【緊急連載 尖閣諸島“開戦”前夜】#4
1972年9月29日、北京での日中国交正常化交渉が難航の末に妥結した。北京入りの前、総理・田中角栄は公明党ルートなどから正常化交渉では戦時賠償と尖閣問題は取り上げないとの確約を得ていて、その筋書き通りに交渉は進められたが、その祝宴で田中は喜びのあまり、中国総理・周恩来に尖閣問題を確認してしまったのだ。
「あれにはびっくりしました。言わずもがなのことでしたから」
正常化交渉に関わった外務省OBは今でも驚きを隠さない。周恩来は田中の質問にさらりとこう答えただけだった。
「尖閣諸島問題については、今回は話したくない。今、これを話すのはよくない。石油が出るから、これが問題になった。石油が出なければ、台湾も米国も問題にしない」
6年後の1978年10月、日中平和友好条約批准書交換のために副首相で中国の最高実力者だった鄧小平が来日し、日本記者クラブ主催の記者会見で次のように語った。
「中日国交正常化の際も、双方はこの問題(=尖閣領有権)に触れないということを約束しました。今回、中日平和友好条約を交渉した際もやはり同じく、この問題に触れないということで一致しました。(中略)我々のこの世代の人間は知恵が足りません。この問題は話がまとまりません。次の世代はきっと我々よりは賢くなるでしょう。その時は必ずや、お互いに皆が受け入れられる良い方法を見つけることができるでしょう」
鄧小平の会見は中国が尖閣棚上げ論に立っていることを明確に示したものだ。
2012年、当時の東京都知事、石原慎太郎が東京都による尖閣購入を打ち出し、広く募金を呼び掛けた。これに先手を打つ形で9月には民主党政権が国有化を進め、中国では激しい反日暴動が発生し、日系企業の多くが暴徒の襲撃を受けた。
その直後、北京で開かれた日中平和友好条約締結35周年有識者フォーラムで長く対日外交に従事した元国務委員・唐家は「尖閣諸島をめぐる日中対立の責任は、40年間の『棚上げ』を破った日本側にある」と日本の非を論難している。尖閣に対する中国の一連の強硬姿勢は日本が棚上げ論を破った一点から始まっている。=敬称略(つづく)
(甘粕代三/売文家)