高1暴行死20年、厳罰訴えと更生願う複雑な母胸中 「二度とこんな事件は」

大津市で2001年、高校1年だった青木悠さん=当時(16)=が知人の少年2人から暴行を受け死亡した事件から今春で20年になる。6日の命日を前に、母和代さん(72)=滋賀県高島市=が京都新聞社の取材に応じた。事件の風化を懸念しながら、遺族の目線で少年犯罪の厳罰化を訴える一方、各地で罪を犯した少年らの更生を願う複雑な心境も吐露した。
■「今も頭から離れない」
「今も悠ちゃんのことが頭から離れない」。和代さん宅には、次男の悠さんの服や勉強道具、ゲームなどが大切に残されている。30代の働き盛りを迎えているはずだった。子を持つ父親になっていたかもしれない。「家族思いの努力家」だった息子への悲しみが癒えることはない。
悠さんは中学3年の時、交通事故で左半身不随になり、医師からは「一生歩けない」と告げられた。だが、大阪の病院に入通院して1年以上リハビリに励み、自転車に乗れるまで回復した。定時制高校に在籍中、大学進学を見据えて、事件の数日前には全日制高校に合格していた。
「合格祝いにカラオケに行こう」。事件当日の01年3月31日、当時15、17歳の少年から誘われ、喜んで家を出た。その直前、祖父母の煮豆店を継ぎたい旨を和代さんに打ち明けていた。「体が不自由な分、大学で経営学を学んで店を手伝いたい。お母さんを幸せにしたい」。優しく語った笑顔が忘れられない。
少年2人は、祝うどころか「障害者のくせに生意気だ」と言い、悠さんに約1時間半、暴行を続けたとされる。悠さんは6日後の4月6日に死亡。2人は滋賀県警に傷害致死容疑で逮捕され、少年審判を受け中等少年院に送致された。和代さんと少年側は民事訴訟で和解し、今も月命日ごとに分割して賠償金が振り込まれる。だが、面会や謝罪は和解時が最後で2人の近況は分からない。現場で見張り役だったとされる別の少年3人に対する損害賠償請求は棄却された。
■被害者は夢絶たれ、遺族一生苦しむ
「被害者は夢を絶ち切られ、遺族は一生苦しむのに、加害者は少年だからと軽い罰にとどまるのはやるせない」。事件発生は改正少年法施行の前日。刑罰の対象年齢を14歳以上に引き下げることなどを盛り込んだ厳罰規定は適用されなかった。その後、少年犯罪の厳罰化は進み、来年4月には18、19歳について起訴後の氏名や顔写真の報道を可能にするなどした改正法が施行される見通しだ。「時代は移り変わるが法の改正は遅すぎる。年齢にかかわらずやったことに見合う罰を受けるべき」と憤る。
立ち直りの妨げになるとして厳罰化に反対する意見もある中、県内でも19年、東近江市の男性が当時17~19歳の少年ら7人に暴行を受け、東尋坊(福井県)から飛び降りさせられたとする殺人事件が起きるなど、各地で凶悪な少年犯罪は後を絶たない。和代さんは「賠償金すら十分に支払われていない遺族も多い。加害者がやったことの責任を感じられる仕組みが必要」と強調する。
一方で、「(罪を犯した)多くの少年には再犯をせず頑張って生きてほしい」との思いもある。毎年、三重県の医療少年院に赴き、罪を犯した少年らに自身の経験などを伝え更生を促している。「でも自分(息子)の加害者は今も許せない。矛盾してますよね」
今、長男と煮豆店を切り盛りする日々を送る。大津市の本店と高島市の2号店を行き来し、繁忙期の睡眠は2、3時間ほど。「ぼーっとしていたら悠ちゃんのことを考えてしまう。仕事で疲れて寝る日々のほうがいい」と話す。
悠君が見守っていますよ―。事件当初、息子の死を受け入れられない中で、報道関係者らからそう慰められることが嫌だった。月日がたち、「今は本当に守ってくれていると感じるようになった。『仕事はほどほどにして』と思っているかな」と語る。
3年前の命日。閑静な琵琶湖のほとりに2号店をオープンさせた。店名は「悠ちゃん」。愛息を何かの形で残したかった。「忘れ去られるのはかわいそうすぎる。二度とこんなむごい事件が起きてほしくない」と心から願っている。