大火砕流の遺構整備始まる 雲仙・普賢岳の取材拠点「祈りの場に」

3月中に完成予定
死者・行方不明者43人を出した長崎県雲仙・普賢岳の大火砕流発生から6月3日で30年。島原市の安中(あんなか)地区町内会連絡協議会(阿南逹也会長)は17日、報道関係者らが犠牲となった同市北上木場町の取材拠点「定点」周辺を災害遺構にする整備工事に着手した。火砕流の爆風で吹き飛ばされた当時の場所に残る毎日新聞の取材車両などを1カ所に集めて展示する。3月中に完成予定。
1991年の大火砕流では、消防団員や報道関係者らが現場から逃げ遅れて犠牲になった。毎日新聞は、火砕流撮影で定点にいた写真部の石津勉記者(当時33歳)ら社員3人が死亡。災害後、現場一帯は立ち入りを禁じる国の砂防指定地となったが、「いのりの日」(6月3日)は一般公開されている。
大火砕流の遺構では2003年、地元有志が消防団員の詰め所だった「北上木場農業研修所」跡に、掘り起こした消防車とパトカー2台を展示した。今回は大火砕流から30年に向け、同協議会が住民や遺族らの理解を得ながら調整を進めてきた。
17日は重機を搬入する本格工事を前に、町内会長や住民ら約70人が定点の周辺約3000平方メートルで除草作業などに従事した。阿南会長は「災害を後世に伝えなくてはならないという思いで多くの人が参加してくれた。未来永劫(えいごう)、ここを祈りの場として残す努力をしていく」と述べた。【近藤聡司】