暗く危険な街、川柳で浄化 商店街飾る二十数句に絶賛の声相次ぐ

JR小倉駅にほど近い京町銀天街(北九州市小倉北区)は、今や「川柳通り」としてちょっとした名所になっている。「京町川柳大賞」と銘打って句を公募し、秀作を約300メートルの商店街一帯に飾る。昨年度はコロナ禍の巣籠もりもあってか全国から約2万9000句余りが寄せられた。寂れ行く地方の商店街に光明をもたらすような取り組みはどうやって生まれたのか。アーケードに足を運んだ。【山田宏太郎】
「小倉の商店街に掲揚されている川柳がブチギレていた」。5月初め、東京の編集者の男性がツイッターに京町銀天街の写真を投稿した。「対策は国民頼み神頼み」など、コロナ禍にちなんだ句の数々。旅行で小倉に立ち寄ったという男性のツイートに対し、全国から「上手いこというなぁ」「見上げて感じて考えてゆっくり歩けそう」と絶賛する反応が相次いだ。
「俳句でまちおこしをしているところもあるが、川柳の方が庶民的でだれもが参加しやすい」。京町銀天街協同組合理事長で辻利茶舗店主の辻利之さん(67)は2003年から川柳の募集展示を始めた。市内で句会を主宰していたお鶴(つう)さんこと唐鎌美鶴さん、地元でデザインを手がける松岡忠夫さん(68)との出会いから生まれた企画だったが、商店街は刷新に迫られていた。
それまで街には暗く、危険なイメージが漂っていた。商店街には空き店舗が目立ち、風俗店も進出。さらに店舗の一角をいつの間にか暴力団が事務所にしていた。その建物は競売にかかっていたことから00年に組合が結束して落札し、暴力団は退去した。だが翌年、辻さんの店舗に車が突入する事件も起きた。
03年春に近くの複合施設「リバーウォーク北九州」の開業が予定され人の流れを呼び込む必要もあった。「通行人に喜んでもらえて、みんなが参加できるような文化事業ができないか」。たどり着いたのが川柳だった。
当初はお鶴さんや句会メンバーの句が主体だったが、次第に応募が増え14年から京町川柳大賞が始まった。全国から注目を集める商店街の掲示には、松岡さんのアイデアがちりばめられている。
松岡さんはかつて小倉井筒屋の営業推進部門におり、経営コンサルタントの顔も持つ。「商店街は横に広がる百貨店。一カ所でなく、ばらばらに掲示することで回遊性が高まる」。マーケティングの経験から、展示の句は独特の温かみある筆書きにし、親しみやすさを出した。展示作品は約二十数点。2カ月ごとに入れ替え、あきられることもない。
京町銀天街では古本のフリーマーケット「京町とほほん市」も開かれるようになった。川柳大賞が期待通り多くの人々に愛される事業となった今、辻さんはしみじみと言う。「人々が楽しみ心を通わせる。そうした活動を長く続けることで街は浄化され、明るくなる」