明石歩道橋事故20年 変わらない遺族の思い

兵庫県明石市で平成13年、花火大会の見物客が歩道橋で転倒し、11人が死亡した事故は21日で発生から20年となる。子供2人を失った有馬正春さん(62)=明石市=は「事故がなければ2人とも仕事に就いて、子供もいたかもしれないね」と話した。最大6千人以上が滞留し「群衆雪崩」を引き起こしたあの惨事を知らない人も増えている。「どうか忘れないで」と切実に願う。
20年前の7月21日。正春さんは仕事終わりにJR朝霧駅で家族と待ち合わせ、花火大会の会場へ向かった。小学4年の長女、千晴ちゃん=当時(9)、2年の長男、大君=同(7)=と歩道橋へ。はしゃいでいた2人の前後の人混みは、しばらく進むとまったく動かなくなった。正春さんは子供たちを壁際に寄せ、妻の友起子さん(51)と「盾」になった。「ここにいてね」。これが最後の会話になった。
直後、叫び声が上がり、転倒する人波が雪崩のように押し寄せてきた。
「千晴!」「大!」
人混みをかき分け、捜し続けた。間もなく警察官に抱きかかえられた千晴ちゃんを見つけた。そばにいた大君は人の下敷きに。救助隊員が心臓マッサージを試みたが、もう目を覚ますことはなかった。
笑い声がなくなった家庭。わが子を一度に失い、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症した。「花火大会に行かなければ」。夏が近づくと毎年後悔にさいなまれる。
それでも有馬さんは、遺族会のメンバーとして当時の明石署幹部らの責任を追及する活動に身を投じた。刑事や民事の裁判を傍聴に行き、法廷での意見陳述を通してあの事故の悲惨さを世に訴え続けてきた。元副署長を不起訴にした検察への怒りも、有馬さんを前に向かせた。
夫婦の支えになったのは事故後に誕生した2人の子供だ。千晴ちゃんと大君からそれぞれ1文字ずつとって名付けた次女と次男は、高校生と中学生になった。「ずっと家にいて孤独だった妻も、2度目の子育てで少し立ち直れたと思う」
次女と次男はまだ、事故のことを聞いてこない。ただ千晴ちゃんと大君の命日には、遺影と向き合う有馬さんらの隣で、2人もそっと手を合わせる。その姿を見て、「この子たちが今の自分を導いてくれた」と感じている。
2人が出かけるというと今でも怖くなることがある。そんなときは「姉と兄が、ちゃんと見守ってくれている」と心を落ち着かせる。有馬さんの思いは20年前から変わっていない。「事故を知らない世代へ、生きている限り話を伝えていく」