京大がタテカン撤去で守りたい「景観」とは何なのか?提訴した職員組合の高山教授が語る「表現の自由」

京都市の「屋外広告物条例」を根拠として、京都大学がキャンパス周辺の立て看板(タテカン)を撤去するのは、憲法が保障する「表現の自由」を侵害する――。 京大職員組合がこのほど、大学と市を相手取り、慰謝料など計550万円の支払いをもとめて京都地裁に訴えを起こした。 京大のタテカンは「自由な学風」を象徴する文化として、長く親しまれてきた。 どうして撤去されることになったのだろうか。そして、なぜ提訴まで至ったのだろうか。京大職員組合の高山佳奈子教授に聞いた。(弁護士ドットコムニュース編集部・山下真史) ●市の行政指導がきっかけで「タテカン」は撤去されることに 京都市左京区の京大・吉田キャンパス周辺では、長年にわたって、さまざまな団体のタテカンが設置されてきた。 サークル活動の告知のほか、ときに京大らしい政治的な主義・主張も書かれたタテカンは、まさに「自由な学風」を象徴する文化だった。 ほとんどが学生によるものだったが、学外の市民も参加できるシンポジウム・学会の案内や、労働組合のニュースを掲示するタテカンもあった。 京大の敷地は広いため、大きな通り(今出川通り・東大路通り・東一条通り)に面して設置すれば、通行する人たちの目に止めてもらえた。 ところが、京都市は2012年ごろから、京大に対して、市の屋外広告物条例に違反しているとして、屋外のタテカンの撤去をもとめるようになった。 この条例では、屋外のタテカンは「屋外広告物」にあたるため、設置する場合は「市長の許可」が必要だと定められている。 市の行政指導を受けて、京大は2017年12月、「立看板規程」をつくり、翌2018年5月13日に”ルール違反”のタテカンを一斉撤去した。 ●「不意打ち」のように職員組合のタテカンも撤去された このときに撤去されたのは、学生のタテカンだけでなく、京大職員組合のものも含まれていた。副中央執行委員長の高山教授(法学部・刑法)は次のように話す。 「タテカン設置について定めた『立看板規程』は、その内容からも、学生団体を対象としたもので、職員組合は対象でないと理解していました」(高山教授) 立看板規程は、要するに、京大総長がみとめた「団体」だけが、指定した場所・期間にルールを守ったうえでタテカンを設置してよいというものだ。 「いきなり職員組合のタテカンが撤去されたときには、大変驚きました。規程をつくることや、その適用範囲について、まともに話し合う機会がなかったので」(高山教授)
京都市の「屋外広告物条例」を根拠として、京都大学がキャンパス周辺の立て看板(タテカン)を撤去するのは、憲法が保障する「表現の自由」を侵害する――。
京大職員組合がこのほど、大学と市を相手取り、慰謝料など計550万円の支払いをもとめて京都地裁に訴えを起こした。
京大のタテカンは「自由な学風」を象徴する文化として、長く親しまれてきた。
どうして撤去されることになったのだろうか。そして、なぜ提訴まで至ったのだろうか。京大職員組合の高山佳奈子教授に聞いた。(弁護士ドットコムニュース編集部・山下真史)
京都市左京区の京大・吉田キャンパス周辺では、長年にわたって、さまざまな団体のタテカンが設置されてきた。
サークル活動の告知のほか、ときに京大らしい政治的な主義・主張も書かれたタテカンは、まさに「自由な学風」を象徴する文化だった。
ほとんどが学生によるものだったが、学外の市民も参加できるシンポジウム・学会の案内や、労働組合のニュースを掲示するタテカンもあった。
京大の敷地は広いため、大きな通り(今出川通り・東大路通り・東一条通り)に面して設置すれば、通行する人たちの目に止めてもらえた。
ところが、京都市は2012年ごろから、京大に対して、市の屋外広告物条例に違反しているとして、屋外のタテカンの撤去をもとめるようになった。
この条例では、屋外のタテカンは「屋外広告物」にあたるため、設置する場合は「市長の許可」が必要だと定められている。
市の行政指導を受けて、京大は2017年12月、「立看板規程」をつくり、翌2018年5月13日に”ルール違反”のタテカンを一斉撤去した。

このときに撤去されたのは、学生のタテカンだけでなく、京大職員組合のものも含まれていた。副中央執行委員長の高山教授(法学部・刑法)は次のように話す。
「タテカン設置について定めた『立看板規程』は、その内容からも、学生団体を対象としたもので、職員組合は対象でないと理解していました」(高山教授)
立看板規程は、要するに、京大総長がみとめた「団体」だけが、指定した場所・期間にルールを守ったうえでタテカンを設置してよいというものだ。
「いきなり職員組合のタテカンが撤去されたときには、大変驚きました。規程をつくることや、その適用範囲について、まともに話し合う機会がなかったので」(高山教授)