熊本県を中心に九州5県で79人が亡くなった2020年7月の九州豪雨は4日で1年を迎えた。災害関連死2人を含め67人が死亡し、2人が行方不明のままの熊本県では各地で遺族らが犠牲者を追悼。住民3人が死亡した球磨村神瀬(こうのせ)地区では、豪雨で土石流が流れた球磨川支流の川内(かわうち)川に住民らが花を流し、故人をしのんだ。
宮崎佳洋子(かようこ)さん(71)はあの日、夫の開(ひらき)さん(当時70歳)と共に浸水した平屋の自宅に取り残された。テーブルの上に椅子を積んで上ったが、いよいよ天井まで水が迫り、息が苦しくなった。佳洋子さんが「いろいろありがとう。お世話になりました」と別れの言葉を伝えると、開さんは天井を突き破って佳洋子さんを押し上げ、自身は帰らぬ人となった。佳洋子さんは息を引き取った開さんの頭を膝に載せて救助を待った。
花を流した佳洋子さんは「お父さん、なんで先に逝くと?」と声を絞り出し、「いるはずの人が突然いなくなってしまった。思い出が多すぎてきりがない」と悔やんだ。【宮城裕也、城島勇人】
「生きていてほしかった」 夫、体震わせ
熊本県芦北町箙瀬(えびらせ)では、濁流にのまれて亡くなった山本レイ子さん(当時78歳)の自宅で4日、夫の守さん(76)らが一周忌法要を営んだ。レイ子さんが見つかった玄関に遺影を置き、花を供えた守さんは「生きていてほしかった」と体を震わせた。
1年前の4日朝、「水が下まで来ている」という近所の人からの電話で目を覚ました守さんが外へ出ると、球磨川からあふれた水が約4メートル下の県道まで押し寄せていた。守さんが近所の様子を見に行って戻った時、いったんは外に出ていたレイ子さんがまた家に入ってしまった。「早く外に出ろ」。守さんは腰あたりまで水につかりながら玄関のドアを必死にたたいたが、返事はなかった。危険を感じた守さんは平屋の屋根によじ登った。屋根まで水が迫り、守さんはボートで救助された。
水が引いた午後、レイ子さんは玄関で何かを抱きかかえるような姿で倒れているのが見つかった。前日には、5月に心筋梗塞(こうそく)で急逝した長男功(いさお)さんの四十九日法要を営んだばかりだった。守さんは「息子の遺骨を取りに戻り、水の重みで玄関を開けられなかったのではないか。『早く逃げろ』と言えばよかった」と悔やむ。
半世紀連れ添った仲のいい夫婦だった。自宅からは球磨川の清流が望め、同県水俣市で暮らしていた功さんにも「こっちで一緒に住まないか」と声をかけていた。被災後、泥だらけの家の中から功さんの遺骨やレイ子さんがいつも持ち歩いていたバッグが見つかった。
同県人吉市の長女宅に身を寄せる守さんは2020年11月に自宅の公費解体を申請したが「この家がなくなると思うと涙が出る。家内ともっと一緒にいたかった」と語った。【栗栖由喜】