容に対する自分の反応を示すことが少ない。「なるほど」と相槌を打つが、それ以上の言葉を発しないことが多い。

「なるほど」というのは賛否いずれをも示さない便利な言葉だ。「なるほど、本当にそうですよね」という場合にも使われるし、「なるほど、あなたはそうお考えなのですね(私は違いますが)」という場合にも使われる。

だから、「なるほど」としか言葉を返さない記者に対しては、こちらもあまり熱心には語りにくい。この記者はこの問題をどのくらい深く理解しているのか、この話題にどういう問題意識を持っているのか、こちらの話をどのくらい理解し受け止めてくれているのかが、分からないからだ。

それに対し、「そうですよね、私も……については……と思っているんです」とか、「……のときにも……でしたよね」などとみずからの問題意識を記者が語ってくれれば、そしてその問題意識がこちらの問題意識とかみ合うものであれば、話はより深まり、発展していく。

そのように自分の問題意識も示しながら話を聞いてくれる記者もいるが、少ない。多くの記者は、取材記者と取材対象者というフラットな関係性のうちにとどまろうとする。そこには、相手の話を遮らず、相手の話を自分の思う方向に誘導しないため、という意図もあるだろう。けれども、あえて自分の立場を示さないのが記者というものだ、という職業意識を感じることもある。

「自分は記者である以上、いつかはあなたについて批判的に取り上げる記事を書くことになるかもしれない」――そのような、あえて距離を取ろうとする記者側の意識を感じることもあるのだ。そういう意識を感じると、やはり取材される側としては緊張し、距離感を抱く。逆に、同じ方向での問題意識を示してくれる相手に対しては、親しみを感じ、饒舌になる。

それは政治家でも同じではないかと思う。やはり、批判的なことを書く相手には警戒心が先に立ち、できるだけコメントせずに済ませたいという気持ちになるだろうし、ただ頷いて聞くだけの者には淡々と話すべきことだけを話すだろう。そして、同じ方向性の反応を返しながらより共感的に聞いてくれる相手に対しては、相手が記者だという警戒心を完全に解くわけではないにせよ、心を許して口にする言葉もあるだろう。

だからやはり、この政治家はいま何を考えているのか、この政治家の本音はどこにあるのか、といったことを探りたいなら、記者は相手の懐に入って行こうとするだろう。

そうして相手と目線を合わせ、考え方を重ね合わせていくほど、相手との距離は近くなるだろう。その際、その取材対象者が与党の政治家であれば、その記者の考え方も自然と政府与党寄りの考え方となり、権力監視の視点が弱くなっていくのではないか。しかしそうすると、市民が知りたいことを記者が代わりに権力者に問う、という役割は適切に果たせるのだろうか。

◆タイミングを見計らって報じられる本音と、その時々の課題対応

記者が政治家に密着しているからこそ捉えることができる姿や発言というのは確かにあり、それが記事を通して私たちに伝えられる意味というのも確かにある。例えば2019年10月から約1年間、菅義偉官房長官(当時)の番記者として取材してきた毎日新聞政治部の秋山信一記者は、菅氏が首相となったのちの2020年10月2日に下記の記事を公表した。

●記者の目:「権力」を熟知、菅政権に望む 「当たり前」を着実に=秋山信一(政治部) (毎日新聞2020年10月2日)

この記事では、2019年11月に安倍晋三首相(当時)の通算在任日数が歴代最長になった際に、議員宿舎に帰宅した菅氏が、「長く続けることがおめでたいわけではない」と言った上で、「権力」について「重みと思うか、快感と思えるか」とボソッと語った、と記されている。

菅氏が首相となった現在のタイミングで、権力というものに対する菅氏の考え方を知ることができるのは確かに意味がある。ただしここで目を向けるべきは、2019年11月の発言が1年後の今になって初めて記事にされているということ、そして、秋山記者は菅官房長官の番記者という役割を離れたからこそ、このような記事が書けたのだろうと推測されることだ。

オフレコの場でとらえた権力者の、普段は見せようとしない姿や発言を、どこかのタイミングで、どこかの場で報じる。埋もれたままにさせない。新聞社にとっては、「取り込まれることはない」という一例だろう。しかし、それでは遅いのではないか。

本当なら権力というものに対する菅氏のこのような考え方は、官房長官時代に報じておいていただきたかった。あるいは少なくとも、総裁選時には報じていただきたかった。しかし、番記者という立場ではこのオフレコ発言は報じることができなかったのだろう。

そうであるならば、オフレコの場でつかんだ本音を、出しても問題のないタイミングを見て報じることよりも、公開の記者会見の場で、日々の課題に対して追及を深め、説明責任を求め続ける中で、政治家がそれにどう対応するか、その姿を直接市民に対して可視化させることの方が重要とは言えないだろうか。

例えば法改正が議論になっている局面であれば、そのタイミングで争点についての政府の姿勢が可視化されないと、問題があっても世論が気づかないまま法改正が行われてしまう。現在のようにコロナ禍が進行中である中での対応策の是非や五輪開催の是非などの問題もそうだ。時々刻々と状況が変わる中では、日々の政府対応への追及を深めることこそが肝要になる。

与党政治家の本音に迫ろうとすればするほど距離を置いた関係性は難しくなり、深く追及する質問はしにくくなり、批判的な記事は書きにくくなるだろう。であるならば、後で何らかの形で報じられる本音を取材対象者に近づいてつかみ取ることよりも、今現在の問題について詳しく説明責任を求め、深い追及に対して相手がどう記者会見の場で答えるかを広く市民に可視化させることの方が優先されるべきではないか。

記者が政治家とそういう関係性を取ることは、特ダネという意味では得るものが少なくなるかもしれないが、市民の生活を守るという意味や、市民の政治に関する関心に応えるという意味では、より重要なことではないか。

報道機関の詳しい内部事情は筆者にはわからないので、あまり推測で書くことは控えるべきだろう。しかし、最前線の記者が記者会見の場で鋭く切り込むと同時に取材対象者との距離を縮めて本音を聞き出すということは困難だろうと容易に想像できる。だから、「取り込まれることはありません」という模範解答で済ませるのではなく、市民は何を求めているのか、そしてその市民の期待に応えるためにはどういう取材の体制や姿勢が必要なのかを、市民の問題意識を適切に織り込んだ形で問い直してほしいのだ。

◆【短期集中連載】政治と報道 2

<文/上西充子>

【上西充子】

Twitter ID:@mu0283

うえにしみつこ●法政大学キャリアデザイン学部教授。共著に『大学生のためのアルバイト・就活トラブルQ&A』(旬報社)など。働き方改革関連法案について活発な発言を行い、「国会パブリックビューイング」代表として、国会審議を可視化する活動を行っている。『緊急出版! 枝野幸男、魂の3時間大演説 「安倍政権が不信任に足る7つの理由」』の解説、脚注を執筆。単著『呪いの言葉の解きかた』(晶文社)、『国会をみよう 国会パブリックビューイングの試み』(集英社クリエイティブ)ともに好評発売中。