「やっと見つけた」景都くんの長靴 豪雨で犠牲、10年越し兄の元へ

片方だけ見つかったサイズ19センチの青い長靴には、かかとに手書きで「けいと」の文字があった。2011年9月の紀伊半島豪雨で被災し、家族5人が亡くなった和歌山県那智勝浦町の住宅跡地。犠牲になった中平景都さん(当時7歳)のものだった。「やっと見つけてあげられた」。土砂の中から掘り起こし、10年越しに形見を手にした伯父は万感の思いを口にした。
長靴を見つけたのは三重県御浜町の建設業、中平敦さん(62)。那智勝浦町市野々に住む弟幸喜さん(当時45歳)宅が土石流に遭い、幸喜さん、妻澄子さん(同46歳)夫婦、めいの彩音(あやね)さん(同14歳)と百音(ももね)さん(同13歳)、おいの景都さんを亡くした。家屋は土砂にのみ込まれ、形見と呼べるものはほとんどない。敦さんは「家が埋まったままでは、みんな無念だろう」とずっと気がかりだった。
家の跡地周辺では、国が砂防施設の建設計画を進めている。国の了解を得て10回目の命日を前にした9月3日、同僚と約3200平方メートルの敷地をショベルカーで掘り起こす作業に取りかかった。「この場所で生きていた証しを見つけたい」。すがる思いで掘り進めたが、出てくるのは土ばかり。ごろごろと交ざる巨石が、あの日の土石流のすさまじさを物語っていた。
くじけそうになりながら作業を続けて12日目。小さな長靴は家があった場所から約15メートル先、深さ5メートルほどの土中にあった。泥を丁寧に洗い落とし、かかとと靴の内側に黒いペンで書かれた名前を目にした時、涙がこぼれた。「やっと見つけた」
「亡くなる直前まで履いていたはず。父親に抱っこされて逃げていた時に落ちたんじゃないか」。見つけた喜びの一方でそんな光景が目に浮かび、再び現実を突きつけられた気持ちだった。それでも約1カ月間の捜索で見つけた、たった一つの遺品が「みんなが生きていた証し」だ。「ようやく一つの区切りがついた」と思えた。
渡す相手は決めていた。景都さんの兄、史都(ふみと)さん(33)=和歌山県新宮市=だ。豪雨災害時は東京で1人暮らしをしていた。駆けつけた実家は跡形もなく、史都さんは無我夢中で土砂をかき分けたが、現場からは遺品も見つからなかった。
一人きりになった史都さんは悲しみの底にいたが、「家族のそばにいたい」と4年半前に帰郷した。「災害で苦しむ人たちを勇気づけたい」と今春、東京オリンピックの聖火ランナーにも挑戦。懸命に前に進む姿を敦さんも見守ってきた。
長靴を受け取った史都さんは、16歳年上の自分を「にいちゃん」と慕い、実家から東京へ戻る日には決まって「はよ帰ってきてよー」と泣いていた弟のことを思い出す。そして少し丸みを帯びた名前の文字。母澄子さんの字だ。「受け取った時は、久しぶりに見る母の字に感動しました」と振り返る。
家族の絆をつないだ長靴。史都さんは「見つけてもらって感謝している。大切に持っておきたい」と話した。【木村綾】

長靴の発見場所の近くからは冬物のジャンパー(「AVIREX」のロゴ入り)も見つかった。敦さんも史都さんも見覚えがなく、敦さんは「弟の家族の誰かが羽織っていたのかもしれない」として情報提供を呼びかけている。