10年前の紀伊半島豪雨で被災し、自治会も解散した和歌山県田辺市本宮町三越(みこし)の奥番(おくばん)地区。この地で記録写真を撮り続けてきた元県警警察官の写真家、大上敬史(たかし)さん(62)の写真展「流された村 奥番」が、本宮町本宮の「世界遺産熊野本宮館」で開かれている。災害直後の集落や自治会の解散式、その後の日々などを撮影した貴重な作品90点を展示。大上さんは「豪雨で『流された村』の存在を忘れないでほしい」と訴えている。
7世帯10人が暮らしていた奥番地区では、紀伊半島豪雨で地盤ごと崩れ落ちる「深層崩壊」が発生。豪雨の影響で1人が死亡し、住宅など9棟が全壊・流出した。
元田辺署地域課員だった大上さんは豪雨直後の平成23年9月19日、その地区にいた。切り立った崖の上に民家が「しがみつく」ように残っていたが、あとは一面の土砂だった。
同行した地区出身者の上司から「ここには寺があった」「ここには集会所…」と被災前の姿を聞いたが、想像するのは難しかった。それほどの壊滅的な被害に「奥番はもうだめだ。村の姿を写真に記録してくれ」と上司に依頼されていた。
大上さんは高校時代から写真に興味があり、警察官になって以降も世界遺産・熊野古道の風景などを撮り続けていた。「こうした歴史的な現場に立ち会うことは今後もないだろう」と思い、依頼を引き受けることにした。
岩石と土砂に埋もれた地区に通じる橋、安全のため設置された落下防止用のロープを伝って歩く住民…。凄惨(せいさん)な被害だったことを写真は語る。平成26年に警察官を退職した後も、年に数回は足を運んだ。奥番地区を記録した写真は着実に増えた。
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豪雨から約2カ月後、壊滅的被害を受けた地区で自治会の解散式が開かれた。
自治会解散で故郷を離れる決断をした住民もいて、会場となった神社で祝詞(のりと)が奏上されると、参列した住民からはおえつが漏れた。一人の高齢女性が、別の高齢男性にしがみついて泣いた。その男性が、区長も務めた故・野下義計(よしかず)さんだった。「地域の信頼を得られている人なんだ」と感銘を受け、撮影した。
その後、親交が深まり、野下さんから奥番地区についてある話を聞いた。地区は、熊野本宮大社が鎮座する田辺市本宮町の中心部から離れた山奥にあり、祖父から「自分たちは平家の末裔(まつえい)」と聞かされ、そう信じて生きてきたと。
先祖から受け継いだ土地に誇りを抱いてきた野下さんは今年6月、94歳で世を去った。野下さんの遺影には自身の写真が採用され、妻の美喜子さん(85)とは今も交流が続く。
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今回の写真展では、大上さんの記録写真を収めた冊子をベースに出品。被災した奥番の姿や災害後の日々を伝える写真が並ぶ。
災害直後に撮影した奥番地区中心部の写真は、被害の甚大さを伝える。「崖のすぐ近くに家が建っているようにも見えますが、違います」と大上さん。川のような部分の上に寺院や集会所などがあったといい、集落の中心部が根こそぎ崩された格好だ。
「災害の記録という意味と併せ、『奥番という村が確かに存在した』ことを広く伝えることが目的」と大上さん。「故郷を奪う災害は、日本のどこでも起こり得る。紀伊半島豪雨がもたらした災害が人々の心にどんな傷を残したのか、知ってほしい」と力を込める。
写真展は12日まで。入場無料。(藤崎真生)