【独自】「日本人のため、我々がリスク負う」がメッセージ…米軍「トモダチ作戦」

東日本大震災の発生直後から展開された米軍による「トモダチ作戦」で、全体を統括する指揮官を務めたパトリック・ウォルシュ元太平洋艦隊司令官(66)と、海軍の活動を指揮したスコット・バンバスカーク元第7艦隊司令官(63)にオンライン形式でインタビューした。主なやり取りは以下の通り。(聞き手・ワシントン支局 蒔田一彦)
「真の友人であること示した」…ウォルシュ元太平洋艦隊司令官

――震災発生を知った時の受け止めは。
(太平洋艦隊司令部のある)米ハワイ州パールハーバーにいた。「マグニチュード9」という数値を見て、機器の故障ではないかと思ったほどだった。
――トモダチ作戦の指揮官に就いた経緯は。
福島第一原発事故が明らかになり、ホワイトハウスと対応を協議した。我々はすぐに(海軍、空軍など異なる軍種で構成する)統合任務部隊を発足させ、指揮機能の一部をハワイから横田基地(東京都)に移した。私自身も横田で指揮を執ることになった。
――原発事故への対応は難しかったか。
我々が日本に到着した時、既に放射性物質が大気中や海中に放出されており、後手に回った感じもあった。米軍の家族の間にも不安が広がっていた。事故が更に進行した場合に備え、首都圏にいる米軍家族の国外退避を命じる案も検討した。
――それでもトモダチ作戦は継続した。
作戦にはいくつものリスクがあった。しかし、我々が日本の友人のためにリスクを負うことが、とても重要なメッセージだった。米国が真の同盟国かつ友人であることを日本人に示すことができたと思う。
「素晴らしい作戦名は不滅」…バンバスカーク元第7艦隊司令官

――第7艦隊の対応は。
震災発生時は演習を終えてマレーシアにいた。地震と津波発生の連絡を受け、すぐにシンガポールに寄港していた第7艦隊の旗艦「ブルーリッジ」に戻った。シンガポールで救援物資などを積み込み、翌朝に日本に向けて出港した。メンテナンス中の船を除き第7艦隊管轄内の全ての艦艇に対し、出航準備を命じた。
――日本側とはスムーズに連携できたのか。
海上自衛隊とは演習を重ねていたし、自衛艦隊司令官とは日頃から公私共に交流があり、直接電話できる仲だった。日米が互いの艦艇に連絡官を派遣し合えたことが、作戦を進める上で非常に役立った。
――原発事故の影響は。
任務を実行する上で最大の困難が原発事故への対応だった。当初は原発の状況が分からず、一部の艦艇は日本海に展開させた。放射性物質の飛散を懸念し、作戦に使用しない戦闘機などは全て厚木基地(神奈川県)からグアムなどに移した。
――トモダチ作戦が示したものとは。
もしもの時には同盟の力、人と人の関係の力が違いを生むということだ。「トモダチ」という素晴らしい作戦名は不滅だ。災害を機に強まった日米の絆は今後さらに強固になるだろう。