「対岸の火事」から1年、感染の「波」は3度…今が「本当の戦い」

埼玉県内で新型コロナウイルスの感染者が初めて確認されてから、1日で1年となった。県内を襲った3度の感染の「波」は押し寄せるたびに大きさを増し、感染者の累計は1日時点で2万5348人、死者は359人を数える。現在も収束は見通せず、政府は2日にも、県内などに発令していた緊急事態宣言について、今月7日までとしていた期限の1か月程度の延長を決定する見通しだ。外出自粛、休業要請、時短営業――。感染拡大と戦ったこの1年を振り返る。

県内では昨年2月1日、中国・武漢市から帰国し、和光市の国立施設に滞在していた男性の感染が確認されたが、その後、しばらくは帰国者らに数件が報告される程度だった。県幹部は「現実感がなく、『対岸の火事』から火の粉が少し飛んできた程度に思っていた」と話す。
3月5日に渡航歴がない県内の男性2人の感染が判明すると、緊張は一気に高まった。
政府は4月7日に緊急事態宣言を発令。パチンコ店など幅広い業種に休業が要請され、飲食店が時短営業に踏み切ると、県内のあらゆる街から人の姿が消えた。県民は不自由な生活を強いられたが、宣言が解除された5月25日の感染者はゼロ。県庁内には「感染が落ちついてくれた」との

安堵
( あんど ) 感が漂っていたという。

6月下旬になると、感染の第2波がじわじわと押し寄せた。それでも第2波での感染者の中心は感染しても無症状が多い20~30歳代の若者が多く、重症者用病床使用率も10%前後と、医療現場への影響も限定的だった。県の取り組みは「感染対策を進めながら、第1波で落ち込んだ経済活動をコロナ前に戻す」ことに軸足が置かれた。
しかし、経済回復の兆しが見えたのもつかの間、7月下旬になると、感染者はたちまち増えていった。飲食店など「夜の街」を中心にクラスター(感染集団)が続発し、県は接待を伴う飲食店に事実上の休業要請を行うなど軌道修正を迫られていった。
感染者は9月に入ると緩やかに減少していったが、県幹部は「第1波で終わりと思っていた。油断があった」と悔やんだ。

県はその後、感染拡大防止と経済活動との間で対応方針が揺れ続ける間に、3度目の波に見舞われた。一時的にしろ抑え込むことができたこれまでの波と異なり、11月頃からの第3波は年を越えても勢いがとまらず、県幹部は「これがコロナとの本当の戦いだった」と語る。
高齢者施設でクラスターが多発し、重症化リスクの高い患者が急増したことで、医療機関の病床の

逼迫
( ひっぱく ) が深刻化した。
政府は1月7日、県内などに緊急事態宣言を再発令した。県も同12日から県内全域の飲食店などに時短営業を要請したが、感染者は高止まりを続け、同16日には582人と過去最多を更新した。戸田中央総合病院(戸田市)では国内最大のクラスターが発生し、地域医療崩壊の瀬戸際に追い込まれている。感染経路調査や入院調整にあたる保健所の対応も限界に近づき、職員からは「精神的にも限界に近い」と悲鳴も上がる。
県内では、宣言の再発令から約2週間たった同24日以降、1日あたりの感染者数が200人台となる日が続くようになった。
だが、県は医療現場の逼迫に対し、有効な解決策を打ち出せていないままだ。病床使用率は2月1日時点でも69・6%と、政府の分科会が示す感染状況のレベルで最も深刻な「ステージ4」の基準(50%)を大きく上回る状態が続く。
大野知事は同日、読売新聞の取材に「患者を少なくし、医療体制を充実させるという戦いは続いている」と述べた。