新型コロナウイルスの感染拡大で、今月23日の天皇誕生日の一般参賀は、2年続けて中止になった。昭和天皇の崩御、平成の即位礼と続いた1989、90年以来のことだ。戦後の象徴天皇制の下で大切にされてきた「触れ合い」も制限されたこの1年。天皇陛下はいかに国民に寄り添おうとされたのか、振り返る。
政府が最初の緊急事態宣言を発出した昨年4月7日は、自治体に避難所の感染対策が要請された日でもあった。天皇陛下はそれ以前から「自然災害が起こったら、避難所は密集してしまう」という懸念を周囲に伝えられていたという。
「陛下は緊急事態のさらに先を見つめられていた。ただ、その姿が一般の目に触れることはなかった」と政府関係者は明かす。
昨年の天皇誕生日の一般参賀の中止は、2月17日に発表された。国内の1日の感染者数はまだ、クルーズ船の事例を除くと10人前後で推移していた。この時、宮内庁に助言した専門家は「中止の決定的な材料はなかったが、陛下は実施に慎重だと聞いた」と証言する。
「大規模集会自粛」の先駆けとなった皇室の決定は、自粛ムードの拡大や東京五輪・パラリンピックへの影響を懸念する政府内に波紋を呼んだ。「勝手なことをするなと、宮内庁が官邸から
叱責
( しっせき ) された」。そんな話が広まったが、後のデータが判断の妥当性を裏付けた。誕生日の前日に20人を超えた1日の感染者数は、3月に50人、100人、200人と急増した。