「1日も早く、死刑囚から生還せねばと」林眞須美、加藤智大、木嶋佳苗…凶悪殺人犯が獄中で残した“言葉”

死刑執行日に出す予定だった妻への手紙に「これからもよろしく」と 地下鉄サリン事件犯たちの“最後の言葉” から続く
日本の司法上、最も厳しい刑罰は言わずもがな「死刑」だ。2021年3月時点で死刑が確定している人物は合計で111人。今現在も、いつ訪れるかわからない「その日」と向き合い続けている死刑囚たちは獄中で何を思うのだろうか。
ここでは別冊宝島編集部による書籍『 死刑囚200人 最後の言葉 』(宝島社)を引用。日本中を震撼させた死刑囚の中から林眞須美、加藤智大、木嶋佳苗の3名が残した数々の言葉を紹介する。(全2回の2回目/ 前編 を読む)
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解明されていない「事件の動機」
和歌山毒物カレー事件(1998年)――林眞須美
死刑確定 2009年4月4日
死刑執行 未執行
1998年に起きた和歌山毒物カレー事件は、平成を代表する劇場型犯罪の1つだった。死刑が確定している元保険外交員の林眞須美はいまなお冤罪を強く訴え再審請求を続けている。また、事件から20年以上が経過した近年、眞須美の長男がSNSで情報発信を開始したことも話題になった。
事件当時、メディアが大挙押しかけた眞須美の自宅跡地は2004年に地元自治体によって落札され、現在では公園になっている。
1998年7月25日、和歌山市の園部地区で開かれた夏祭りの会場で、カレーを食べた住民らが次々に嘔吐、腹痛を訴える騒ぎが発生。当初は食中毒かと思われたが、自治会長や小学4年生の男児ら4人が死亡するに至り、致死量のヒ素がカレー鍋に混入された殺人事件であることが判明した。
事件直後から、地域住民の間で「あそこが怪しい」と名指しされた家が「林健治・眞須美夫妻」だった。事件当日、眞須美は調理中のカレー鍋を見張っていた人物の1人だった。
保険金詐欺に手を染めていた林眞須美
メディアは連日、林家を取り囲んだが、元保険外交員で主婦の林眞須美(37歳)は饒舌に語り、事件への関与を否定し続けた。夫の健治はかつて白アリ駆除の仕事をしていたことからヒ素の知識があり、自宅にヒ素を保有していた。また、眞須美は夫にヒ素を飲ませることで、高度障害保険金を騙し取るなど保険金詐欺に手を染めていた。
報道が過熱し、疑惑がピークに達した1998年10月4日、保険金詐欺容疑と知人男性に対する殺人未遂容疑で林夫妻は逮捕された。その後、2月9日には本丸のカレー事件(殺人および殺人未遂容疑)で眞須美が逮捕、起訴された。
裁判の焦点となったのは、殺人の動機と、目撃証言の信憑性、カレーに混入していたヒ素と事件で使用されたヒ素の同一性だった。
「私は保険のプロ。確かに保険金詐欺はやったが、お金にならない殺人などするわけがない」
眞須美は一貫して犯行を否定したが、確かになぜ近隣住民を無差別に殺害する犯行に及んだのか、動機の部分はいまなおはっきりと解明できていない。
状況証拠をめぐって長い裁判が続いたが、2009年4月4日に眞須美の死刑が確定。また、夫の健治も2000年に保険金詐欺で懲役6年の実刑判決が確定している。確定直前、眞須美は弁護士を通じ次のようなコメントを発表している。
「私は殺人の犯人ではありません。真犯人は別にいます。すべての証拠がこんなにも薄弱であって犯罪の証明がないにもかかわらず、どうして私が死刑にならなければならないのでしょうか。もうすぐ裁判員制度が始まりますが、同制度でも私は死刑になるのでしょうか。無実の私が、国家の誤った裁判によって命を奪われることが悔しくてなりません」
いまなお獄中から「徹底抗戦」
だが、死刑が確定してからも、眞須美の「無実」を訴える活動はますます拡大することになる。再審請求はもちろんのこと、国やメディアを相手取り、何度も民事訴訟を繰り返し、一部で勝訴している。
2017年3月には再審請求が棄却。次女による「母がカレー鍋の見張り役から離れた時間が20分以上あった」という証言は、証拠として採用されなかった。
事件後、「ポイズン」などと呼ばれいじめを受けた長男は、いまも地元に住みながら母との面会を続けている。ちなみに夫の健治や娘たちは、さまざまな理由から眞須美と関係を絶っている状態であるという。
林真須美の言葉
「1日も早く、死刑囚から生還せねばと、自分に負けてしまわぬようにと過ごしています」
爆発した「不遇」への苛立ち
秋葉原無差別殺傷事件(2008年)――加藤智大
死刑確定 2015年2月2日
死刑執行 未執行
投げやりな自殺願望による無差別テロに走りながら、その後、生への執着を見せる死刑囚もいる。2008年、東京・秋葉原の歩行者天国に突入し、7人を殺害した加藤智大も、そんな死刑囚と言えるのかもしれない。
静岡県の自動車メーカー工場で働く派遣社員だった加藤智大(25歳)は、いつ切られるか分からない不安定な労働環境と、社会からの孤立感に悩まされていた。その鬱積した感情は、2008年6月5日、勤務先で作業服のつなぎがロッカーになかったことで「暴発」する。自身の唯一のよりどころだったネットの掲示板が、なりすましに荒らされたことも、加藤にとってはどうしても許せないできごとだった。
加藤はその日、無断で退社すると、翌日にサバイバルナイフなどの刃物を購入。6月8日、2トントラックを借りると静岡県から東京の秋葉原へ向かった。参考にしたのは3カ月前に土浦で起きた金川真大による無差別テロだった。
加藤は、東京に向かいながら何度も携帯サイトに「犯行予告」を書き込み、その反応を気にしていた。
「秋葉原で人を殺します」
「車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います。みんなさようなら」
まさか数時間後、それが本当に再現されることになると信じた人間はいなかった。
昼の12時30分、秋葉原に到着した加藤は、信号を無視して歩行者に2トントラックで突っ込んだ。この一撃で3人が死亡している。
トラックがタクシーと衝突して止まると、加藤は用意していたダガーナイフを持ち出し、手当たり次第に歩行者を刺し、切りつけた。当初は交通事故が起きたと思っていた群集も、加藤の凶行を前に大混乱に陥り、日曜の歩行者天国は地獄絵図と化した。
「駆けつけた警察官が拳銃を加藤に向けながら追い詰め、血だらけになった加藤はついに確保された。時間にしてわずか10分ほどの通り魔事件だった。
精神鑑定と死刑判決の確定
死者7名、重軽傷者10名。不可解な動機と、あまりに重い結果は、日本中を震え上がらせた。加藤は真っ先に精神鑑定にかけられたが、責任能力に支障はないと判断され、2008年10月に起訴されている。犯行は計画的で、死者を増やすための立ち回りは極めて理にかなったものだった。
加藤は初公判を前に被害者へ謝罪の手紙を送り、また公判では「取り返しのつかないことをしてしまった」と謝罪の言葉を口にした。しかし、土浦事件の金川真大のように「死刑になりたい」という目的ではなく「掲示板を荒らされた。事件を起こさなければ居場所がなくなると思った」と、理解しにくい動機の説明に終始した。
7名の死者を出した事件ゆえ、死刑判決は当然だった。加藤は公判中から何冊かの手記を出版したが、「死刑を受け入れる」と語る一方で、原稿には一切手を入れないでほしいという注文をつけたという。書かれた内容は意味の通らないものが多かったため、反響もほとんどなかった。
再審請求中の加藤はまだ生きているが、加藤の弟は2014年に自殺している。死の1週間前、弟はこんな言葉を残していた。
「あれから6年近くの月日が経ち、自分はやっぱり犯人の弟なんだと思い知りました。加害者の家族というのは、幸せになっちゃいけないんです。それが現実。僕は生きることを諦めようと決めました。死ぬ理由に勝る、生きる理由がないんです。どう考えても浮かばない。何かありますか。あるなら教えてください」
加藤智大の言葉
「また長い1日が始まる。ただただ苦痛なだけ。まだ始まってないけど、終わりでいいや」
週刊誌編集者と3度目の獄中結婚
首都圏連続不審死事件(2008~09年)――木嶋佳苗(土井に改姓)
死刑確定 2017年4月14日
死刑執行 未執行
2008年から翌年にかけ、インターネットの婚活サイトを利用しながら20人以上の独身男性に結婚を持ちかけ接近。金銭を騙し取る過程で、少なくとも3人を殺害していた事件。2017年に死刑が確定した木嶋佳苗は、獄中で何度も結婚と離婚を繰り返し、近年は事件報道でも知られる『週刊新潮』の編集部員と結婚していたことが報じられ、世間を驚かせた。
木嶋が殺害したと認定されたのは3人だが、ほかにも木嶋と接点のあった数人の男性が不審死しており、いまなおその死の真相は解明されていない。これだけの疑惑がありながら、世間からは「憎悪」よりも、誘蛾灯のように男を引き寄せ続けるその魔力に関心が集まるという、摩訶不思議な死刑囚である。
木嶋は1974年、北海道の別海町で生まれた。父は行政書士で、しつけは厳しかったと伝えられる。木嶋は地元の高校を卒業後、上京し東洋大学に進学するが、学費未納ですぐに中退。その後、デートクラブに勤務したり、資産家と愛人契約を結ぶ。28歳のときにはネットオークションの詐欺で逮捕されるなど、当時から「ネットで男を騙す」手口を磨いていた。
男を手玉にとり続ける“魔性の婚活詐欺女”
少女時代から早熟だったという証言も伝えられる。体型は肥満型、決して美人とは言えない風貌だが、逆に「なぜ男は騙されるのか」という疑問を抱かずにはいられない。
2007年以降、木嶋の周辺で次々と男性が消える。まず2007年、千葉県松戸市の男性(70歳)が自宅の風呂場で急死。男性は7000万円以上を木嶋に貢いでいた。さらに青梅市の会社員(53歳)、千葉県野田市の男性(80歳)、千代田区の男性(41歳)が一酸化中毒死した。3人には生前、木嶋に送金するか、死の直後に木嶋によって現金が引き出されるという共通点があった。
41歳男性の死に不審な点があったことから捜査が始まり、木嶋は2009年9月5日に逮捕された。その後、多数の詐欺容疑や3人に対する殺人容疑で再逮捕された木嶋は起訴され、マスコミは「魔性の婚活詐欺女」「疑惑の毒婦」と大きく書きたてた。
獄中で小説を書き出版
裁判で明らかにされたのは、木嶋のウソで塗り固められたセレブなプロフィ―ルだった。「父は東大教授」「職業はピアノ講師」あるいは「フードコーディネーター」などと語り、多数の男たちを同時に騙しながら、本人は西池袋の高級マンションに住み、高級外車を乗り回していたという。
2012年4月13日、1審で死刑判決。裁判員裁判として女性の被告に対する初の死刑判決となった。木嶋は控訴、上告したがちょうど5年後の2017年4月4日、木嶋の死刑が確定した。
公判中から、木嶋はまったく悪びれることなくブログを開始。拘置所の中で書いた直筆原稿の画像をアップしたが、その字は練炭で男を殺し続けた女とは思えぬ達筆で、一切の謝罪、反省を拒否し死刑を受け入れた女の「凄み」を感じさせるには十分だった。さらには小説まで出版している。
木嶋は死刑確定前に週刊誌に長文の手記を寄せ、実の父が母に心を蝕まれた結果、還暦で自死したと説明。母を批判しつつ、死を受け入れる決意を次のように表明している。
「生みの母が私の生命を否定している以上、確定後に私は法相に対し、早期執行の請願をします。これこそ『ある決意』に他なりません。通常、全面否認事件での女子の執行は優先順位が極めて低いものですが、本人からの請願は何よりも強い、“キラーカード”になる。まったくもって自殺願望ではなく、生きてゆく自信がない、それだけです」
堂々と死ぬ――これが稀代の悪女のプライドなのだろうか。
木嶋佳苗の言葉
「(再審請求者の)多くは、再審請求中は執行を回避できると信じて形だけの請求を続けている人だと断じてもよいでしょう」
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(別冊宝島編集部)