全身に「ゾゾゾゾゾっ」と立った鳥肌… 妹を殺された過去を持つ男が“犯罪者支援”を始めた理由とは

元受刑者を雇い入れ、就労支援を行う「職親プロジェクト」に携わることになった草刈健太郎氏。彼には大切な妹を殺されたという悲しい過去があった。社会復帰の手助けとはいえ、元受刑者を前に冷静な気持ちでいられるのか、あの地獄のような日々を思い出し、再び犯罪者への憎悪に支配されてしまうのか……。
ここでは、同氏が「職親プロジェクト」を通じて得た経験、そして活動を通じての葛藤をまとめた著書『 お前の親になったる 被害者と加害者のドキュメント 』(小学館集英社プロダクション)を引用。初めて犯罪者と対峙した瞬間の思いを紹介する。(全2回の1回目/ 後編 を読む)
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中井さんが私を誘い入れた『職親プロジェクト』は、もともと「日本財団」の企画だった。日本財団とは、自らがソーシャルイノベーションのハブとなり、「みんながみんなを支える社会」の実現を目指している公益財団法人だ。競艇の収益金をもとに、子ども支援、障害者支援、災害復興支援などを行っている。
少年院の出院者、刑務所の出所者がまた罪を犯してしまう「再犯率」が上昇傾向にあるため、日本財団は2010年頃から、元受刑者の就労支援を新たな事業にできないか検討を始めていた。そこで、元受刑者を雇用して更生につなげた実績のある、「千房」の中井さんに協力を仰いだ。そのことが発端となり、中井さんを発起人として『職親プロジェクト』が立ち上がったのだ。
中井さんが、知り合いの経営者数人に声をかけようとなったときに、幸か不幸か私の名前が真っ先に浮かんだという。
再犯を防止することが犯罪全体を減らすカギ
草刈家の教えとJC(編集部注:日本青年会議所)での教えをミックスして得た私の信条は「よいと思ったことを頼まれたら、『ハイ! 喜んで!』と受ける」である。この信条でやってきたからこそ、多くの人と強いつながりを持つことができたと思っている。そんな私の口から、中井さんへ「できません」なんて言葉は、出せなかった。
『職親プロジェクト』の参加企業が集まって、何度か会合が開かれた。立ち上げ当初の2012年、法務省の『犯罪白書』によると、1年間の刑法犯の検挙人数は約28万7000人。うち再犯者数は約13万人。検挙人数全体の45%を占めている。つまり、いまの日本では再犯を防止することが犯罪全体を減らす大きなカギとなる。この取り組みは、社会貢献として意義のあることだと思った。そう思いはしたが、やはり「加害者支援」という言葉には、どこか釈然としないものがつきまとっていた。
人手不足の解消にもなるし、社会貢献にもなるし、ビジネスチャンスにつながるかも、というポジティブな言い訳を用意して、“とりあえず”参加することにした。
中井さんの電話から約3カ月後の2013年2月28日、『職親プロジェクト』は、中井さん、私の他、「串かつ だるま」(株式会社一門会[いちもんかい])、焼き肉「但馬屋(たじまや)」(株式会社牛心[ぎゅうしん])など計7社と日本財団が協定書を交わすという形で正式に始まった。5年間で100人の社会復帰を支援する目標を掲げた。大阪市内のホテルで行った調印式には、マスコミ関係者も来てテレビや新聞で報道され、当時の谷垣禎一(たにがきさだかず)法務大臣は「法務省としても積極的に協力する」との見解を表明した。『職親プロジェクト』が大々的に注目され、私は、「こんな派手にやられてもうたら、辞めにくいやないか。しっかりとした理由考えな」などと、「いかに後腐れなく辞めるか」ばかり考えていた。
調印式の翌週、プロジェクトのメンバーは、山口県美祢(みね)市にある「美祢社会復帰促進センター」を訪ねた。ここは、刑務所に入るのが初めての、いわゆる「初犯」の受刑者が服役している。『職親プロジェクト』は、こうした刑の軽い受刑者を収容する刑務所や少年院で、募集、採用することにしていた。初犯の受刑者や少年院の入院者は刑事政策の世界では「犯罪傾向が進んでいない」という言い方をする。要するに、まだ凶悪犯とか極悪人とか言われるようなワルのレベルにはなっていないので、更生の余地が大きいということだ。
暗いイメージとはほど遠い小綺麗な施設
行ってみて驚いたのは「刑務所」という暗いイメージとはほど遠い小綺麗な施設だったことだ。居室スペースはいわゆる雑居房ではなく個室。机にベッドにテレビまである。このセンターは「コンクリート塀や鉄格子のない刑事施設」というコンセプトで建てられており、受刑者の生活を一般社会と近い環境にしているのだ。
昼間は職業訓練を兼ねた労働をしている。民間企業と違ってブラック残業などないし、やることも基本的な単純作業で、かつ安全は確保されている。贅沢ではないものの栄養バランスのとれた食事が1日3回、必ず提供される。私たちが見学に訪れた際も、マスクの着用が指示された。理由は「風邪の菌を持ち込まないように」だ。
自由こそないが、反対に飢え死にや、凍死、熱中症の心配もないし、残業による過労死リスクもない。こんな快適な生活が保障されていたら、刑期を終えて出所しても
「もう二度と刑務所に入りたくない」という心境になるわけがない。
「えらいええ生活してるやないか」「こんな楽な生活をしていて、職業訓練なんか、真剣にやるか?」「なぜ刑務所で罰を与えて更生させないんや。本末転倒やないか」、これが私の抱いた率直な感想だ。
再認識させられた心の大きな傷
どうしても妹を殺したチェイス(編集部注:筆者の妹福子さんを殺害した男性。現在はアメリカで服役している)と、目の前で労働している受刑者たちが重なってしまう。あいつも、こんな感じで日々の生活を送っているのだろうか。私は心底腹が立ってきた。この受刑者たちは知っているのだろうか? 自分たちが生み出した被害者とその家族たちが、心の傷に苦しみながら生活していることを。
一方、被害者たちは知っているのだろうか? 自分を苦しめる元凶である犯罪者たちが、こんな恵まれた環境で生活していることを。
私はトイレで悔し涙を流した。そして、妹の事件が、いまだに私の心に大きな傷として残っていることを再認識した。
本意だろうが、不本意だろうがプロジェクトに名を連ねている以上、少年院や刑務所見学会には参加しないといけないし、面接、採用、その後の働く場や住む家の段取りなどを整えておかないといけない。
所内を一通り見て回ったあと、講堂にて受刑者への会社説明会が行われた。各参加企業が、会社や業務内容を説明し、受刑者からの質問に答えた。その後、各自が自社の仕事を希望した受刑者と面接を行うという流れになっていた。ちなみに、この面接で条件が合えば内定を出し、出所後、会社で用意した部屋に住まわせ、まずは契約社員として働いてもらうことになる。
私の経営するカンサイ建装工業の場合、建設管理の業態なので、一級建築士などの資格が必要となる。一方、塗装会社の日之出塗装工業であれば、資格は必要なく、「O・J・T(オンザジョブトレーニング)」で働きながら職人の技術を身につける業態なので、こちらのほうが何かと都合がいいと考え、日之出塗装工業で採用することにしていた。
犯罪者と初めて対峙
ここで私が面接したのは二人。考えてみると、犯罪者と対峙して話すのは初めてだ。このときは、テレビの取材カメラが入っていたので、平静を装ってはいたが、実は心中穏やかではなかった。どんなやつが来るのだろう……。
面接した印象としては、二人とも覇気がない。なんというか、エネルギーというか、パワフルさを感じなかった。出所して働き出すまでまだ間があるが、大丈夫だろうか。働き出しても、すぐに音(ね)を上げてしまうのではないか。そんなことを思った。刑務所にいるやつなんて、みんな目つきの悪いギラギラしたやつばっかりだろうと思っていたので、拍子抜けだ。
そんなことを、『職親プロジェクト』の仲間たちと話していると、みんな同じような印象を持ったらしい。そこで、以前から就労支援をしている中井さんや日本財団のスタッフ、施設の人などと話していると、いまの時代の受刑者たちの姿が見えてきた。
「心が子どものまま」の受刑者
「心が育っていない」
『職親プロジェクト』に関わった人間の多くが元受刑者に対して抱く印象だ。しかし、そのときはまだこの言葉の本当の意味が、私にはピンときていなかった。社会環境の変化によって、核家族が増え、社会とのつながりが希薄となったいま、問題のある家庭で育った子どもの多くが、見た目は成長していても、「心が子どものまま」だというのだ。おそらく、そんな状態のまま、罪を犯し、保護施設に隔離されているので、「社会に出て自立しよう!」「世間を見返してやる!」「いまに見てろ!」なんて気概も湧いてこないのだろう。
その後、少年院の加古川学園で一人と面接をし、採用することにした。それから、先に美祢で面接をした二人にも合格を伝えた。ちなみに、今回採用を決定した3人には、ともに刑務所から出たあとの身元引受人がいなかった。誰も身元引受人になってくれないということは、社会的に孤立した状態にあることを意味する。親兄弟がいなかったり、いても絶縁状態だったりする。こうしたケースでは、私たち『職親プロジェクト』のメンバーが身元引受人になって、雇用するのだ。
“犯罪者”のためではない
私は、「働きたい」と希望してきたやつらは、更生したい気持ちがあるから希望しているのだろうから、仕事と住む部屋さえ与えれば、あとは勝手に更生するだろうと考えていた。その「心が育ってない」という問題も、働く中で自然に育つだろう。とにかく、周りに迷惑をかけずに真面目に働いてくれさえすればいい。いや、極端な話、こちらに損害が出なければいい。私はそう考えて、希望してきた受刑者は、形だけの面接はするが、原則全員雇ってやろうと考えていた。
このプロジェクトは、社会貢献にもなるし、人手不足解消にもつながる。頑張って働いてくれさえすれば、“犯罪者”でも関係ない。今回、内定を出したのは、会社のため、社会のためであり、“犯罪者”のためではない、それに、何人か雇っておけば、その後、『職親プロジェクト』からも身を引きやすくなるだろう。断じて「犯罪者の支援」なんかじゃないんだ、という言い訳を、自分に対してしていた。ただ私は、性分から、この言い訳だらけの中途半端な状態に、居心地の悪さも感じてもいた。
2013年8月のことだった。大阪市内のホテルで『職親プロジェクト』の2カ月に一度の会合が終わったあと、喫茶店でメンバーとお茶を飲んでいた。私は少し前からテレビ局の取材を受けていて、この日はその番組の放送日だった。私たちは携帯電話のワンセグを使って放送を観た。
番組では裁判の映像が流れ、『職親プロジェクト』の加害者支援に、被害者遺族でありながら参加しているということが、大きく取り上げられていた。ロサンゼルスで妹が夫に殺されたこと、裁判で大変な苦労をして有罪を勝ち取ったこと、そしていまは『職親プロジェクト』に参加して元受刑者らの就労支援活動をしていることがまとめられていた。
全身にゾゾゾゾゾっと鳥肌が…
すると、一緒に放送を見ていた中井さんが、驚いたように目を丸くしながら、ポツリと言った。
「……草刈君、そんなことがあったんか!」
「え? 中井さん、知らんかったんですか?」
「ごめん。まったく知らんかった……」
妹の事件は、友人・知人はみんな知っていた。だから、当然、中井さんも知っていると思っていた。ところが、中井さんは知らなかったらしい。知らずに私を『職親プロジェクト』に誘ったのだ。
「知らなかったとはいえ、ごめんな。受刑者と話したり刑務所を訪問したりなんか、辛かったんちゃうか? 無理にお願いしたから、断れんかったんちゃうか?」
全身にゾゾゾゾゾっと鳥肌が立った。
もしかして中井社長が事件のことを知っていたら、俺は『職親プロジェクト』に誘われてなかったんちゃうか? 犯罪者について、何も知らないまま、ただ憎む対象としてしか考えずにいたんとちゃうか? 「被害者を救う方法」ばっかり考えて、「被害者を減らす方法」なんて、考えもせんかったんちゃうか?
平和に日常生活を送っている誰かを「守る」
偶然と偶然が重なって、つながりがつながりを生んで、気づけば、被害者遺族である自分が、加害者を支援する立場に立っている。被害者のことだけではなく、加害者についても考えている。なんや、この巡り合わせは? なんでや? と、考えたとき、また一つの考えが頭をよぎった。
「福子が導いたんちゃうか? 福子が、やれ!って言ってるんとちゃうか?」
カンボジア、東日本大震災のことが頭の中を走馬灯(そうまとう)のように巡り、うまく説明できないが、何か果てしない、「命のつながり」を感じた。そしてこのときもまた、近くに福子の存在を感じた。福子の「私のような被害者を一人でも減らすように頑張って」というメッセージなのか。
私は思い出す。福子が殺されて、「なぜ、守ってやれなかったのか」と悔やんだ日々を。そう、私は知っている。残された人たちが、「なぜ、守れなかったのか」という辛い後悔に囚われることを。
“犯罪者”を更生させて、再犯を防止する。凶悪事件が起こる前に、悲劇を未然に防ぐ。少なくとも、可能性を少しでも減らす。平和に日常生活を送っている誰かを「守る」。それが私の「使命」、いや、「担い」なのだ!
私の心は決まった。
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「こいつ大丈夫かいな」窃盗の再犯で勘当された男性を引き受けると… “元受刑者支援プロジェクト”のリアル へ続く
(草刈 健太郎)