仙台藩初代藩主、伊達政宗(1567~1636年)から家臣、亘理宗根(むねもと)(1600~69年)に送られた書状に実の子であることを強くうかがわせる内容が確認されたと、宮城県登米市歴史博物館が発表した。宗根は政宗の子とする説は以前からあるが、関係する史料が確認されるのは極めて珍しいという。書状は21日から同博物館で開かれる亘理宗根没後350年記念企画展「伊達政宗の子どもたち」で展示される。【山田研】
宗根は、佐沼亘理家の初代当主。公式には政宗の重臣、茂庭綱元の子とされ、母は京都出身の種(たね)(通称・香の前)。同博物館によると、元服の際に政宗から「宗」の文字を与えられたことや、茂庭家より格の高い亘理家の養子になり、政宗存命中に領地を増やされ今の栗原市高清水などで5000石を所領するまで厚遇されたことなどから、隠し子説が旧登米郡役所「登米郡史」(1923年)などに出ている。
同博物館は企画展を前に、寄贈された佐沼亘理家に伝わる文書を調査。その中に「明朝会う約束をしたが、気分がすぐれないので夜に参る」との内容の宗根宛て書状があった。政宗研究家、佐藤憲一・元仙台市博物館長が筆跡や花押(サイン)などから、政宗が書いたと断定。さらに、家臣らの目に触れる部分に書かれた宛先は「亘理右近太夫(うこんのだいふ)宗根」と明記されているのに対し、受け取った宗根が書状を開くと出てくる部分には「了庵(りょうあん)(出家した宗根の名)二番ノ子」と宛名が記されていることに着目。宛名と並んで書かれた「しらしらとしらけたる」に始まる和歌(「和漢朗詠集」)を「本当のことを知っていても知らないふりをするのは興ざめだ」と伝えていると解釈し、「本当のこと」の内容こそ、親子関係を指すと判断した。
宗根は伊達家家臣団家系の公式記録「伊達世臣(せしん)家譜(かふ)」では茂庭綱元の「四男」とされているが、種と自分の間の「2番目に生まれた子」を指していると分析する。
佐藤元館長は「2人は親子とみられていたが、江戸時代の公式記録には一切出てこない。しかし、書簡は2人が親子関係にあると確認する内容であり、重要だ」と指摘する。
企画展「伊達政宗の子どもたち」では、初公開となる書簡のほか、種が持っていた「桐紋(きりもん)秋草蒔絵(まきえ)唐櫃(からびつ)」や政宗から贈られた太刀や脇差しなども展示。11月17日まで開催。祝日を除く月曜と祝日翌日の火曜休館。無料。問い合わせは同博物館(0220・21・5411)へ。